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教会の問題

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キリスト教会はとても居心地のよいところです。でも、満点を期待してはいけないでしょう。たくさんの問題を抱えています。とくに内側にいると見えないものを、なんとか見ようとするひねた者が…
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#聖書

『光かがやく未来へ』(千葉明徳・イーグレープ)

『光かがやく未来へ』(千葉明徳・イーグレープ)

本書を読み始めて、最初に言い様のない違和感に襲われた。目次はいいとして、最初に出会う文章が、「推薦のことば」であった。それが10頁もある。5人が寄せている。教会や保育園をつくったということで、大きな働きをした著者だということは分かる。だが、これほどの推薦文を冒頭に並べる本は、ちょっと記憶にない。
 
「はじめに」は「死刑囚からの手紙」であった。すでに回心した死刑囚が、著者を呼び、若い人たちに福音を

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逆説と説教

逆説と説教

「逆説」として自分が発案して説を出すとき、世間の人が騙されているのに自分だけは真理を見出した、のような心理を含んでいることがある。
 
はたして逆説とは何か。こういうときに、昔は決まって「広辞苑」によると……と言っていた。広辞苑信仰があった世代に染みついた性であるのかもしれない。少なくとも、それだけを権威にして寄りかかろうとはしないほうがよいだろう。
 
因みに、旧い広辞苑では、「逆説」について、

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思い込み

思い込み

今月8万円小遣いをもらった。気が大きくなってどんどん使ったら、最初よりも4万円減ってしまっていた。いくら使ったのだろうか。
 
もうすぐ五年生になる、勉強好きな面々。分からない。大きな声で4万円、などという。後にもうすぐ中三生となる生徒たちに同じ質問をしたが、これも4万円という返答。私は驚いた。
 
進学塾に勤め始めたころの勢いから、年々言語能力が落ちていることは分かっていた。だが、この数年、それ

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説教と聖書

説教と聖書

礼拝説教を重んじるボーレンは、聖書朗読はどうしても必要であるわけではない、とその『説教学Ⅰ』でしきりに主張している。他方、聖書そのものが神の言葉であるから、その朗読こそが命である、と言う人もいる。ボーレンは、説教がその都度神の言葉となる、という方向で説教を見ている。それは、語る者がどうであれ、という辺りも考察しているから、必ずしも理想的な説教者を想定しているわけではないようだ。
 
それを読んでい

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仏教のすすめ

仏教のすすめ

奇を衒った題を掲げてしまったように見えるかもしれない。これは、小冊子のタイトルである。書店に置いてあり、無料で持ち帰ることができる。非売品である。
 
サイズはA5で、130頁を超える。キリスト教系のブックレットの同サイズのものはいまや千円を超えるから、かなりの資金が必要になる規格と言えるだろう。
 
内容の殆どは、本の広告である。最初の十数頁に、東北福祉大学学長の千葉公慈氏による、「仏教という生

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コロナ禍はまだ顧みる段階ではないが

コロナ禍はまだ顧みる段階ではないが

命に関わる情報なので、迂闊に素人の発言に全幅の信頼を寄せることはご遠慮ください。しかし、本当かどうかご確認戴くことは歓迎したい。
 
2023年5月中旬から、新型コロナウィルス感染症の新規感染者数や死亡者数を発表しなくなった。それは、医療機関に、逐一所定の形式で毎日報告する義務を課さなくなったということである。医療機関は、少し助かっている。但し、それが感染に関して安全になった、ということを意味する

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あなたの居場所ではない教会

あなたの居場所ではない教会

言葉としては同じものであるにしても、その概念というか、それが指している内容については、使う人により意味は様々であるだろう、というのが私の持論である。いつでもそれを前提にして考え始める必要があると思っている。そうでないて、同じことをその言葉で考えているように錯覚して決定したことが、後で、そんなはずではなかった、ということにきっとなるからである。
 
聖書は二千年以上昔の本である。新約聖書は新しいが、

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「~とあります」の心理

「~とあります」の心理

礼拝説教の中では、聖書の文を引用することがある。その中で、「(聖書の文)とあります」という言い方が、口癖のように何度も出てくる話し手がいる。私はそれを聞いていて、あるいは原稿として読んでいて、ずっと違和感を覚えていた。
 
もちろん、その言い方を一度でもしたら変だ、などというつもりはない。異様なのは、それを書かれた文章にするとはっきりすると思うのだが、あまりにもそれが多すぎることである。何かちょっ

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若き説教者へ

若き説教者へ

若い礼拝説教者にもの申すような立場にはない。だが、老婆心(性差別と呼ばれるかもしれないが、私は男でも女でもないという意味で受け取ってもらえたら幸いである)というものは、ある。
 
しばらくぶりにその説教を垣間見ることがあった。まだ神学の学びを始めたころから、何度か耳にしているが、コロナ禍のせいか、なかなかお目にかかれなかった。
 
どうしたのか。それが第一印象であった。以前の君は、もっと熱く、よい

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授業のたとえ

授業のたとえ

これは学習塾の話である。教師の立場の話である。子どもたちに、受けてよかった、と思われることを語りたいと思っている。言うまでもないが「ウケて」ではない。
 
テキストを解説するのは当然。書いてあることが分かる。もちろん。それを基にして、問われてきた問題に解答することができるようになる。そうありたい。その連続が、入試合格へと導くことになる。それが目的だ。
 
だが、それで終わりなのか。それが目的かもし

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礼拝説教の務めのひとつ

礼拝説教の務めのひとつ

礼拝説教とは何だろうか。信仰の仕方は人それぞれでもあるし、最近は「多様性」をやたら強調する教会も現れてきた。
 
しかし、礼拝説教の場で、聖書翻訳の言葉がけしからん、というような説明をしきりにするというのは、明らかに錯誤しているとしか評しようがない。それを聞いて、私たちは一週間(あるいはもっと長きにわたって)、何を以て神の言葉を受け、神の言葉がここに実現していくという経験をすることができるのだろう

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通訳者の使命

通訳者の使命

国語を中学生に教えることがある。優れたテキストには、優れた文章が掲載されている。そこから教えられること、考えさせられることによく出会う。今回も、「通訳」についての長井鞠子さんの文章を味わうことができた。というより、読みながらもう興奮して、笑ったり膝を叩いたり、もう分かりすぎるほど分かる経験をしたのだった。
 
『伝える極意』という新書からの引用であった。本の、殆ど初めの箇所である。通訳者が、元の発

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言うべきこと

言うべきこと

確か、小学六年生の時だったのではなかったか。交通安全の作文を書いたら、県で入選してしまった。公欠扱いで車に乗せられて、警察署に行って表彰されたことがあった。小学生に似つかわしくない、ルーズリーフファイルの、けっこうビジネスライクなものをもらったと思う。それと、テプラか何か。こういうのに現金関係は出ないことになっている。
 
その作文が、警察関係か何か、公的な新聞(広報紙)で公表された。交通遺児とな

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聖書と生きる礼拝

聖書と生きる礼拝

聖書を読んでいる、というだけで、人間が善くなるわけでもない。だのに、勘違いをするのが人間というものだろうか。そうした人間の醜さやつまらなさの故に、聖書そのものが貶められるということもありうる。しかし、それもまた違う。
 
聖書自体、人間たちが集い、これは聖書だ、これは聖書ではない、と決めたものであることは間違いない。外典になったから、神の言葉ではなく、正典だから神の言葉である、と峻別してよいのかど

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