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嫉妬

「悪い、待たせたな」
 顔を赤らめた寿也は開口一番、僕に詫びるように手刀を作りながら言う。その姿は、学生代によく見た姿だった。
「気にすることじゃない」
 周囲を見渡せば、着飾った服装をした老若男女で溢れている。クロークには宴を終えて、荷物を待つ列ができている。その誰もがどこか幸せそうな表情をしており、結婚式の会場は幸せという曖昧な尺度を具体的にする建物のように思えた。
「マツと井出は?」
 寿也は濡れた手を拭いたハンカチを乱暴にポケットにねじ込みながら訊く。あのハンカチもどこかのブランド物なんだろうな、なんてことが頭の片隅を過る。
「マツはタバコ、井出は帰ったよ。なんか子供が熱出したって連絡が入ったらしい」
「そりゃ大変だな。子供の熱は侮れないからな」
 しみじみと寿也は言う。あの頃の何人もの女性を泣かしてきた自分勝手な男も、今や二児の父親だ。子供の体調不良で家路を急いだ経験も多いのだろう。やけに説得力があるように感じたのは、経験談が乗り移った口振りではなく腹回りに付いた贅肉だった。どっしりと構えるという言葉を体現した姿は、日々の運動不足を露呈させている。いや、京子さんの作る料理が美味しくて食べ過ぎているだけかもしれない。どっちにしろ、生活習慣病への注意喚起はしておいたほうが良い気がした。
「今日はいい結婚式だったな」
 寿也はやけに高く吹き抜けになっている天井を眺めながら呟いた。今日の結婚式を回想していると思うと、その動きは芝居じみていて滑稽に映る。
「いい結婚式だったよ」
 寿也の意見を肯定してみたけれど、何が良い結婚式で、何が悪い結婚式なのか。その判断は何度も結婚式に出席しているけれど分からないでいた。どんな基準で判断しているのかを問いたくなる衝動を押さえながら、寿也の次の言葉を待つ。
「なんかいいよな、結婚式って」
 具体的なことについて言及することを期待していた僕は肩透かしを喰らってしまい、行き場のない感情の置き場所に困った。寿也にとってはどんな結婚式も良い結婚式になるのだろう。
生産性のない思索に耽っていると、マツが喫煙所から帰ってきた。気立てのよいスーツを着て、背筋を真っ直ぐ伸ばして歩く姿は画になった。マツが僕らの元に戻ってくると、寿也は胸に潜めていた言葉を口にする。
「この後、どうする?」
 僕とマツは顔を見合わせた。飲みに行こう。その意味を含む誘いは、魅力的でもあったが、朝から着慣れない礼服を着ているからさっさと帰ってシャワーを浴びたかった。
「オレ、パス」
 マツは潔く答えた。
「なんでだよ?」
 寿也は残念そうな表情で尋ねる。
「オレは今日広島から来てんの。これから実家にも行かなきゃいけないし、正直厳しいわ」
 就職活動で旅行代理店に就職したマツは最初の赴任先こそ埼玉だったが、それ以降は石川、高知、そして今は広島と転勤を繰り返していた。広島から横浜までは新幹線で四時間くらいは掛かる。そう考えると、ここで無理強いするのは良心が痛む。折角、再会したのだから時間を共有したいと思ったけれど、詰め込んだスケジュールがあるのだろう。マツはマツで忙しく、あの頃の付き合いの良いマツではないのだ。
「次、いつ帰ってくるの?」
 僕は帰ることを前提にして、次の予定を伺う。僕はともかく、寿也にしろ井出にしろ、家庭があるから以前のように簡単には誘えない。マツを材料にして、集まる口実を得ようとする下心があった。
「次は夏休みかな。実家に彼女連れていかなきゃいけないし」
 予想外の発言に一瞬、時間が止まった。それは寿也も同じだったみたいで、沈黙が三人の間に広がった。
「彼女って、結婚するのか? ようやくお前も」
 寿也は下世話な芸能リポーターのように疑問を投げつける。マツは涼しい笑顔を浮かべて、静かに頷いた。
「オレら三十歳だぜ、結婚するのはおかしくないだろ?」
「おかしくなはいし、むしろ大歓迎だよ。ただ、独身貴族の淳平はどう思うかな?」
 ニヤニヤした表情で寿也は僕の顔を見る。マツが結婚すれば、仲間内で結婚していないのは、僕とアイツだけになる。好奇の目に晒されるのは、もはや宿命めいたものがあるからこそ、受け身を鍛錬する準備は怠っていない。
「おめでとう。これでこのグループもみんな所帯持ちだな、僕は嬉しいよ」
「ありがとう。夏休みには時間作って、お前らにも彼女を紹介するからさ、そん時はちゃんと集まってくれよ」
「勿論」
「ちゃんと連絡しろよ。結婚式が初めましてとか、俺は許さないからな」
「誰が言ってんだか。ちゅうことで、今日はパスでよろしく。駅までは付き合うけどさ」
 華麗な手品師のように話題をすり替えたマツは、見事に帰宅のチケットを手に入れた。その器用さは新鮮で、僕の知らないところで変わっていることに自覚的になる。
「んじゃ、独身貴族は付き合えよ」
 寿也はマツのことは諦めたようで、僕に照準を合わせた。明日、休みだから別に飲みに行くことは構わないことを伝えると、寿也は気分よく出口に向かって歩き始めた。
 桜木町駅の改札前は、別れを惜しむカップルが数人いた。仲良く手を繋いで、改札の先に吸い込まれていく姿もあった。そして僕らと同じようにスーツを身に纏い、赤ら顔で歩く集団にも何度かすれ違った。それぞれの休日が映し出されている中で、僕らはマツと別れた。マツの後姿は、身長の高さとスーツが上手い具合にマッチしていて、なんだかドラマのワンシーンを演じる俳優のように見えた。
「んじゃ、行くか」
 僕らは桜木町を後にして、野毛の方向に向かって歩き始めた。
 結婚式に飲んだ酒が効いているからか、僕らの口を軽くする。結婚式の参列者の話から、料理の味、懐かしい友人の話は尽きることのなかった。その中でも一番盛り上がったのは、マツの結婚の話だった。学生時代、童貞を貫き通し、色恋よりもカメラに熱を上げていた男が、近い将来には結婚するという違和感は互いにおかしかった。
「マツが結婚するのに、お前はしないのか?」
 立ち飲みが乱立し始める道に入ったところで、寿也は不意に話題を変えた。
「結婚する相手どころか、付き合ってる人もいない状況で結婚なんて考えられないだろ?」
「でも三十歳、そろそろいいんじゃないのか?」
「何をもっていいんだよ?」
 寿也の意図、それはよく分かる。このままでいいなんて思ってなんかいない。ただ、愛やら恋やらに盲目になれるほど純粋では無かったし、それ以上に考えないといけないことが多かった。
「ここ、よくね?」
 寿也の指さした先には、赤ちょうちんが僕らを誘うように光っていた。
「だな」
 幸い、店のカウンターが二席空いており、僕らは速やかに生ビールを注文した。土曜日ということもあってか、僕らのようなスーツ姿よりも私服で過ごしている割合の方が圧倒的に多かった。狭い空間にこもる焼き鳥の煙とタバコの紫煙は時代錯誤ではあったが、抗体がある僕らにはむしろ心地が良い。中年男性がくだを巻きながら、政治について語っていると思えば、一人で来ていた若い女性の横で上機嫌でグラスを煽るオッサンと、個性豊かな店内だった。
 僕は胸ポケットからタバコの箱と百円ライターを取り出す。それを見ていた寿也は黙ってライターを右手で掴み、僕の目の前に差し出した。僕は火を点けて、煙を吐き出す。正常に頭を回す潤滑油のように、毒々しい煙が全身に巡っていく。
「何、禁煙止めたの?」
 タバコを咥えたままと尋ねると、「お前の横に居ると吸いたくなんだよ」とこぼしてテーブルに置いたタバコをひったくった。
「やっぱりタバコは美味いな」
「京子さんに止められてるの?」
「京子は特に何も言ってこないよ。付き合ってる時から吸ってるし、京子も喫煙者だったしな。気持ちは分かってくれるんだけど、子どもの事を考えると無駄遣いは良くないって思うんだよな」
 遠くの方を見ながら煙を吐き出す横顔には、父親の輪郭があった。何かを得るには何かを捨てなきゃいけない。誰が言ったかすら定かではない提言が頭の中で踊る。
「はい、生二つお待ち」
 タイミングよく差し出されたビールを片手に乾杯をした。店の中に響く喧騒でもグラスが当たる乾いた音は聞き取れた。
 生ビールが三杯目に入った頃、寿也は素面に戻ったような表情で僕の顔を覗き込むように見始めた。
「なんだよ、気持ち悪い。何か、顔に付いてるのか?」
 タバコの煙を寿也の顔に吹きかける。
「今日の結婚式、どうだった?」
 なんだよ、その質問。
「どうって、良かったんじゃない。僕には結婚式の良し悪しを判断する基準がないから、よく分かんないけど、主役二人は幸せそうだったし」
「オレが聞きたいのは、結婚式全体の話じゃない」
「じゃあ、なんだよ?」
 嫌な予感はした。恐らく寿也は、あのことに触れるつもりだ。
「披露宴の余興前のビデオレターだよ」
 結婚式から真っ直ぐ帰りたかった大きな理由。あのビデオレターには触れてほしくなかった。マツにしろ、井出にしろ、僕が座っていた円卓からの視線はやんわりと感じていた。でも誰も言及しなかった。それが正解だとみんな分かっていたのだ。
「アレ、凄かったよな。それに和義も義理堅いよな。友人の結婚式にビデオレター送るなんて。アイツが写った時の新婦側というか女性陣の黄色い声援には驚いたけどさ」
「確かに凄い歓声で、結婚式の主役喰ってたもんな。でもな、その瞬間、オレは思わずお前を見ちまった」
 箸できゅうりの浅漬けを掴もうとしていた手が止まる。
「一条和義ってカッコいいよね」
 さっきまでオッサンにナンパされていた女性の声だ。視線を寿也にバレないようにテレビに向ける。今、話題になっているというドラマが写っている。主演は一条和義。本名は中村和義。オレらの同級生で、一番の出世株。今日の結婚式で、女性陣の視線を映像越しに一気に受けた張本人。そして僕の親友だった奴だ。
 止まった手を動かし、一気にきゅうりを口に運ぶ。水っぽい味と濃い味噌の味が口の中で広がった。
「お前、すげー寂しそうな顔してたぞ」
「どんな顔だよ? それ」
 こんな顔、といって寿也は両手で目頭を下げた。情けないというよりも今にも泣きそうな顔だった。
「和義には会ってないの?」
「会ってないよ。人気者になり過ぎて連絡するのも億劫になる」
 僕はきゅうりを食べた箸で、テレビを指さした。丁度、和義がアクションシーンを繰り広げていた。しなやかに動く身体は、画面越しからでも力強さを感じさせた。
「このドラマ、人気らしいよな。京子も毎週録画してるよ」
「寿也はさ、和義のことどう思ってる?」
「どう思ってるって、なんだよ急に」
「いや、聞いてみたかったからさ。友人が華やかな場所で活躍してるのは、どう思うんだろうって」
「オレは誇らしいよ。友人、しかも高校時代一緒にバカやってた奴がさ、実力派俳優だ、イケメン俳優だって取り上げられてるのは自分のことのように嬉しいし。淳平は、そんな風には思わないのか?」
「どうだろうな。オレはずっと一緒にいた奴だからさ、実感が湧かないというか、本当に和義なのかって思っちゃうんだよな」
「淳平らしいな。そういうとこ。変わってないよ」
「変わったよ」
 呟くように言った言葉は店の煙に飲まれて消えていった。

文責 朝比奈ケイスケ

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