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春、はじまり。

 憧れた東京の街はフィクションだった。
 賑やかで煌びやかで、夢を追い掛ける為の出会いに溢れていると思い込んでいた。でもそのほとんどがドラマを見過ぎた影響だと知った。
 絶対に東京に行くと秘めた想いを胸に刻んで勉強に励んでいた結果、辿り着いたのはひどく冷たい場所。夜になると思い知る、気心知れた人間関係と地元の存在の大きさを。上京した近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんが、大学を卒業すると同時に揃って地元に戻ってくる理由に触れた気がした。だからかな、描いていた物語とは異なる現実に毎晩泣いていた。背伸びして入学した大学はオシャレな人ばかりだったし、街を歩けばイケメンや綺麗な人によく出会う。まるでドラマの世界観。そのこと自体は喜ばしいことだけれど、なんだか自分の居場所の無さを肌で感じてしまう。例えばバイト先とか。高校時代にバイトしていたコンビニと同じ系列のはずなのに、利用するお客さんが違うだけで異なる印象を抱かせる空間は、ある意味恐怖だった。お客さんの多くが何かをすり減らしているような表情を浮かべている。そんな印象を抱くのは、のんびりと過ごした18年間の影響なんだろな。
「沢井さん、時間過ぎてるよ」
 コンビニの店長に声を掛けられて我に返る。時計の針は22時を少し過ぎていた。退勤の時間だった。
「あっ、はい。それでは上がります。お疲れ様です」
 バックルームに戻り、タイムカード代わりの勤怠管理システムに名札のバーコードをかざす。パソコン画面に浮かぶ今日の勤務時間。12時から22時。休憩を除けば9時間勤務で、約一万円という収入は、1ヶ月前と比べたら破格の金額だった。でも一人暮らしを始めたことで出て行くお金も多かったから、以前よりも満足感を得られなかった。
 店内に戻り、お気に入りのお菓子を購入して店を出た。店長は「お疲れ様」って言ってくれたけど、夜勤シフトに入っているおじさんは何も言わず、代わりになんとも言えない目で私のことを見ていた。マスクで顔全体が見えないからこそ、余計に怖さを抱く目にゾッとしたからか、なんだかいつもよりも歩くペースが速くなっていた。気持ちが落ち着かなくて、家とは逆方向の駅前のスタバに立ち寄って春の新作を購入する。地元ではできなかった東京らしい行動は、今でも少しときめく。ストローから伝わる甘さが身に染みていき、次第に気持ちが落ち着いていく。このまままっすぐ帰ろうと思ったけれど、ロータリーにあるベンチが目に入った。一休みがてら腰掛けて、リュックからスマホを取り出す。
 大学で知り合った数名からLINEが届いていたけれど、どれも講義についての質問だった。まだ大学で顔を合わせる程度の関係だから、内容は他人行儀というか、明らかに壁があった。これから一緒にご飯に行ったり、一緒に講義を受けていたら変わっていくかもしれない。でも逆に続かない可能性を考えると、急に不安になる。私は、こんなにも人見知りだっただろうかと問いかけたくなる。
 ベンチから立ち上がり、ロータリーから見える景色を眺めた。22時を過ぎているし、コロナ渦なのに、嘘みたいな数の人が目に入った。タクシーも活発に動いているし、何より、賑やかな声が耳を刺激する。私と同じくらいの年齢の人たちのコミュニティだ。4月も下旬だから、一ヶ月くらいでもう飲みに行くような関係性になっていることに驚いたし、同時に私自身が実に慎ましく生きていることを自覚してしまう。
 ふと空を見上げる。明るく賑やかな東京の空は狭くて星は遠い。
「アイツが見たら嘆くだろうな」
 もう一度、ベンチに腰掛けてLINEを確認する。昨日送った女々しい内容についての返信は無く、既読の文字が虚しく目に入った。
「薄情な奴め」
 カバンの外ポケットに入れたイヤフォンを取り出して、電源を入れる。そして音楽サブスクアプリを起動させ、一番上のプレイリストをタップする。すぐに流れる前奏。よりにもよってアイツが大好きなBUMP OF CHICKENの「天体観測」だと気付くまでに時間は掛からなかった。
「RADにしろ、米津にしろ、元を辿れば根本にはバンプがいるんだよ。そんな伝説的なバンドなんだぞ」
 アイツはよくそう言って、天体観測や車輪の唄といった20年以上も前の曲を好んで聴いていた。その影響を私も受けていて、BUMP OF CHICKENの曲は最新曲よりも昔の曲の方が詳しい。
「午前二時、フミキリに 望遠鏡を担いでった」
 マスクで隠した口元で歌詞を口ずさみながら、ベンチから立ち上がり、まだ見慣れないと今日の街をゆっくり歩き始めた。

「で、今日のバイトは終わり?」
 制服の上にダウンコートを着たアイツは訊いた。寒さを誤魔化すように両手で温かいココアを持つ姿は、小動物みたいで可愛らしさを感じた。でも何故、バイトの終わる時間帯を狙って来店したかは聞かないでおいた。
「うん。せっかくだから家まで送ってよ」
「ったく、オレはお前の専属運転手じゃないんだけど?」
「専属運転手なら車にして欲しいけどね、バイク寒いし」
「わがままな姫だこと。ほら、行くぞ」
 アイツは慣れた動きでヘルメットを私に差し出す。フルフェイスのヘルメットは慣れないけど、きっとアイツの心遣いだ。コンビニの駐車場に止めたバイクに跨がる。走行中にスカートが捲れないように気を付けて座ることも自然とできるようになっていた。それだけ、アイツと二人乗りする機会が多かったことを再確認する。私がちゃんと跨がれたことを確認してから、アイツもバイクに跨がりエンジンを入れる。夜の静けさに差し込むエンジン音を聞けるのも残り僅か。少し寂しい。
「んじゃ行くぞ」
 アイツの声への返事として、ヘルメットを被った状態で背中に軽く頭突きを入れる。その頭突きがスターターピストルの役割を果たして、アイツは右手のアクセルを捻り、ゆっくりとバイクが走り出す。
 自転車や徒歩では見ることのできない景色の移り変わりに儚さを感じてしまう。友達とよく行ったファミレス、部活の道具を買う為に通ったスポーツ店、中規模なショッピングモールをあっという間に通り過ぎて、車がろくに走っていない通りに入る。やっぱり春先にスカートでバイクに乗るのは寒いなと思ったけれど、信号に捕まることなく進んでいく気持ち良さが勝っていた。私の家に向かう上で最後の信号に捕まった。
「なぁ、このまま帰んないとダメか?」
 エンジン音にかき消せない大声が耳に届く。
「少しなら大丈夫だよ」
 少し迷って返事をする。まだ引っ越しの支度が出来ていなかったけれど、アイツの気持ちを汲み取ったからだ。
「ならちょっと付き合え」
 本来ならまっすぐ進むべき道で、アイツは左ウインカーを点滅させる。どこに行くかは分かっていたけれど、敢えて口にしない。
 15分もしないうちに目的地に辿り着いた。予想通り、思い出が詰まった海岸だった。半年前、部活で負けたアイツを慰めて、1年前に告白してきたアイツを振った場所だ。
 バイクを止めて、二人とも何かを言うわけでもなく、黙って歩き出した。今日の海は静かで、星も綺麗に空に広がっていた。波の音は穏やかで、月明かりに照らされたテトラポットは波で濡れて色が深くなっていた。
「ホント、この場所好きだよね」
「この場所以上に海と星を美しく見れる場所をオレは知らねぇから」
「前から言おうと思ってたけど、そういうとこロマンチストだよね」
「そうか? ロマンチストって言われる柄じゃないけどな」
「何? ギャップ狙ってんの?」
「お前に対してギャップ見せてどうするんだよ。オレのこと振ったくせに」
「もしかしてまだ好きだったり?」
「お前にここまで弄られるとは、1年前のオレをぶん殴ってやりたいよ」
 アイツは笑う。もう気にしていないみたいだ。振った後に気まずい雰囲気が流れるのが嫌で、私は平静かつ変わらない態度を保ち続けた。振られた当初のアイツは私を避けるようにしていたけれど、幼なじみで家族ぐるみの関係では避け続けるのは困難で、アイツの本心は分からないけれど、いつからか表面上は元の関係性に戻っていた。
「いつから東京に行くんだ?」
 アイツは不意に訊いた。知ってるくせに。
「明後日だよ、知ってるでしょ?」
「まぁ、知ってた」
「じゃあ……」
 頭に浮かんだ言葉を無意識で飲み込んだ。きっと今の状況には不適切だと咄嗟に感じ取ったからだ。
「今日で終わりか。このツーリングも」
「そうだね。でもゴールデンウィークとか夏休みには戻ってくるし、東京に行ったって連絡はできるでしょ? 今の時代はスマホもあるし」
 私はコートのポケットからスマホを取り出し、水戸黄門の印籠よろしくアイツに見せる。
「ったく、お前は逞しいな。でもな、電波を通したやり取りじゃ伝わらないこともあるんだ。どんなに便利な世の中になっても、ちゃんと向き合って話さないといけないことはごまんとあるし、感じられないこともあんだぞ?」
 アイツは何かを悟った賢者のように呟いた。中古のカブを乗り回し、部活も終わって男子生徒が髪を伸ばす中で坊主を貫いたり、教室ではピエロを全力で演じて、口を開けばロマンチスト全開の青いセリフを恥ずかしがらずに言う変人。そのギャップに打ち抜かれている同級生や後輩がいる理由が分かった気がした。
「ちょっと古くない? 今やリモートとか当たり前になってるけど?」
「時代の進化は分かってるよ。でも根本の部分、というか人間の一番大事な部分にフォーカスして見れば、人間は時代の進化に対応できてないんだよ」
「話が堅いし、回りくどいんだけど」
「要はお前と面と向かってちゃんと話す機会が無くなるのが、寂しいんだよ」
 思わぬ展開に言葉が詰まる。また告白する気か。
「それは私も寂しいけど、ちゃんと話す機会はあるよ。寂しくなったらLINEしても良いよ?」
「ったく。まぁいいや」
 アイツはそう言って黙り込み、背負っていたリュックを下ろして、しゃがみ込んで中身を漁り始めた。そんな姿を見てると泣きそうになるのを察知したから、海へと視線を移した。さっきと変わらない穏やかな波の音に耳を澄ます。灯台から伸びる光が定期的に私たちを照らす。テトラポットに当たる波が防波堤を濡らしているのが目に入った。
「これ、餞別」
 アイツから想像できないラッピングされた袋を差し出された。
「餞別って、何これ?」
「今日は良い天気で良かったよ。明日は雨だし、こんな綺麗な夜空を東京に行く前に見れるお前は強運だな」
 差し出された袋を掴もうと手を伸ばすと、逆に手首を捕まれた。そして勢いよく引き寄せられる。
「ごめん、今日だけは何も言わずに許して」
 アイツの体温を感じる。抱き締められていることを認識するまでに時間が掛かってしまった。本当ならすぐに離れて、ビンタしても許されると思ったけれど、アイツの顔を見たらできなかった。
 初めて男の人に抱き締められて感じる優しい温かさには、アイツが言ったように電波を通しては得られない気がした。再び灯台の光が私たちを照らす。防波堤に映る影が一つになっていた。上京前最後のアイツとの記憶には相応しいと思えたんだ。

BUMP OF CHICKENメドレーが数曲終わった頃、アパートの前に着いた。未だに自分の部屋がある建物という認識が乏しく、帰る度に気恥ずかしさが顔を出す。階段を上がり、2階にある部屋の扉を開ける。誰もいない真っ暗な部屋。東京に生まれた私だけの空間は、消し忘れた換気扇の音だけが虚しく響いていた。
 マスクを外して、リュックを床に置き、買ったお菓子の入ったビニール袋をテーブルに置く。イヤフォンから流れ続ける音楽に耳を傾けながら、部屋の窓を開ける。潮の香りのしない無機質な風が部屋に入り込む。
 そのままベランダに出て、街を眺めた。背の高い建物ばかりの都会の景色。感動したのは上京して3日くらいで、憧れ倒した景色も今では新鮮さが綺麗に抜け落ちていた。ベランダに置いた餞別のサンダルを履いて室外機に腰掛ける。習慣として生活に溶け込んだ行動の理由はきっとホームシックだ。
「はじまりって、楽しいしワクワクするけど切ないな」
 スマホを再度確認する。上京組の地元の友達たちからの東京観光のお誘いのメッセージや講義についての情報を伝えた大学の知り合いからのお礼のスタンプが届いていた。でも……。
 あぁ、ヤバい。今日も泣きそうだ。目頭が熱くなっていくのを感じる。でも止め方を知らない私は無意識に飲み込まれていく。
 ブー、ブー。
 聞き慣れたクラクションがイヤフォン越しでも耳に届いた。思わず音の聞こえる方向に目を向ける。アパートの前に見慣れたカブとシルエットが目に入った。
「ラフ・メイカー参上!!」
 薄情なアイツの声だった。その時、私の涙腺は崩壊し、涙が止まらなくなっていたけど、笑ってしまった。
「バカ」
 私は小さな声で呟いた。その声はアイツには届いているわけもなく、手鏡を持って大きく手を振っている。地元から何時間も掛けてカブで走ってきたバカでロマンチストなアイツが魅力的に見えてしまったのはフィクションではなく、ドラマみたいな現実だった。
 そして午前二時、アイツは私を包みながら優しく手を握ったんだ。

文責 朝比奈 ケイスケ

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