見出し画像

【ビールの噴水がある本屋に行くと、ゴールデン街で働けるらしい】~書店員のエッセイ&本紹介~ 多崎礼 『レーエンデ国物語』

気が付けば空は明るい。
あれからもう一軒行って、あれ、どうやって出たんだっけ。記憶の波は不規則な水しぶきをあげてあれよあれよと姿を変えていく。
重い身体を引きずって四季の路を抜けると、靖国通りではきらびやかなお姉さんがタクシーを呼んでいた。
その気だるい景色から漂う都会的な香りに、私はここが、ホームタウンから数駅離れた土地であることを改めて認識した。夜の光はすでになく、居場所を失くした影がぼんやりとアスファルトに映る。

「・・・もう帰ろう」

この時間のこの場所は、歌舞伎町組もゴールデン街組もみな気持ちは同じだ。

「ここで働かせてください!」
こういうのって熱意じゃね?
直談判すればイケるんじゃね?
そのような軽薄な想いはゴールデン街では通用しなかった。ボロボロになったハートを笑顔で支えつつ、薄暗い店内を出て路地を抜け、人がごった返した新宿駅を目指す。
奇想天外な人々との出会いや、己の新しい可能性の発見、数知れぬほどの愉快な事件が私を待っているはずだった。ネットで目にしたゴールデン街飲み歩きの記事、現地で働いている人たちの呼び込みSNS、何もかもがきらめいて見えた。憧れは日に日に膨らみ、いつしか私もその世界の住人になりたいと思うようになった。
しかしそう上手く転がらないのが現実。
やるせなさは胸の真ん中を何往復もしていき、恋焦がれたゴールデン街物語の夢はガラガラと不安定な音を立てている。

俺、ゴールデン街と相性悪いのかな・・・。

誰かのバッグに小突かれる午前零時の中央線、薄い酸素を吸って思いつめる。
「きちじょうじ~きちじょうじ~」
ホームタウンの到着を告げるアナウンスが聞こえて電車を降りた。慣れ親しんだ景色と雑踏に心が安らぐ。ハーモニカ横丁へ乗り込む足取りは軽かった。諦めてしまったわけではないが、本能的な居心地の良さには逆らえない。

一時間ほどハーモニカ横丁で酒を喰らったあと、再び酒を求めてサンロードへ出た。
今宵はどうにも酔いきれない。決して人恋しいわけではない、酒に溺れたいわけでもない。ただただ胸の空白が埋まらないだけ。こんなことしても解決しないとわかっているのに止められない。私は陽気にはしゃぐ若者たちを追い越して北へと進んだ。どこの店に行って誰と会うべきなのか、何の見当もついていない。
一蘭の前を通り過ぎた瞬間、思わず脚が止まった。吉祥寺の有名老舗本屋、ブックス・ルーエのシャッターが開いているのである。もうとっくに閉店時間は過ぎているはずなのに・・・。
深夜の本屋の異常なエモさに誘われ、そのまま足を踏み入れてしまった。しかし、
「何かがおかしい」
一階の文芸書コーナーを軽く物色してみたのだが、そこには、聞いたこともない作家が書いた聞いたこともないタイトルの本がずらりと平積みされていた。あれ、こんなにマニアックな本屋だったっけ?首をかしげて二階へ続く螺旋階段を登ると、一階とは比べ物にならないほどの変容ぶりが私を待ち受けていた。上も下も左も右も、見渡す限り、本、本、本。改装にしてもやりすぎだし、いくら飲み過ぎたと言えどこんな幻覚を見ることはない。まるで民家を覆う蔦のように本が張り巡らされているそこは、もはや本屋というより異世界である。
『断絶禁酒録』という本を見つけたので手に取ってみた。禁酒することをやめてから人生が好転した!というエッセイ本で、著者は酒河内飲身子。もちろんタイトルも著者も聞いたことがない。

店内をおそるおそる進んでいくと、この土地面積では考えられないほどの巨大な広場に出た。中央には黄金色の液体を噴き出す巨大な噴水があり、そのまわりをストーンヘンジのようなベンチが囲っている。広場の奥の方は大きな森になっていて全貌は分からない。
ベンチには一人の女性が腰掛けていた。

「こんばんは。キミも飲みに来たの?」
彼女は手に持っていたグラスを小さく掲げた。
「まあそんな感じっすね」
「じゃあとりあえずカンパイしよ」

彼女は鞄からグラスを一つ取り出して口の方を噴水に向けた。液体が勢いよく流れ込んだグラスには一瞬で泡が充満していく。私は急いでそれを受け取ると、ケラケラ笑う彼女と杯を合わせた。
ぐびぐび。彼女の喉から小気味いい音が響く。倣って私もぐびぐび喉を鳴らす。細胞を覚醒させるようなその液体の美味さは悪魔的。私が思うに、おそらくこれはキリンである。(・・・いやサッポロかもしれない)

「ここは何軒目なの?」
「新宿のゴールデン街で三軒飲んできて、それから吉祥寺で飲み直してる感じです」
「私もゴールデン街は好き。たまに働いてるし」
「そうなんですか!今度お店お伺いしますよ!」

彼女は神妙な目つきで私を見つめ、「本当にご都合主義ね」と呟いた。
言葉の意味が読み取れず目をしばたたかせていると、彼女は金色に光る細長い紙をポケットから取り出し、私の手に押し付け握らせた。拳を解いてくしゃくしゃになった紙を開くと、そこには【五番街 パノラマの夜】と書かれていた。

「じゃあ今度はゴールデン街で飲もうね!待ってるよ!」

彼女は鞄を持って立ち上がり、くるりと背を向けて森へと進んでいった。声をかける間もなく、その後ろ姿はあっという間に見えなくなった。まるで森と同化したかのように彼女は消えた。
ぽつんと残された私は、呆然としながらグラスを口へ運んだ。突っ込みたいことは山ほどあるが、突っ込む相手はもういない。

液体を飲み干し、手元のグラスを見つめた。さて・・・こいつはどうするべきか。置きっぱなしにするのは気が引けるし、どうせなら次に行く店に寄付してみようか。グラスなんてしょっちゅう割れるからきっと喜ばれるだろう。大きさも重さも普通だし使い勝手は悪くないはずだ。
そんなことを考えていたときである。
突如、茂っていた木々が地へ退いていき、森の中から繁華街が姿を現わしたのだ。見たことのある通り、見たことのある店、そして見たことのない人々が次々と街を彩っていく。
間違いない、それは酒にまみれて煙草でけぶったあのゴールデン街だった。私はチケットに目を落とし、もう一度文字を確認する。

【五番街 パノラマの夜】

どういうわけか胸が弾んだ。それは初めて聞く名前なのだが、どこか温かくどこか優しくそしてどこか刺激的な響きを感じさせた。私は大柄な外国人観光客たちの間をすり抜け、まねき通りをまっすぐ進んだ。あちこちから漏れてくる賑やかな色を纏いながら、今度はきゅるり右へと曲がる。
煌々と夜を照らしている『パノラマの夜』と書かれた看板が目に入った。
二階へと続く急な階段を見上げ、私は意を決して登っていく。
一段一段踏み込むたびに聞こえるのは、物語の幕開けを知らせる誰かの声だった。

ここはカウンター六席の小さな飲み屋だ。
毎週水曜二十四時までは店長が店番をしており、以降は私とバトンタッチ。一週間の中日であり、かつ二十四時入りなので基本めちゃめちゃ暇である。
「電車があんねん!」とブーツに履き替える店長を見て、お客さんたちも「あ、じゃあお会計で」と財布を取り出す。
私は切ない気持ちを隠しながら「行ってらっしゃいませ~」と階段を降りていく背中たちに声をかける。彼らがいなくなったあと、洗い物をして軽くテーブルをふき、パイプ椅子を出して本を読む。小さな店内の誰もいないカウンターはなんだかとても広い。ペラペラとページをめくりつつ、一時、二時、と過ぎていく刻を眺めるのはなかなか堪えるものだ。
だが私は信じている。
自分が好きな場所なのだから、きっと誰かもここを気に入っていて、これから―—もう三時過ぎてるけど―—来てくれるに違いないと信じている。っていうか信じていたい。じゃないと寂しすぎて死ぬ。(誰ともおしゃべりできなくて寂しいし、己の懐も寂しい。営業が終わったあとのお疲れ一杯分くらいは稼ぎたいのが本音。ゴールデン街では、朝から飲む酒がやけに美味く感じるのだ。ぜひ今度一緒に飲みに行こう)

物語が始まるときに前触れはない。
階段を登る音が胸を叩き、刹那的睡魔と戦っていた私はパイプ椅子から腰を上げて身構える。
「来たよ!さあ飲もう!」
ああ!忘れもしない!
恩人との再会に感動すると同時に、真っ白な売上伝票を見て深く安堵する。

ここはゴールデン街の五番街にある『パノラマの夜』。
毎週水曜日、あなたとゴールデン街物語に飛び込む素敵な瞬間を、私は首を長くして待っている。

〜本紹介〜

【迷い込み注意!
五感が刺激されるファンタジー!】

多崎礼 著『レーエンデ国物語』

あらすじ:英雄として崇められている父とその娘ユリアは、城を離れレーエンデ国へと旅立った。
レーエンデ国には銀呪病という風土病がある。全身が銀色に覆われ、数年後には死に至る恐ろしい病だ。その風土病の影響は大きいが、レーエンデでしか見られない素晴らしい情景にユリアは心を奪われていく。
友情、恋、そして争乱。残酷に過ぎていく時の流れのなか、ユリアを待ち受ける運命とは…。

小学生の時に読んだ『ハリーポッター』ぶりのファンタジー小説。カタカナだらけの登場人物たち、馴染みのない地名(そりゃそうだ)に序盤は苦戦していたが、ある晩、気が付けば私はレーエンデ国へ迷い込んでいたのだった。
土の香りから、頬を撫でる風。ぬくぬくの布団にくるまっているはずなのに五感はレーエンデを感じている。豊かな自然や個性豊かな登場人物と共に、私はこの世界を生きていた。
両腕を広げ中央広場で踊る。可愛い女の子をチラチラ見ている最中、突如肩に痛みを感じた。おそるおそる服を脱ぎ、患部に目をやる。そこにはびっしりと肌を覆う銀の鱗があった。
「夢か」
私は呼吸を整え、つけっぱなしだった電気を消した。・・・入り込むのはほどほどにしたほうがいいらしい。


この記事が参加している募集

自己紹介

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?