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リフ

拙い記憶が鮮明に蘇ってきたのは
ニュースで流れた雪の街が映ったからだ。
思い出したくなくて、でも愛しい時間。
あの頃のボクは何も知らないガキで
真っ新なキャンバスみたいだった。
部屋の窓を開け、外を眺めてみる。
雪は降っていない。分かっていたさ。
代わりに眠らない街の明るい光が
夜なのにも関わらず灯っていた。
東京タワーも渋谷のスクランブル交差点も
今では日常、あの頃からすれば夢物語を
しっかりと歩んでいるから不思議だし
人生っていうのは何があるか分からない。
「ここまで来たけれど欲しいものは
何も得られないままか……カッコわりぃ」
誰に聞かす訳でもない独り言は
肌寒くて星の見えない空に消えていく。
窓の横の柱に寄りかかり
虚無感を抱きながら過去のページを捲る。
長かったような短い道のり、戻らない青春だ。
昔ならタバコを吸い始めるシチュエーションで
毒々しい煙が恋しくなった。
身を粉にして、タバコを灰にして積み上げた
人生の成果はあっとういう間に手から離れ
どこか手の届かない場所へと行ってしまった。
そういえば、ギターも弾いていないな。
柔らかくなった指を触りながら口ずさむ曲は
あの頃、勢いと情熱で作り上げた
拙くて青臭い、最高の名曲だった。

ギターを弾く手が勝手に動く。
何十、何百と繰り返したリフは
しっかりと身体が覚えていた。
無数のライトに照らされて
額には汗が流れる。
抱いたことのない感情と
鳴りやまない声援と手拍子に
勇み足になりそうだった。
横目でステージを確認する。
ベースもボーカルも表情は
今までで一番の笑顔だった。
その表情に違和感を抱いてしまい
嫌な予感が胸を染めていく。
脳内に浮かぶ楽譜を無意識で追いながら
コードに合わせて指を動かしていく。
耳ではボーカルのハイトーンの声を
ベースのスタッカートも
ドラムのダブルスクロールも
ちゃんと聞き取れていた。
大丈夫、大丈夫だ。何度も何度も呟く。
まるで自分の存在を確かめるように。
四分二十三秒、間違いない。
ミスなく終えた一曲。
安堵感が胸を広がっていく。
馴染みの箱は僕たちを祝福するかのように
鳴りやまない拍手が続いていた。
勝った。その確信は僕たちの表情を緩めた。
予想通り高校生バンド東北代表の座は
僕たちが掴んだ。初めて得た勲章だった。
ライブハウスを出て、四人で歩いた帰り道。
夢見心地のベースが唐突に呟いた。
「デビューも夢じゃなくなったな」
その声が上ずっていたけれど
感情を爆発するには十分だった。
気付けば僕らはバカみたいに
雪の降る大通りで叫んだ。

あの時感じた嫌な予感は見事に的中した。
時間が経った時、意地悪な顔をしていた。
アイツらは元気にしているだろうか。
そして僕のことを許してくれているだろうか。
あの笑顔を奪ったのは間違いなく僕だ。
全国大会一回戦、リフをミスったことで
崩れた演奏は見事なまでの惨敗。
やり直すリベンジの機会はあった。
でも弱くて脆かった僕は逃げたのだ。
あの日を境に背を向けた仲間のことを想う。
自分本位な思考回路に嫌気が差す。
部屋の中でつけぱなっしのテレビの画面が
ニュース番組から音楽番組に切り替わっており
スリーピースバンドが紹介されていた。
アイツに雰囲気の似ていた。僕は言葉を失った。
曲名とテロップが画面後方に映り、目を疑う。
作詞作曲には、確かに僕の名前が記されている。
そしてあの頃と同じようにリフから始まった。
僕の罪の証。後悔の音。
僕が弾くよりも何百倍も巧いリフ。
気付けば演奏に見入っていた。
アイツらの息子たちが
僕が潰した夢を叶えていた。
東京の街に来た時に心の奥底へと
閉まったはずの本音が溢れ出していく。
涙を流せなくなったはずの頬に
一筋の涙が流れ落ちた。
「パパ」
僕を呼ぶ娘の声が後方から聞こえた。
あのミスからもう三十年が経つ。
消えない後悔を背負ったまま僕は
大人になり、そして父親になっていた。
「僕は許されたのか?」
力弱く呟いた言葉に
かすかな希望を込めていた。

文責 朝比奈ケイスケ

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