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ボクらの当たり前は当たり前じゃない

普段当たり前にできていたことができなくなる時、それまで当たり前にあった普段の偉大さを知ることがある。




昔、腰を怪我した時、横になること、起き上がること、立ち上がり歩くこと、階段の段差の上り下り、あらゆることが困難になり、社会がやさしくできていないこと、またそのためにおそろしく時間がかかる体験をした。



風邪の時なども、普段ある食欲や性欲、いろんなものへの好奇心や気遣いすらも消え失せていて、健康があって初めて成立するものなのだということに改めて気付かされる。



また心が不調になってくると眠れなくなってしまったり、好きだった食べ物が美味しく感じられなかったり、ハマっていたものもつまらなくなり、お風呂がとても億劫になり、部屋が散らかってきたりもする。



これら多くは当たり前のこと、マナーとか社会通念とされるが、実はこれらすべてを何なくこなせるというのは、身体や心の健康に下支えされた奇跡的な行為であり、決して当たり前でなんてない。


もし一度も滞りなく行うことが今日までできていたとしたら、あなたは頑丈で幸運な人なだけで、できなくなっている人が劣っているわけでも、だらしない人などでもない。



それらの当たり前は、決して当たり前じゃないこと。

万全な時ほど忘れてしまうから、時々思い出したい。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
風呂も掃除も料理も運動も、やった方がいいのは分かるけど、体力やキャパがないとそもそも取り組めないの、何かのバグ感があります。

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