言葉にならないこと、共有しないこと
現代人はおしゃべりより、はるかに多くの言葉を文章によってやり取りしている。
仕事ではない場所でも、日常のメッセージを送り合い、SNSでは不特定多数の知らない人にまで、じぶんの思いを届けている。
人によってグラデーションはあるが、インターネットが無かった世界と比べれば、はるかにじぶんを開示している割合は増えている。
人によってはじぶんを常に生配信していたり、共有できないということは、何かやましいことがあるのでは?と思う価値観まであると聞く。
開示することと、しないことの境目が曖昧になっている世界。
何を共有するのか。
どんなことを書いたり、撮ったりしたらよいのか。
見せる部分が気になるところだが、ボクは毎日文章を書いていると、別の部分が気になったりする。
それは共有しないこと。
文章に書かないこと。
これだけ書いていても、書けないことや書いても共有しないことはある。
無意識でその判断をして、言葉にしないまま抱えていることはやっぱりある。
誰でも書けて、いつでも届けられるこの時代に、書かないとか届けないとするものの存在が、書いて届けたいことと同じくらいおもしろい。
ハッキリさせたくないこと。
言わないこと、見せないこと。
それも無いわけじゃなくて、たしかにじぶんをつくる要素の一つ。
そういう曖昧なものも携えて、生きていきたい。
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