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春の帰り道

 冷たい風に吹かれ、顔が痛い。指もかじかんでいる。そんな状態にも関わらず、アジカンの『リライト』が脳内に響いていた。
 サビの「消してー」のタイミングで左人差し指で内側に押す。ハンドルとブレーキの間にあるギアシフトのレバーが外に押し出される。同時に、カチャ、と心地の良い音が耳に届く。フロントギアの小さな歯車が大きな歯車へと移動した瞬間、軽快に回していたペダルが急に重たくなる。両足の力に負けない抵抗に自然と踏み込む足の力も強くなる。準じて速度も上がる。気持ちが高揚するのを意識しつつ、力いっぱいペダルを回す。国道一号線は今日も渋滞のせいでのろのろと車が動いているのを横目に、自転車専用道路を駆け抜けた。僕が吐き出す息は白く着色され、すぐに消えた。
 前方を確認し、自転車やルール違反のバイクや停車している車がいないことを確認してから、ちらりと顔を回し、後方を見た。追走する何かを見たい、なんて品のないことはしない。ただ、職場の駐輪場を出る時に見た今にも降り出しそうな雨雲を確認する為だった。
「間に合うか微妙なラインだな」
 視点を前方に戻し、帰り道までの時間を脳内で計算する。ロードレーサーに乗って映る街並みは一瞬だ。多くの住宅、時にコンビニや飲食店をあっという間に過ぎ去っていく。百年以上の間、変化しない基本パーツは、人類が発明したあらゆる物や論理よりも崇高だ、と偏った非生産的なことを考えながら進み続ける。しかし、このペースは長くは続かない。自転車専用道路とはいえ、歩道と車道の間に作られているからこそ、信号機という審判を無視することはできない。おおよそ、三十メートル先の信号機は黄色に変わった。
 ギリギリ間に合わないと判断して、ドロップハンドルの先端に備え付けられている特異なブレーキを両手でゆっくり握る。さっきまでの速度がブレーキシューとホイールの抵抗により相殺され速度が遅くなっていく。次第に脳内で響いていた「リライト」はウソみたいに音を無くし、代わりに車のエンジン音や錆びついたママチャリのブレーキ音、誰かの話声が耳元に届いた。夢から現実に急に戻されたような喪失感を抱きつつ、信号機が支配する最前列、車道の停止線の前で立ち止まる。荒く短くなった呼吸は全て目の前に現れては消えていく中、ペダルに装備したツークッリップから左足だけを離し、地面に置いた。完全に止まった状態で、呼吸を整えながら左手首に回したG-ショックを一瞥し、今の時間を確認する。デジタル表示の画面には六個の数字が無機質に並んでいる。二十時二十一分十八秒。
 今頃、早々に残業を切り上げた同僚達は、安い居酒屋で机を囲み、アルコールを片手に会社や上司の不満でもぶちまけていることだろう。もう少し時間が経過すれば、経験上、金や女の話に発展する。その光景が容易に想像できる程度に僕も飲み会に参加していた。今日だって、明日何も無ければ、恐らく参加していたハズだった。それくらい、人と過ごす時間に飢えていたのかもしれない。
 真横に停まっていた軽自動車が動き出す。信号が青になったのだろう。万が一に備えて、信号機が青に変わっていることを目視してから、左足をペダルに乗せて漕ぎ始める。どんな乗り物も一気に加速することはない。特に自転車は両足の力を動力に変換する乗り物の為、初速の遅さは他の乗り物に比べて際立って遅い。さっきのペースに戻るまでには相応な回数を回さないといけない。けれど、この先のことを考えれば、それは難しい。運よく青が続いても、どこかで努力を笑うように足止められることは想像に容易であり明白だった。
 適度なペースを保ちながら、車道と自転車専用道路を隔てる白線の上を進む。油断するとタイヤは真っ直ぐ伸びた一本の白線から離脱してしまう。そうならないように意識するのは、人生に似ているように思えた。その意識は三十歳手前にして、強くなっているのを実感していた。
 いつからか、こうしてはみ出さない人生を過ごすようになったのだろうか。規則正しく社会規範や秩序に飲み込まれ、いつしかはみ出す勇気を忘れてしまった気がした。アウトロー気取りで派手にはみ出すことはなかったが、それでも少しばかりはルールを無視することには、言葉に出来ない高鳴りを抱くことを知っていた。未成年での飲酒に喫煙。カンニングに深夜外出。そこには鮮やかで淡い、青春の記憶の断片が散りばめられている。不意に取扱いに困る記憶が顔を出そうとした。思わずかぶりを振った。
 意識を厄介な思考や思い出に持っていかれていた間に信号待ちをしていた時に割り込み目の前を走っていたママチャリとの車間距離が縮まっていた。
 ゆっくり漕いでもロードレーサーの速度はママチャリよりは速い。速く走る為だけに作られ特化した自転車、ロードレーサーの持っているスペックだ。目の前を走るチェックのマフラーを首に巻いた高齢者が乗るノロノロ運転のママチャリを車道に出て避けて、家路を急ぐ。これが毎日の繰り返しだと思うと、どうしょうない喪失感が胸を支配する。頭が痛くなる。感覚には、働き始めて十年近くが経過している今でも慣れないでいた。もう、あの時のような、今この一瞬を生きているという漠然とした意識を持つことは無いように思えた。ただこの状況を変えられるかもしれない唯一の糸を知っていた。ただ敢えて封印している節が僕にはあった。一緒に付いてくる感情に飲み込まれることを意識して避けていた。今も続く頭痛は過去を思い出そうとするのを拒否している理性なのか、単純に寒さが原因なのか、僕は判断に困った。

文責 朝比奈ケイスケ

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