「普通」に生きられないらしい


この5年〜10年で悩んでいたこと
今は検索したら、対策とか同じ症状の人が見つかるようになってきたから
随分生きやすい時代になってきたよね、と思う。

わたしが社会に出たのは、8年くらい前だったと思う。
高校生になって、アルバイトをはじめた。
最初は、ジャンクフードを売ってるお店。

何にも考えてなかった。
お金が欲しかったからはじめた。

制服が半袖で、浅くだけどリストカットしているのが見えて
レジで白い目で見られたこと、
それでうまく接客できなくてクレームになったことを思い出した。

思えばその頃からルッキズムやフルイドはあったけど
言葉にもできず、当たり前のように人から嫌われていた。
それは田舎だったから、だけではないはずだけど
バイト先にはやはり顔面偏差値が高く、人を見下し
先輩の男性や社員には気に入られている人がいた。

数ヶ月して、飲食店はざっくり言って向いてないと思ってやめた。

その後、家の近くのドラッグストアで働き始めた。

「高校生のバイト」ってそもそも期待されてないから
あの頃はよかったな、と思う。
「アルバイトの経験がある」ってだけで、他に働いている高校生のアルバイトより、スタートダッシュが早かったし、”小遣い稼ぎ”程度のやる気で働いている他校の人と比べてわたしは「生活費」として働いていたから、それはもう歓迎された。

新卒で社員になった会社へは、高校時代のドラッグストアの経験があったからこそ、と言っていいくらい、ドラッグストアのバイトはあっていて、今月はコレを売ります、みたいな期間はドキドキしながらおすすめしてそれなりに数字を出していたように思う。

高校を卒業するにあたって、上京するって話も、バイト先で出会ったお客さんにしていたくらい、2年くらい続けていたから顔見知りも増えて、やめるときにはお客さんからプレゼントをもらってしまったくらいだ。

こうして書いていると、十分ちゃんと生きれていたのだな。と思った。

高校時代は、比較的マシだったかもしれない。
中学くらいで、自分は生きることに向いてないって気づいて、高校も、学校内では成績は悪くないもののかなり協調性のない人間だったけど許されていて、やりたいことはちゃんとやっていたからか、なぜかそれが評価されて生徒会にも入っていたからか、ずっと「木下さん」とクラスメイトからも距離のある呼び方をされていたように思う。

専門学校は、単位も落として課題でなんとかしたくらい、バイトと同棲生活に悩んでいた覚えしかない。

そして就活。
趣味系専門学校に行ったけれど、バイトで現場を学んで、目指していた職種は向いてないとわかったから、東京にいるために”普通”に就活をした。
一通り、求人が上がってきた大手とか、好きだったアパレルのブランドとかに応募した。
音楽が好きだったから、そういうのも見た気がするけど、就活、ほとんどの求人が”大卒以上”だった。

結構落ちたし、なんで趣味系専門行ったのにうちの会社受けてるの?って思われながらも、新卒で入れたというか、行きたいと思えた会社はドラッグストアも営業先にあるような、メーカーの営業代行の会社だった。

入社して、同期は5人だけど、みんな大卒。
それも会社がマーケティング・広告系だからか、商学部とかテニサーとか、コミュ力もプレゼンも十分な”普通以上”な人たちだった。

研修を一緒に受けるけど、全然ダメで、あ、やっぱり大学って行って価値のあるものなんだなって思った。
でも、2歳か3歳若いってことだけは、強いと思っていた。

そして配属。
そんな部署あったの?っていうような、窓際の部署で目が死んでいる先輩(役職なし・一回り以上年上の男性)の下に就く。

今となっては、よく2年も続けたよ。と思うくらいしんどい仕事だった。
ただ、20歳で社会に出た自分は、これが”普通”だと信じたかった。
し、それがやっぱり時々うまくできなくなる自分にとてつもない嫌悪感を持っていた。

やめたら東京に住めなくなる。生きていけなくなる。
「普通になれない 生きる 方法」とかで検索したのは10回程度ではないはず。

まじめに悩んでいた。
いよいよ、電車に乗れなくなったり、吐いたり、血便が出たり、睡眠薬を常飲するようになって、、、
面談があったときに、勢いでやめると伝えた。
ボーナスが出た後の、年末年始のお休みに入る直前だったと思う。

やめると伝えて会社を出た瞬間から、ISO感度が1000くらいになった気がした。
会社に行ってた時は100くらいだった毎日が、急に輝き出した。

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経歴が長くなってしまったけど
5.6年前に悩んでいた時、
検索をしていると、なんども発達障害の項目が出てきた。

忘れっぽい
遅刻する
道を覚えられない

最近になって、HSPという言葉を知ったけど

周りの会話や空気を気にしすぎる
人のネガティブな感情に引っ張られる
同時にたくさんのことができない
爆発したように調子を崩す

とか。

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会社をやめて、フリーターをしていた。
同じように無理なことはたくさんあって
失ったものも数えきれないけど、まだ生きている。


ジェンダーについて分かったことで随分生きやすくなった。
ADHDの人と仕事することもあった。
自分は診断されてないだけあって、ほんとうに診断されている人は
わたしどころではなく大変だと知った。

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また、最近、会社でアルバイトをはじめた。
3日目に早速遅刻した。
4日目に、また道に迷って到着がギリギリになった。
PCで仕事をしていると、同時にいろんなことを考えてしまって
結局何も進んでないこともある。

HSPだからとは言わないけど
会社の空気感が、面接の時と印象が違いすぎてとても困っている。

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ただ、今は、まだモチベーションがある。
行きたかった、働いてみたかった会社に10%未満の倍率で
採用してもらえたし、ジェンダーのことも伝えたのに
一緒に働きたいって選んでもらえたのだから。

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さてこれからは、この症状・状況に、どうやって向き合って行くかなんだ。

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”普通”って今の時代はもう、あってないようなもんだとも思う。
もし悩んでる人がいるなら、誰かを嫌ってしまう前に
受け入れてもらえる場所や人を探したら見つかるんじゃないかと思う。

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病気じゃなくても、自分の特性として、生きづらさを認めることで
調べたら結構な確率で同じように悩んでる人が見つかるようになったし
何をしたら、少しマシに生きられるのか載っていることも増えた。

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わたしが、小・中学性の頃、学校に行けないことで悩んで調べたら
「甘えだから行け」「いじめられる方が悪い」と書かれていた。
今はきっとそうじゃないと思う。

わたしが新入社員だったとき、「チビ」と上司から呼ばれていて
総務や人事に相談したら、「悪気があって言ってるわけじゃないんだから、ニックネームかわいいじゃん」って言われたけど
これが今だったら、「○○ハラ」とかそういうので訴えられていたかもしれない

今アルバイトしている会社は、服装も完全に自由だし、挨拶や会話がないことくらいがちょっと気になるくらいで、かなり時代の先を行っていると思う。

実際に関わっているプロジェクトも、続けてさえいれば、目に見える形で世に届くものだから、わたしは今の会社でもっともっと役に立てる人になりたい。

明日も9時には家を出るから、8時には起きなければいけない。
今日は、朝起きたとき何時に家を出るのか忘れていた。

忘れっぽいからこそ、カレンダーに時間を入れるし
メモして寝てもいい。
リマインダーもよく使っている。

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「できない」言い訳にしないための行動を少しずつしていけたらいい。

HSPだからこそ、人や空気が求めてることを先読みできて動ける仕事をしているのは活きていると思った。

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社会や親や世間じゃなくて、「自分の普通」で
健康に楽しく生きていけるのが幸せだから。


うまく言葉にできなかったけど、誰かの普通にはなれなかったけど、自分の生き方を見つけたから、自分の持てるカードを最大限に使える環境でこれからもがんばっていきたい。

















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