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土竜のひとりごと

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エッセイです。日々考えること、共有したい笑い話、生徒へのメッセージなどを書き綴っています。
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2021年10月の記事一覧

セーターの破れが紡ぐ

セーターの破れが紡ぐ

僕は男三人兄弟の中に育ち、高校もほとんど男子高のようなところに通ったので、女性とは無縁に育って来てしまった。大学は国文科だったので100人の中に80人の女子がいて、そういう僕には一種のカルチャーショックだったのだが、女性とどう話せばいいのかよくわからなかった僕は学科の女子と話をすることはほとんどなく、ロマンスなど生まれようがなかった。

大学2年のころだったと思う、こんなことがあった。

ある日講

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田舎者

田舎者

僕は田舎に育ち、全くの田舎者であった。田舎にいるときは自分が田舎者であるという自覚はなかったのだが、東京に出たとき「ああ俺は田舎者であった」と思い知らされたのである。だいたいそういう場合、まず「ことば」が壁として立ちはだかるのだが、僕の場合もやはり例外ではなく、友達との会話で至って自然に「そうだら」と伊豆弁を丸出しにして、その「だら」を延々とバカにされ続けた。

それだけではない。思えば大学に入る

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湯たんぽと 猫とまるまる 星の夜

湯たんぽと 猫とまるまる 星の夜

ここ数年、寄る年波に、夜はカミさんが湯たんぽを入れてくれるようになり、それに頼って寝ている。若い頃はどんなに冷たい布団に入ってもすぐに体温で温まったのに、いつしか靴下を履いて寝なければ寝られないようになり、もはや今は、湯たんぽがなければ眠れない状態にある。

湯たんぽは温かくていい。
が、酒を飲んで正体なく眠る僕は、湯たんぽにずっと足を置いていてもその熱さに体が反応せず、低温火傷となり、病院通いを

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多様性の落とし穴?

多様性の落とし穴?

※長くて硬い文章です。

ここのところ、「所与」という言葉が気になる。

気になっているのは「所与を生きる」という考え方である。「所与」は「与えられた」という意味であれば、僕らは「与えられた生を生きている」ということである。

僕らは確かに「与えられた生」を生きている。狭義で言えば、人間に生まれてきたことも、日本に生まれたことも、男に生を受けたことも、死ぬべき生を生きていることも、自分では選べない

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Missing Piece

Missing Piece

古代ギリシャの喜劇作家にアリストファネスという人がいて、彼は、人がなぜ恋をするのかを考えた。

それによると、かつて人間は手と足が四本ずつあり顔も前後に二つあった。要するに今の人間が二人一緒になった合体人間であったわけである。その人間のパターンには、男男、男女、女女の三種類があったということなのだが、能力は今の人間の倍、360度見え、八本の手足ですばやく動き、いたずらばかりして困らせていた。

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宝くじ

人間には「意志の力では克服できない」ことがある。
そんなことを言うと、カミさんはすぐに「また何かの言い訳?」と嫌な顔をするわけだが、そんな下劣な勘ぐりに走らずに、崇高で哲学的な思いを持って読み進めていただきたい。

例えばこんな問を発してみたい。
あなたは嘗め始めたアメを最後まで噛まずに嘗め切ることができるか?

また、これはどうか。
擦りむいたあとにできたカサブタをいじらすに、自然と治るまでじっ

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採点

採点

教員になったばかりのころ、テストの採点は先生というものになった証のようにも思え、ちょっとばかりウキウキした。思えば長きに渡ってテストというものに苦しめられて来たのであって、自分が逆の立場になったことを自覚し、我ながら意地汚い「うれしさ」を感じていたのかもしれない。

ところが回を追うごとに、億劫になり、年を追うごとに重荷となり、今や完全な苦痛となるに至っている。年10回の大きなテスト、その他、小

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教授のアンマン

教授のアンマン

徒然草に「仁和寺にある法師」という有名な話があるが、これは石清水八幡宮への参拝を年来の夢としていたある法師が、ある時思い立って四里の道を一人で歩いて参拝に出掛けたという話である。

それ自体は別にたいしたことはないのであるが、この法師、実は八幡宮の位置も知らなかったために付属の社だけを拝み、肝腎の八幡宮は拝まずに帰って来てしまう。しかも帰って来て拝んだつもりの八幡宮の様子をあわれがって仲間に披露す

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愛すること

愛すること

こんなメッセージを毎日書いて、教室の後ろの黒板に貼っています。誰も読んでいないかもしれませんが・・。これは、明日用です。よろしければ、目を通してみてください。

助詞と女子に注意したい

助詞と女子に注意したい

日本語の助詞はたった一字であるのにそれこそ微妙なニュアンスを見事に表すものである。例えば俳句をやる人は17音しかない中で助詞ひとつにも相当に気を使うと言う。

先日、嵐の櫻井君と相葉君が結婚というニュースがあって、えっそれって櫻井君と相葉君、二人が結婚したの?と一瞬思った方がいるかもしれない。

部活の練習中に雨が降り出したため、最後に風邪をひかないよう、頭を良く拭くようにと言ったところ、髪を拭く

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ある日の黒板

ある日の黒板

これは勤務している学校の理数科の授業で、問題を演習をさせている間、手持無沙汰だったので、ふと、なぜ国語を学ぶのかという生徒の質問に答えてみようと黒板に書きつけてみたものです。理系の生徒は、たいがい国語が嫌い。なぜ、評論なんか読まなきゃいけねえんだ・・と思いがちです。

その場の思い付きで書いたので、まとまりもありませんが、生徒が写メして持っていたのをくれたので、画像を貼ってみました。読みにくいかと

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