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「稼ぐ」「儲ける」にそそられない

「稼ぐ」や「儲ける」といった言葉が、昔からどうにも苦手だ。

「日本人はお金の話をしたがらない」という言葉を見かけたことがあるのだけれど、話題としてではなく、単語としての苦手感が拭えない。

身も蓋もないけれど、お金は好きだ。あるに越したことはないし、あるから得られるものも多い。高い収入を目指すこと、目指している人にも嫌悪感はない。そもそも、生活し、子を育てるのにお金は必要だから。


この苦手意識はどこからきているのだろう。そう考えていると、苦手ではない「稼ぐ」の使い方もあるなと気づいた。(「儲ける」はちょっとしっくりこないのだけれど)

それは、「何とかして稼がなきゃ」だ。必要最低限のお金すらない状態では、目的が「本当に必要な額のお金」になる。ひとまず優先すべきは収入だ。数万でも数十万でも、「足りない」分を何とかしなければならない。

過去にわたしがやってきたパートも、「何とかしなきゃ」だった。働き始めてから、その仕事で得られるやりがいや人間関係での出会いが「ついてきた」だけで、前提としてあったのは「お金」だった。

たとえば、わたしは以前新聞の夕刊配達をしていたけれど、始めた理由は事業所内託児所がついていて、その当時に必要なお金は得られそうだったから、だけだ。別に新聞を配りたかったわけではない。

そうしたお金目的で始めた仕事でも、一旦働き始めてしまうと、「稼ぐ」という言葉は意識から離れる。どうすればより効率的に仕事をこなせるか、どこに楽しさを見出せるかを考えていた。それが、たとえ単純作業であっても。(むしろ単純作業を効率化する試行錯誤が大好きだった)


今の仕事も、元を辿れば「夫が転職して下がる世帯収入を補うため」に始めたものだ。だけど、わたしは「稼ぐ」「儲ける」を使う気になれないまま今に至る。

それは、きっとわたしの中で、まず目の前にあるものが「仕事そのもの」だからなのだろう。お金はその結果「いただける」対価であって、まず前提としてあるものは、お金よりも仕事だ。

もちろん道楽でやっているわけではないから、お金のことを常に度外視していいわけではない。やりがいだけに全振りしてしまうと、結果的に続けられなくなってしまうから、それは違うと思っている。

だけど、お金を前提として動きを決めているわけでは、やっぱりない。

高収入を叩き出している人のなかには、「お金をモチベーションにできなくなった」と話す人たちがいる。わたしはそういう人たちとは違い、慎ましやかな収入ではあるけれど、この気持ちはとてもよくわかる。

なんだろう。そもそもお金を使ってやりたいこと、手に入れたいものがあまりないタイプだったから、なのかな。

もちろん収入が増えればうれしいのだけれど、そのうれしさは稼ぎという観点からくるものではなく、「対価」としてそれだけの価値を感じてくれていることへのうれしさのように思える。

……なお、差し出せる価値が対価に見合っているのか、初仕事では特に緊張するものだ。ただ、その判断はわたしができるものではないので、やれる限りやる、を意識している。


わたしの中で、「稼ぐ」「儲ける」は対価としてのお金から離れた位置に存在する言葉なのだろう。だから、すでに仕事を受けている立場で使うことに、抵抗感や違和感があるのだろうな。

わたしにとって、お金は「得られる」「いただける」ものだ。「これをやれば稼げるよ」より、「これをやればよりよい仕事ができるようになるよ」の方が惹かれる。

そして、磨いて精進して役に立てるようになれば、結果として収入の変化にもつながっていくのが今の仕事だ。(過小評価をし続けるのも、それはそれでよくないことだと思う)

わたしは、これからも「やれること」を磨いていきたい。その結果としていただける対価が増えるのであれば、ありがたいことだなと思っている。


なお、過去にも似たようなことを書いてまして。ある意味でこれはわたしの軸なのだろうと思っている。(考えていることを書き記しておくのは、軌跡を振り返るときに役立つね)


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