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「怖い」を味方にする

書いた記事を入稿するのは、いつだって怖い。特にはじめての仕事は、本当に怖い。仕事に限らず、「はじめて」に怖さを感じる方だと思う。もちろん、わくわく感もありはするのだけれど。

その恐怖は、もしかしたら自分を守るためのみみっちい抵抗なんじゃないかと思っている。対外的に自信なさげにしているわけではないから、別に外部に対しての言い訳にはならないのだけれど、自分の中の言い訳にはなるから。

「ほら、やっぱりダメだった」、みたいに。少なくとも、「できる!」と思っていた心が折れるよりは、ダメージが少なくて済む。

外に向かって怖さを吐き出してしまうのは、相手に不安を与えてしまうため、仕事としてはいかがなものかと思う。引き受けるなら、「えいやっ」と不安ごと引き受けたい。そうすることが自分を奮い立たせるために必要で、大切なことだと思っている。責任感が芽生える瞬間だとも思うのだ。

とはいえ、内心ビクビクしているのも、よくないのではないかなあと思っていた。冒頭で言ったとおり、自分で自分に防御線を張っているみたいだから。


ただ、最近、「恐怖自体は別に悪いものではないのかも」と思う出来事があった。

きっかけは、数週間前に行ったスパの露天風呂で見たテレビ番組だ。そこではちょうど、とある動物園の特集をやっていた。

その動物園では、麻酔薬を極力使わずに、動物に注射ができるのだそうだ。もちろん檻の中にいる状態ではあるけれど、ライオンやトラといった猛獣にも、麻酔薬なしで採血をしているらしい。その結果、動物たちに麻酔薬を使う機会をぐんと減らせている、という内容だった。

1ヶ月かけて慣れさせ、習慣づけたらしい。そんな飼育員たちに、取材者が尋ねた。

「もう怖くはないんですか?」

質問に答えた飼育員は、「いや、怖いですよ」と言った。そして、「怖くなきゃ、いけないんです」と続けた。


怖くて萎縮するのは、相手(動物)に伝わってしまい不安がらせてしまうため、かえって危ない。しかし、怖さが消え去るのも、油断につながるから危険なんですよ、と飼育員は説明した。

確かに、その通りだ。

人間は、慣れる。慣れてしまうと、ゆるみが生じる。そのゆるみは油断になり、そういうときに、大きな事故や失敗が起こる。

……ということは、わたしの怖さも、萎縮するレベルでないのなら抱え続けておいていいものなのだろう。むしろ、ある程度は抱え続けていた方がいいものなのかもしれない。天狗になりはしないとしても、油断していいことなんて何ひとつないのだから。

程よい怖さは、緊張感につながる。当たり前のことだけれど、小さな気づきだった。


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