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短編小説集

84
短編小説を挙げています。
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#青春小説

ハムレット

ハムレット

「久し振りだな」
 右手を申し訳ない程度に挙げて、彼は微笑んだ。会っていなかった空白の時間なんてものは存在しなかったのではないかと疑ってしまうくらいにフランクで、それこそ昨日一緒に居たかと思わせるほど普遍的な彼の姿に僕は彼に倣うように左手を挙げることしかできなかった。右手に持ったゴミ袋が不意に重くなった気がした。
「まだ、ここでバイトしてるのか?」
 彼は近づきながら問いかけた。僕はゴミ収集場所に

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空虚な目をして何を思う

空虚な目をして何を思う

 何故、自分自身に満足できないのだろうか。
 ベッドの上に身体を預け、ぼんやりと考えてしまった。考えてしまったら最後、僕は設問を解くために腐っている脳みそを動かして答えを探してしまう。泥沼に嵌まったような時間だ。精神的にも追い込まれる。考えている間は設問にばかりに意識がいく。無意識で緊張する身体はこわばっていく。結果的に疲弊して、せっかくの休日が過ぎ去ってしまうことを分かっていながら、僕は答えの見

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忘れ物

忘れ物

 スマホで連絡を入れても反応が無くて、イライラしながら控え室を歩き回る。こういう時、歩幅は正直に感情を映し出す。普段からいなくなることは多かったが、今日は大舞台。嫌な予感が胸をよぎった。
 地図を参考にして歩き回ったことで、このフロアのことは一頻り頭に入ってしまった。どうでもいい情報が脳内を汚染し、大切なものが抜け落ちていくようだ。これで十回目の発信、相変わらず虚しい発信音が耳元に届く。しばらくし

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仕事終わりは仮面が剥がれる。

仕事終わりは仮面が剥がれる。

 集合場所であるターミナル駅の改札は、さっきまで居たオフィス街よりも賑やかだ。ウキウキした表情を浮かべる人の割合の方が多く、カップルや集団で行動する姿が目に入る。各自の話し声が重なり、不協和音を起こしているけれど、都会と思えば全て飲み込めてしまう。不思議なもので、東京という場所には喧噪がよく似合っている。
 改札前に設置された円柱に身体を預け、スマートフォンの音量ボタンを連打する。学生時代に聞き続

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深夜の本音

深夜の本音

 テレビを点ければ、似たような番組構成で、同じようなことを話し続けていた。不安を煽る情報の数々が、ただでさえ疲弊している心身の上に乗っかっていく。土台が揺らいでいる状況では堪える内容に辟易して、テレビに向かってクッションを投げつけた。気付けば日常は取り上げられて、新しい生き方を強要されている。洗脳に近い方法論の中で視覚や聴覚、更には思考回路まで毒されていくような恐怖心が芽生え始めていた。
 このま

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リフ

リフ

拙い記憶が鮮明に蘇ってきたのは
ニュースで流れた雪の街が映ったからだ。
思い出したくなくて、でも愛しい時間。
あの頃のボクは何も知らないガキで
真っ新なキャンバスみたいだった。
部屋の窓を開け、外を眺めてみる。
雪は降っていない。分かっていたさ。
代わりに眠らない街の明るい光が
夜なのにも関わらず灯っていた。
東京タワーも渋谷のスクランブル交差点も
今では日常、あの頃からすれば夢物語を
しっかりと

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明け方の乾杯

明け方の乾杯

 部屋に着いた途端に、屋根が雨粒を弾き始めた。好きな音に耳を傾けながら、僕は乗っていたロードレーサーを部屋の片隅に置く。フローリングの上に、通販やスーパーで貰った段ボールを敷いたスペースは異彩を放ち、違和感を体現していた。
 エアコンのリモコンの電源ボタンを押して、冷風を求めた。瞬時に涼しさを手に入れられないのが難点だな、と呟きながらも唯一の冷暖房器具が動く出す時を背負ったカバンを下し、着替えなが

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寝ぐせ

寝ぐせ

 目が覚めると、隣で眠っていた君の姿は無かった。ベッドの横に置いた時計は午前7時半を少し過ぎていて、休日にしては早起きをしてしまった。もう少し寝ていたい。本音を飲み込んだのは、やっぱり可愛い寝顔が見れなかったからだろう。
 眠気眼をこすりながら、部屋着のまま寝室の扉を開く。嗅覚が芳しいコーヒーの香りを察知して、眠気が少し醒めていく。リビングのテレビからは、深夜に放送されていた番組の映像と笑い声が流

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グラウンドの中心を見つめて~青年編~

グラウンドの中心を見つめて~青年編~

「まさか、こんなことになるとは思わなかったよ」
 真夏の横浜スタジアムのマウンドの上で、奏多と正対して亮太はこぼした。
「オレは、そうは思わなかったけど?」
 あっけらかんと、ここにいることは当たり前だと言わんばかりの表情で、奏多が口にした言葉は疑問文であった。まるで、その先に隠した何かを触ってほしいと訴えているように亮太の目には映った。
「さすがだよ」
 亮太は敢えて触れることなく、奏多の後方で

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グラウンドの中心を見つめて~思春期編~

グラウンドの中心を見つめて~思春期編~

[いよいよだな」
 そう呟いて亮太は三塁側のベンチでストレッチをしている奏多を見つめた。奏多は、防具を着た背番号二番と談笑をしている。それがなんだか気に入らなかった。
 お互いの意思で選んだ道で、再び交わることになった現実は亮太を高揚させ、いつも以上にアドレナリンが脳内から放出され、全身に通っていくのを自覚していた。しかし、それと同時に奏多のボールを受けるのが自分でないことへのやるせなさと相手捕手

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グラウンドの中心を見つめて~少年編~

グラウンドの中心を見つめて~少年編~

 亮太が奏多と出会ったのは、九歳の春。
 教室で見ていた時の彼の印象は、いけ好かない奴だと思っていた。でもグラウンドで見た印象は、それとは大きく異なっていた。今思えば、単純な嫉妬。好きとか付き合うとかいう概念が乏しい、けれど幼く淡い恋心を抱いていたかおりちゃんが、奏多のことを好きだという話題が教室の中で広がっていた。
 本当か嘘かは分からなかったけれど、そのことが亮太は気に入らなかった。生まれて初

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春の帰り道

春の帰り道

 冷たい風に吹かれ、顔が痛い。指もかじかんでいる。そんな状態にも関わらず、アジカンの『リライト』が脳内に響いていた。
 サビの「消してー」のタイミングで左人差し指で内側に押す。ハンドルとブレーキの間にあるギアシフトのレバーが外に押し出される。同時に、カチャ、と心地の良い音が耳に届く。フロントギアの小さな歯車が大きな歯車へと移動した瞬間、軽快に回していたペダルが急に重たくなる。両足の力に負けない抵抗

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虚像と現実の間で

虚像と現実の間で

「応援してるよ、頑張れ、ヒカリ」
 小雨が降り落ちる新宿の歩道橋で叫んだ。恥ずかしさを飲み込みながら、伝えた言葉は、彼女の耳に届いた。そのことを証明するように後姿だった彼女は振り向いて、紡の姿を見つめた。紡と彼女のやり取りをもの珍しそうに、それでいてイタイカップルだと言われるような目線が絶えず刺さってくる。
 初めて会った時、整った顔によく似合っていた長い髪をしていた。でも目の前にいる彼女は、驚く

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まっすぐに純粋に

まっすぐに純粋に

 アスファルトに陽炎が出来ている。夏らしい風景ではあるが、連日のように続くと嫌気が差す。だからと言って梅雨のように雨が降り続けたとしたら、それはそれで暑さと同じように嫌気が差す。人間という生物はない物ねだりだ。そんなことが不意に頭に浮かび、苦笑してしまう。
「人は後悔する生き物です。だからこそ、後悔の無い人生を歩んでほしい」
 高校生活最後の日、学生服を着て受ける最後のホームルームで担任の教師が言

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