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死ぬほど苦しんだ先の、幸せな暮らし

日本のホテルや旅館には「4」がつく部屋がないのだと聞いたのは、何歳の頃だっただろう。「4」は「死」を連想するから、というのがその理由。本当に「4」がない部屋がどれくらいあるのかは知らない。

4と同じく、9も日本語ではあまりいいイメージを持たれない。「苦」だから。ただの語呂だけれど、日本語には連想させるものが多い。末広がりの八、とか。算用数字なら8は∞だ。ことごとく縁起がいいなあ。

そんな4月9日。今日はわたしの誕生日だ。歳をとる、と考えたらあまりめでたくはないけれど、無事に1年を過ごせたと考えるとめでたいことだし、ありがたいことだ。

歳を重ねるにつれ、誕生日を喜ばない人も増えるように感じているけれど、わたしは割とうれしく思うめでたい人間だ。TwitterやFacebookやLINEで送られてきた「おめでとう」も、素直にうれしかった。ただ、実年齢の数字が与えるイメージとセルフイメージとのギャップが広がる一方で、そこだけは複雑な気持ちなのだけれど。オトナってなんですか……。

「この子は誰かに養われなければ生きていけないタイプ」だと、両親はおろか祖父母・叔父叔母にまで思われていた、らしい。帰省時、母から叔父が実家に来たときにやたらと褒めてくれていたと聞いた。「あの若菜ちゃんが、たくましくなって……!」みたいな。実際にたくましくなれているのかどうかはさておき、昔よりはマシな自分になれていると思う。

10年前は、誕生日の語呂通り死ぬほど苦しんでいる最中だった。すでに大学は辞めていてフルタイムアルバイターだったのだけれど、「正社員にならなきゃ」と思いながらも決まらない就職に頭を抱えたり、もし決まったらそれはそれでどうしようと取らぬ狸の何とやらで病んでみたり、理由なきジェットコースターメンタルに振り回されたりと、まだまだ不安定な日々を送っていた。

基本安定しているときのほうが少ないタイプではあるのだけれど、その当時は特に暗闇にいる状態だったことを憶えている。年齢的にはまだまだ未来ばかりだったはずなのに、自分には未来がまったくない感覚。なのに、肉体は生き続けていて、生体活動をしなければならない矛盾。楽しいこともたくさんあったけれど、体だけが生きている日も多かった。

今も真っ暗闇に放り込まれることがある。ただ、昔とは違い、今のわたしにはあの頃のわたしとは違って未来がある。残された時間は10年分短くなっているのに変な話ではあるのだけれど、子どもと仕事が未来をくれているのだろう。

長期的な視野を持つのが苦手だ。遠くを見れば見るほど、視界不良になって気持ち悪くなってしまう。数年先の自分をイメージしながら生きたほうが生存戦略的にいいとも聞くけれど、わたしの焦点は今に限りなく近いところで合っている。

未来志向だと言い切れるほど、前向き人間にはやっぱりなれない。けれども、過去の「今」を積み重ねてきた結果が今のわたしなのだから、まあ十分上出来なんじゃないかな、なんて思う。「ここらでいいや」と満足するわけじゃないけれど。うん、投げてもらえたボールを少しでもうまく投げられるようにはなっていきたいよね。また投げ返してもらえるように。

新年度に合わせて訪れる誕生日は、わたしの新たな1年のはじまりだ。「幸せ」に「暮らす」1年にするために、また一歩ずつ歩いていこう。

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