洸村静樹

第五回仙台短編文学賞プレスアート賞「帰還する光たち」2021年太宰治賞最終候補「三月の…

洸村静樹

第五回仙台短編文学賞プレスアート賞「帰還する光たち」2021年太宰治賞最終候補「三月の子供たち」著者。音楽・美術・地誌・地学を横断し文学に。

マガジン

  • 日々の船出

    美術、小説、音楽などに関する随筆

  • 短編集

    公募に応募した短編など

  • 光響

    主にスマホで撮った写真

  • 初期詩集

    ‪20代の作が中心。甘さも含めて若さゆえの良さもあり残しておくことにした。今書いている小説とは随分違うが、色彩のようなものは共通しているかもしれない。‬

記事一覧

小説を書くひとに100の質問というお題にこたえてみた

小説を書く人に100の質問 あまりに意味のない質問はとばしてます。 Q.1 筆名(ペンネーム)を教えてください。 Q.2 筆名の由来は?   川のほとりに立つ木、水面に反射す…

洸村静樹
3週間前
12

神様のとどめ

「最後は神様がとどめを刺してくれるから、その日まで安心して生きなさい」  母が言ったこの言葉を、折に触れて思い出すことがある。  私は母をごく平凡な、どちらかと…

洸村静樹
1か月前
31

小説に関する覚書、いくつか

小説を書くことは楽しい行為ではない。目は痛くなり、時間も失う。日本語の下手クソさ、語彙の貧困さに落ち込み、呆れる。そもそも日々の隙間時間、一日1ー2H程度でやって…

洸村静樹
2か月前
1

文章とミストーン

文章は音楽と似たところがあり、集中力が途切れるとミストーンが生まれる。表現したい内容と言葉のずれ。例えば落ち着いた内容を書きたいなら「ちょっと」「さっき」と言っ…

洸村静樹
1年前
7

Twitterが変らしい

変らしい。思えばあんなに便利なインフラをビッグデータおよび広告係を担うことでタダでつかえていたのがおかしな話だったのかもしれない。 有料にしたら広告係である無料…

洸村静樹
1年前
1

左肩と目と耳が痛いこと

それはいつも左である。右目が悪いせいか、左目に負荷がかかり、それが耳にいき、肩に行き……を繰り返して左側の筋が全部石のようになり、寝ても治らない眼精疲労から、耳…

洸村静樹
1年前
3

平易な言葉で正確に描写する

ふと思う。「詩」の言葉が苦手になってきてるかもしれない。 言外の意味があったり、言語化できない意味・強度を含んでいたり。シニフィエとシニフィアンが常に一致してい…

洸村静樹
1年前
12

アイスコーヒー

いつからだろう、アイスコーヒーが好きになった。ホットより頭がシャキっとする気がする。季節は問わない。北海道人は真冬にアイスを食べるが、それに近い。ガムシロは基本…

洸村静樹
1年前
13

ゲルハルト(初稿)

ゲルハルト・リヒター展、丁度休みがあったので二日目にいった。 心配性の自分が展覧会に行く際、「コロナ感染」を全く考えなかったのだから、季節はアフターコロナに変わ…

洸村静樹
2年前
3

ここまでのこと

第五回仙台短編文学賞に入賞した。プレスアート賞。いつものように電話が来て(薬局にいた)、今回は新聞に記事が載り、4月5日発売のKappo仙台闊歩で作品とインタヴュー…

洸村静樹
2年前
3

短編を書いたこと、それから

短編の文学賞に出した。短編は小さなテーマを、短い時間軸で、技巧を凝らして書き抜く「引き算」のセンスが必要とされる。 このため、自分は神の不在を前提として、信仰と…

洸村静樹
2年前
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青い絵

洸村静樹
2年前
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Kodak M38 + ULTRA MAX Film Print Vol01

洸村静樹
3年前
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光響2

洸村静樹
3年前
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光響

洸村静樹
3年前
4

小説を書くひとに100の質問というお題にこたえてみた

小説を書く人に100の質問

あまりに意味のない質問はとばしてます。

Q.1 筆名(ペンネーム)を教えてください。
Q.2 筆名の由来は?
  川のほとりに立つ木、水面に反射する光の様子

Q.3 主にどんな小説を書いていますか?(長編・短編・掌編など)
 純文学200枚前後

Q.4 主にどんなジャンルの作品を書いていますか?
 純文学

Q.5 作品はどこかで公開していますか?(商業誌・同人

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神様のとどめ

神様のとどめ

「最後は神様がとどめを刺してくれるから、その日まで安心して生きなさい」
 母が言ったこの言葉を、折に触れて思い出すことがある。

 私は母をごく平凡な、どちらかというとあまり苦労をしていない種類の主婦だと思っていた。母は地方公務員だった父の稼ぎで暮らしながら、申し訳程度に和菓子屋やジーンズショップでパートをしていた。週末はプールに通い、書道にはまり、最後は料理教室にまで通っていた。
 いつだったか

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小説に関する覚書、いくつか

小説を書くことは楽しい行為ではない。目は痛くなり、時間も失う。日本語の下手クソさ、語彙の貧困さに落ち込み、呆れる。そもそも日々の隙間時間、一日1ー2H程度でやっている。プロ作家という肩書きで呼ばれたいという確信すらない。しかし自分は純文学の公募に小説を応募する生活を続けており、気がつくと今年で4年目である。たまには立ち止まって、小説を書くという行為に関する覚書のようなものを書いてみたい。

自分が

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文章とミストーン

文章は音楽と似たところがあり、集中力が途切れるとミストーンが生まれる。表現したい内容と言葉のずれ。例えば落ち着いた内容を書きたいなら「ちょっと」「さっき」と言った平すぎる言葉はミストーンになる。自分が下読みなら最初の3ページでここをチェックする。作者の文章に対する意識がわかるので。

作品には声がある。ザ・スミスにはザ・スミスの、オアシスにはオアシスの音があるのと同じだ。その言葉は作品の声からズレ

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Twitterが変らしい

変らしい。思えばあんなに便利なインフラをビッグデータおよび広告係を担うことでタダでつかえていたのがおかしな話だったのかもしれない。
有料にしたら広告係である無料民がいなくなるので、広告インフラとしての機能を失い、サービスは終わるのだろうなと思う。また課金されて出てくる情報は、金で方向付けられたものになるだろう。今でさえイーロン・マスクのナルシスティックな広告にうんざりしているというのに。

黎明期

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左肩と目と耳が痛いこと

それはいつも左である。右目が悪いせいか、左目に負荷がかかり、それが耳にいき、肩に行き……を繰り返して左側の筋が全部石のようになり、寝ても治らない眼精疲労から、耳の聞こえの悪さへ向かう……を周期的に繰り返している。一番ひどい時は左耳が突発難聴直前まで行った。(その時はストレス源の会社を転職した)

この数ヶ月、しばらく大丈夫だったがまたきた。

薬で誤魔化しながらストレス源の仕事を進め、マッサージ、

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平易な言葉で正確に描写する

平易な言葉で正確に描写する

ふと思う。「詩」の言葉が苦手になってきてるかもしれない。

言外の意味があったり、言語化できない意味・強度を含んでいたり。シニフィエとシニフィアンが常に一致していたり。濃密な描写、流麗な流れ、適切な修辞。意外な意味のジャンプ。

一般に評価される要素、というよりそのバトルこそが詩/一部純文学であり、そのような言葉に恍惚としたことは僕も当然何度もある。目指してもいた。

しかし小説を書き始めて3年ほ

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アイスコーヒー

アイスコーヒー

いつからだろう、アイスコーヒーが好きになった。ホットより頭がシャキっとする気がする。季節は問わない。北海道人は真冬にアイスを食べるが、それに近い。ガムシロは基本的に入れないが、たまに使いたくなる。クリームは不要。
家でアイスコーヒーを淹れることはない。店で頼むのが好きなのだ。

ではあるが、こないだふと仕事中にアイスコーヒーが飲みたくなり作成した。
家には象印のコーヒーメーカーがあり、それを愛用し

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ゲルハルト(初稿)

ゲルハルト(初稿)

ゲルハルト・リヒター展、丁度休みがあったので二日目にいった。

心配性の自分が展覧会に行く際、「コロナ感染」を全く考えなかったのだから、季節はアフターコロナに変わったように思う。オミクロン株の実態を周囲で見聞きして許容できるリスクと体が判断するようになったことで、「事後」へ行こうしたのだろう。

自分は長らく肉体的実感、情動を伴う直接的体験こそ美術作品の受容だと信じてきた。今も基本的にはそうだ。だ

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ここまでのこと

第五回仙台短編文学賞に入賞した。プレスアート賞。いつものように電話が来て(薬局にいた)、今回は新聞に記事が載り、4月5日発売のKappo仙台闊歩で作品とインタヴューが発表されるそうである。授賞式に仙台へいくことになった。

2019年に小説らしきものを書き始め、3年目。高校生ならもう卒業だ。地元大会二位でインターハイまでは行った、くらいだろうか。いわば湘北である。

一区切りなので自分の活動を振り

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短編を書いたこと、それから

短編の文学賞に出した。短編は小さなテーマを、短い時間軸で、技巧を凝らして書き抜く「引き算」のセンスが必要とされる。

このため、自分は神の不在を前提として、信仰と創作をテーマに、旧石器時代から令和までの時間軸で、神の通史的視点、内的視点の二部構成で書いた。足し算どころか掛け算である。自分はそのようなオブセッションを抱えた過剰な作家である。

個人の震災を「記録文学」として一度描いた後の客観的な視点

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