朝比奈ケイスケ
短編小説を挙げています。
絶え間なく進む日々の中で、感じたことなどを綴っていこうかと。
今まで書いてきた140字小説集。 140字という文字制限のある短い物語。 http://asahina-keisuke.xyz/category/novel/
【あらすじ】 水野和樹は父親の友人が営む写真館でバイトする大学四年生。趣味であるカメラに夢を抱いていた時期もあったが、気付けば社会のレールに乗るように漠然と就職活動に勤しむ毎日を過ごしていた。また仲の良い同級生と過ごしながら、片想いをしている茜に告白できないでいた。大学生活の最後の一年で将来の進路や片想いに悩み、自分の答えを探していく。
午前4時過ぎ、オフィス街は人知れず朝を迎える。 呆れるほど高いビルとビルの間から差し込む朝日を見たことのある人はどれだけいるだろうか。 スーツ姿のサラリーマン、財布を持って歩くOLのいない景色の代役は、ビルの死角に置かれたゴミを回収するつなぎを着た清掃業者か、店舗に商品を納品する業者が担っている。華やかとは一線を画す姿は、きっと舞台の裏側によく似ている。物語に沿って綺麗に整えたセットや備品の裏は、大抵張りぼて。むき出しになった骨組み、やけに暗い照明や埃っぽい空気を想起す
憧れた東京の街はフィクションだった。 賑やかで煌びやかで、夢を追い掛ける為の出会いに溢れていると思い込んでいた。でもそのほとんどがドラマを見過ぎた影響だと知った。 絶対に東京に行くと秘めた想いを胸に刻んで勉強に励んでいた結果、辿り着いたのはひどく冷たい場所。夜になると思い知る、気心知れた人間関係と地元の存在の大きさを。上京した近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんが、大学を卒業すると同時に揃って地元に戻ってくる理由に触れた気がした。だからかな、描いていた物語とは異なる現実に毎晩泣
「雫ちゃん、忘れられない恋ってある?」 送迎帰りの車内で先輩に唐突な質問を投げかけられて、私は返事に困った。何を言っているのだろう、いきなり。本音を隠すように笑みを作って誤魔化そうと試みた。でもうまくいかない。さっきまで、おばあちゃんやおじいちゃんのにぎやかな声が響いていたハイエース内とは思えないほど静かで、先輩の声は行き場所をなくしたように車内に沈殿していき、そしてエンジン音にかき消されていた。 「いきなりなんですか?」 無言の環境下で始まった先輩との根気比べに負けた私
「ゴメン、待ったよね」 駅の騒がしさに紛れて消えていく謝罪の言葉。でも待ち人は、心配そうな表情から安堵感に変わっていく。その表情の変化を見ていると、申し訳なさが普段よりも重くなっていくのを感じる。 「仕事でしょ? 美加がやりたくて頑張っているだから気にすることはないよ。でもね、無理だけはしないでね。辛そうな表情はあんまり見たくないな」 そう言った彼は静かに歩き出す。クサイ言葉を口にすると恥ずかしいのか、その場から離れようとする。そんな後ろ姿を何度も見てきた。頼りないけど、
「悪い、待たせたな」 顔を赤らめた寿也は開口一番、僕に詫びるように手刀を作りながら言う。その姿は、学生代によく見た姿だった。 「気にすることじゃない」 周囲を見渡せば、着飾った服装をした老若男女で溢れている。クロークには宴を終えて、荷物を待つ列ができている。その誰もがどこか幸せそうな表情をしており、結婚式の会場は幸せという曖昧な尺度を具体的にする建物のように思えた。 「マツと井出は?」 寿也は濡れた手を拭いたハンカチを乱暴にポケットにねじ込みながら訊く。あのハンカチもど
星が遠い。 情けないほど陳腐な感想を抱く自分に嫌気が差すけれど、久し振りに見上げた空が遠く感じたのは、まぎれもない事実であり、東京で生活しているのだと自覚的になった。色々なことに溢れ、下を向くことばかり日常が般化していることへの危機感のようなものが胸を染めていく。 タクシーが横を過ぎていく三車線の幹線道路を横目に歩いていると、マスク姿の人と何度もすれ違う。人工的な光が明るさを確保し、人の発明が聴覚を捉える。嗅覚は文明開化の副作用を嗅ぎ取る。思えば東京での生活は無理をして
有線放送から流れる聞き覚えのあるナンバーで、我に返った。机に置いたスマホを手に取り、時刻を確認する。深夜十二時半。サヤカが部屋を出てから十分も経っていなかった。座り心地の良い自分には分不相応なソファーに腰かけながら、ぼんやりと部屋を見渡す。部屋の大部分を占めるキングサイズのベッドのシーツは乱れ、着ていた服は床に散乱している。人間という生き物でなく、一つの生命体として満たされないものを十個も下の女性に補ってもらったことを想起し、快楽を得た高揚感と背徳感とブレンドした感情を胸で
2020年もあと僅か。 世間が東京オリンピックに染まって、街を歩けば例年以上に外国人とすれ違う。メダルの数に一喜一憂して、スターが生まれるはずの一年だった。でも気付けば、全世界が別の、得体のしれないウィルスと戦う羽目になった一年。きっと世界史には確実に掲載されるだろう。一年前に想像していた景色とは、明らかに異なっていたし、初めて触れる肌触りに戸惑い、真偽不明の情報に踊らされるなんて夢にも思っていなかった。そんな世界で、僕も漠然と存在していた。そう、端役にも端役なりの物語が
聡との関係が本当の意味で始まったのは、トーテムポールの腰巾着こと藤村教諭の下手くそな朗読を聞いていた五限目のことだ。退屈のあまり居眠りを試みるも身体にまとわりつく蒸し暑さのせいで、なかなか眠ることができなかった。 午前中勢いよく降っていた雨は午後になった途端止んでしまい、真っ青な空と暑さが代わりにやってきた。教室の窓から見えるグラウンドには、幾つもの大きな水たまりが出来上がっている。それを埋めるところから部活が始まる屋外で活動する運動部に対して、少しばかり同情してしまう。
子供からの脱皮、そして大人への変態が求められる次なる空間の記憶はやけに鮮明に覚えている。身体の各所に変化が現れ、心が揺れ始める思春期の始まりに足を踏み込みながら、漠然とした形無き社会という化け物に取り込まれる準備及び、化け物で生きる為の順応力を鍛えることになる新たな場所。妙に大人びた思考回路は、読み漁ってきた小説と見続けてきたドラマ、所謂フィクションによって形成されていた。それによく遊んでいた近所のあずさちゃんが、大人の人のように変わっていく姿を見ていたからだろうし、彼女を
キッチンから聞こえる『Bitter Sweet Samba』のメロディが、夢の世界から現実の朝へと戻した。楓はもう起きているようだ。ベッドの上で眠気眼を擦りながら、今朝の出来事を思い出す。楓に甘えてしまったことに恥ずかしさを抱いてしまうけれど、充実感が全身を巡っていた。ベッドから起き上がり服を探す。折り畳みの机の上に綺麗に畳んであるラジオ番組のオリジナルTシャツとスエットが置かれている。思わず頬が緩む。クローゼットから下着を取り出して、机の上の衣服に袖を通す。洗面所で最低限
「ねぇ、今度京都行こうよ」 夕食で使った食器をキッチンに持っていくタイミングで楓は呟くように言った。今日は僕が当番なのにと思ったけど、そのことには触れずに「いいね、京都」と答えるボクはきっと幸せ者だ。 「本当に? じゃあ、桜が綺麗に咲く時期に行こ。絶対だからね、約束だよ」 キッチンの向こうから無邪気な声が聞こえる。水道が流れ落ちる音も聞こえたから、どうやら今日の洗い物は免除らしい。意図しているのか、天然なのかは未だに捉えきれないけれど、手持無沙汰になったボクはテレビの電源
久々に歩く新宿周辺の夜の散歩は、気付けば二時間も経過していた。目的地を敢えて迂回して彷徨っているうちに疲れてしまった。大学生の頃は悩んでいることがあると、頭を冷やすために最寄りだった中野駅から東京駅まで夜通し歩いたこともある。あの時も疲れたけれど、今は疲れの質が違う。不用意な形で年齢を重ねていることを実感してしまう。 腕時計を見て、時刻を確認する。気付けば、草木も眠る丑三つ時。言葉通り、街は明日の為の英気を養うかのように静かで、深夜0時まで立っていたキャバクラや風俗、居酒
キーボードを叩く音が狭い部屋の中に響く。多くの人が寝静まる丑三つ時、オフィス街の一角で眠りを忘れた愚か者は、社会に取り残されたように画面と向き合う。朝と夜の概念を忘れて生きるなんて、思えば大学生以来だ。 酒とタバコを片手に夢や希望で溢れた明るい未来を語ったのは遠い過去。あの頃描いた景色をひと時だけ見ることはできたけれど、長くは続かなかった。現実は甘くはないと身を持って知った。夢見心地だった時間をセピア色にでも編集すれば飲み込めるのかもしれないけれど、悪意に満ちた真っ黒さと
同じ道を歩いている。いつもそうだ。オレは変われないのか? 弱々しく呟いても、声はすぐに消える。だから、いつも同じ姿がくっきりと脳裏に浮かんでしまう。反射的に目を瞑ってしまう。でも結果はいつも同じ、視界が奪われて真っ暗になるだけだった。気持ちを紛らわせてる為に覚えて数年が経つ青春の産物を取り出して火を付けて、息を吐き出す。先端はオレンジ色に着色され、ホタルのようにささやかな明かりを灯し、同時に浮かんでいる紫煙。ゆらゆらと上へ上へと登り、いつの間にか視界から消えてしまう。それ様
テレビを眺めていると感染症の猛威について報道されている。日常に溶け込んだ報道、もう般化して感情が麻痺している。ソファーに腰掛けながらスマホのカレンダーアプリを開き、予定を確認する。クリスマス、大晦日、正月三が日。年末のイベントについて、本気で頭を悩ませる未来は、もっと先のことだと思っていた。けれど現実は悠長に構えていた僕をあざ笑うかのように、目先に突き付ける。考えることが面倒になり、テレビを消して、外出の準備をする。 例年の十一月では考えられないような薄着、それでも震える