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あえて、あなたを選んだ

先日、「わたしがいなきゃ」と仕事を抱え込む人のことをnoteに書いた。自らの必要性を高めることで、己の価値を見出している、といったような内容だ。

実際には、「この人でなきゃ」という事態は仕事上そうそう起こらない。どれだけ頼られていようが、いなくなれば何だかんだ問題なく進むものだ。いや、先日書いた通り、回らなければ(回さなければ)いけないわけだけれど。

「わたしがいないと」という思いは、独りよがりで脆いものだ。慢心であるケースも多いだろう。


それは、今のわたしの仕事でも同じことだ。「この人でなければ」という仕事もあるだろうし、そうした仕事をしているライターの存在も思い浮かぶ。対外的に名前が売れている人ほど、「この人だから」という仕事をしているのだろうと思う。

わたしはというと、全然そんなことはなく、わたし以外でもできる仕事を多く請けている。ただ、そのようななかで、今は「(ほかの誰かでもいいのだけれど)あなたに頼みたい」と思ってもらえるありがたさを強く感じている。

きちんと書いてさえくれれば誰でもいいから、どばっと一斉に投げるね〜。……という仕事もある。欲するレベルのものは書けないといけないわけだけれど、それさえクリアしていれば誰でもよくて、向こうが誰かを指名することもない。そんな仕事だ。

一方で、「ほかの誰かでもできる仕事なのだけれど、依頼するならこの人がいいな」という仕事もある。これは決して「この人でなければ」というわけではないのだけれど、少なくとも依頼してくれる人にだけは「この人がいい」と思ってもらえている仕事だ。

わたしは、この「あの人に頼もう」と思ってもらえる仕事に携われるのが、とてもうれしい。

別にわたしでなくても構わない仕事だ。そこを、何かの理由をもって、数いるライターの中からわたしに依頼してくれたことがうれしい。ありがたいなと思う。

自己肯定感が低めなこともあり、「これこれこういう理由で」と説明してもらえた日には、内心ジタバタしながら「ありがとうございます……!」と返している。そして、理由をもって依頼してくれたクライアントさんとの仕事は、総じて「しっくり」くる。依頼を決める前段階にnoteやTwitterを見てわたしのことを把握してくださっていたのかはわからないけれど、やり取りもしやすく、気持ちがいい。

わたしは人間関係を重視して仕事するタイプなので、やり取りが気持ちいいなと感じる人との仕事は、恐らくパフォーマンスが勝手に向上するのではないかと思っている。力の入れ具合が変わるわけではないのだけれど。いくら淡々とした個性を入れない文章だとしても、書き手の熱量は滲み出てしまうものなのだろう。好きなことについて書くとき、文章にその熱が表われるのと同じように。


必ずしも客観的な唯一無二を目指さなければいけないわけではないんだなあ。「せっかくなら、あなたがいい」「あなたなら信頼して任せられる」と誰かに思ってもらえれば、そこから広がるものもあるんだ。

もちろん、「二度とこの人はダメだ」と思われることもあるのだろうけれど、相性なり適性なりがあるので、それもまた自然なこと。至らなかった申し訳なさに凹んだことはあるけれど。

「発信力」「ブランド力」という言葉を多く見かける。もちろん発信力はある方がいいのだろうけれど、したい仕事によっては、それは「絶対条件」ではない。むしろ、無理やり身につけようとする方がマイナスになることだって、ある。まがいものは長続きしないだろうし、クレバーな人に見抜かれもするものだろう。


驕らず、堅実に。
目立たなくても、見ている人はいる。その人たちに恥じない自分でありたい。

そう思いながら、仕事をしている。


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