taiki yumoto
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じぶんの機嫌はじぶんでとる?
「じぶんの機嫌はじぶんでとる」
大人の嗜みの一つとしてよく語られている。
これに似たものだと、「他人の時間を(無闇に)奪わない」や言葉は強いけど「ググれ、カス」なんてものも、言ってることは近いかもしれない。
要は『じぶんのことはじぶんで何とかしなさい』ということであり、外側ではなく、内側に矢印を向けましょうのススメということになる。
たしかに大前提としてや、まずじぶんで試みてみることの必要
言葉にならないこと、共有しないこと
現代人はおしゃべりより、はるかに多くの言葉を文章によってやり取りしている。
仕事ではない場所でも、日常のメッセージを送り合い、SNSでは不特定多数の知らない人にまで、じぶんの思いを届けている。
人によってグラデーションはあるが、インターネットが無かった世界と比べれば、はるかにじぶんを開示している割合は増えている。
人によってはじぶんを常に生配信していたり、共有できないということは、何かやまし
今日払うお金が明日をつくる
昨日、百貨店を訪れた。
そこでひょんなことから吉田かばんの歴史を聞いた。
満州から帰ってきた創業者が、焼け野原の東京で、かばんを作って闇市で売り歩いていた話。
ファッションというよりは実用性を重視しているところ。
素材の開発、改良は常に重ねているところ。
日本のものづくり産業を守るための、生産背景や素材づくりの見直しとチャレンジ。
https://www.yoshidakaban.co
先週の記事ダイジェストと記事には書けない本音
毎週恒例になってきました。
先週書いたものを一気に見ていきます。
月曜日は、
人の営みで傘とかは古来から変わらない。
反対に食べるという営みは行為は変わらないけど、そこにかかる手間や付随する罪悪感とか血生臭さはなくなって、そういう意味でいうと食事って変化してるなぁということを書きました。
火曜日は、
雨の日ってみんな嫌がるけど、ボクは好きっていうことを長々と書いた。
たしか締め切りに追われ
本性は有利な時にこそ顔を出す
人はじぶんが不利な時、弱い立場にあるときは礼儀正しく、腰が低いものである。
なぜならそのままだけど、じぶんが不利で弱いから、誰かの助けが必要不可欠だからだ。
ということは反対に、じぶんが有利で強い時というのは、ある種の制限がない状態だと言える。
どのように振る舞っても相手は目を瞑ってくれて、反論も出にくい状態にある。
その時にこそ、人の本性は顔を出す。
なのでどうしても人生で弱い立場の側
どこに行くかより誰と行くか
昔友人に、グルメをたくさん知ってる人は羨ましいなぁという話をしたことがある。
いろんなところを知っていて、おもてなしできるし、また美味しいところを知っているからこそ、いろんなお誘いもできるし、声かけもあるのではということを話した。
しかしその友人が意に反してこんなことを言った。
美味しいところ知ってる人でも、それだけで一緒に行きたくはならないよ。
お店より誰と行くかじゃない?
と。
そう言
できることはできるうちに
昨日が締め切りのレポートや仕事が重なっていた。
どこかGWもそのことで落ち着かず、眠りも浅い日々が続いていて、起きた瞬間から変に動けたり、活動的だったりして、リズムみたいなものは崩れていた。
なのにフタを開ければ、締め切りに間に合わないような気配が漂っていて、かなり裏技的に完成させたものの、見通しの甘さが際立つ結果であった。
後でいい後でいいとして、後回しにすると後回しにしたものと突発的なもの
変わらないもの、変わってきたもの
人の歴史の中で驚くほど変わらないことは案外多い。
例えば傘。
浮世絵などに描かれた傘と現代の傘は素材こそ変わったものの、傘自体の構造はまったく変わっていない。
あるいは源氏物語などに描かれた好いた惚れたや嫉妬などの気持ち、それにまつわるざわざわ感も、変わっていないものの一つだ。
そしてもっと変わらないものは身体的、生理的な反応。
排泄や睡眠、空腹感なども変わりようがない。
それをせずに
先週の記事ダイジェストと記事には書けない本音
毎週恒例になってきました。
先週書いたものを一気に見ていきます。
月曜日は、
横断歩道で待ってると不機嫌な人が運転してるであろう車はわかる。
画一的に作っているであろう車なのに。
そしてそれは何かを習熟していく時も同じで、真似してじぶんを殺しているつもりなのにじぶんが漏れ出す。
じぶんって消せないねって話を書きました。
火曜日は、
「代価可能なわたし」でありたくなくて、寝る間を惜しんで努力
友だちになるきっかけ
ボクは長男で第一子だったので、わりとぼんやり育った。
幼稚園のかけっこでは競争が理解できず、来ていた家族に手を振りながら歩いていたらしい。
父、祖父母も陸上の記録を持っている人らしく、競争心のないボクを見て、肩を落としたと母から聞いている。
友だちも幼稚園ではそんなにできず、隅っこで絵を描いている子どもだったらしく、小学校入学を本気で心配されていた。
小学校に入っても、急に活発になるわけも
日常の一コマを大切に
こんなツイートを見かけた。
恋愛とか恋バナと括ろうとすれば、そうかもしれない。
しかしこれは紛れもなく日常の一コマに過ぎない。
そしてこの人はSNSに書いてアップしたからこそ、皆の目に触れて、まるでイベントや非日常になった。
しかしこれが書かずに、またシェアしなければ誰にも知られることはなかったし、紛れもない一コマ、日常だった。
じぶんだけの印象に残る一日。
SNSがなかった時代に戻るこ