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スケッチ

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仙台でカメラマンを夢見る男性、北多川悠(キタガワユウ)は彼女の江美と二人暮らしをしている。 ある日原因不明の病で北多川は視力を失う。 彼が辿る運命とは。 とある楽曲をベースに紡…
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#全盲

スケッチ⑯

スケッチ⑯

午前9時25分。

白杖を前に出し、新幹線から駅のホームに降り立った俺は、土地の風土を確認するようにその場で一つ深呼吸をした。
朝の東京。まだ少し冷えた空気が体の中に満ちていく。
仙台からおよそ二時間。
自分にとって久々となる遠出は、思いのほか体にくるものがあった。
俺は電車やバスなどの乗り物に長時間腰掛けているのが苦手だ。
仙台で生活をしていて地下鉄やタクシーに乗る事はあっても乗車時間は数分程度

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スケッチ⑮

「ーーそういうわけで、俺は流浪のギタリストになったわけ」
西野は、その一言をもってバンドメンバーに向けた自分史の説明を終えた。
しゃべりすぎて口が乾いたのだろう。
ほとんど語り終えるのと同時に横からぐびぐびと喉を鳴らす音が耳に届く。
会話に隙が生まれ、西野に習うように俺も手元のジンジャーエールに口をつけた。

営業後のVIVA OLAの店内は冷蔵機や空調の駆動音しか聴こえてこない。
老モーターの微

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スケッチ⑨

真っ白な空間。
均一な距離をとりながら複数の直線を縦に描く。
次に、それらを横線で結びつけ長方形を作り上げる。
幾つかの大きな箱が出来上がると、その中に小さな四角形を加える。
その作業を繰り返す。何度も。
先程まで白紙だった世界には幾つもの建築物が出来上がっている。
これらは(ビル)というイメージだ。
満員電車の様な狭い空間に窮屈そうに立ち並ぶビル。ビル。ビル。
その箱の中では毎日大小の起伏を伴っ

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スケッチ⑧

スケッチ⑧

神谷の葬式は親と一部の関係者だけの小さな物で済まされた。
家族構成なんてまじまじと聴いた事が無かったが、神谷の父は既に亡くなっており、唯一の肉親は母親だけだった。
他界した父親は都内で有名な食肉関係の会社経営者だったらしい。歌舞伎町の飲食街へ太いパイプがあった神谷の父は、若手事業者と手を組んだり、古くからその地で商いをする小料理屋へと肉を卸したりするなど手広い取引を展開しており、神谷自身もそんな父

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スケッチ⑦

入り口から一番離れたバーカウンターの席に腰をかけ、グラスに注がれたジンジャーエールに口をつける。乾いた喉へ強烈な生姜の香りを纏った波が気泡と共にぶつかってきて俺は思わず瞼を閉じる。パチパチと弾ける泡が鼻先を湿らせた。本当なら美味さ故に込み上げてくる雄叫びをここで一声あげたいものだが、ダムを塞き止める様に俺はその思案を口に抑え込む。ここは美味い時に勢いで雄叫びをあげるような店じゃない。
黙ってグラス

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スケッチ⑥

スケッチ⑥

修平くんに渡されたお金をタクシーの運転手に支払うと、降り止まない雨の中市内に佇む某アパートの前に私は降り立った。
自分の住む中心地から少し外れた場所にある目の前のアパートは、近隣の木造の民家と並ぶと幾分か近代的に見えるデザインだった。たぶん持ち主が捗々しくない入居状況を改善する為に、外装部分のみリフォームをしたのだろう。少し浮ついた印象が私には際立って見えた。
改めて修平君に渡されたメモを見る。女

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スケッチ⑤

スケッチ⑤

冷たいフローリングに腰を降ろし、神谷に渡された雑巾の様に皺くちゃなリュックの中身を漁る。俺は指先に感じるなだらかな感触から、それが何なのかを理解した。
中学時代、いや、それより少し前に母親に与えられたポータブルCDプレイヤーだ。
黒一色で光沢のある見た目は異世界から転送されてきた未知の乗り物みたいな印象だった事を覚えている。
もう自分の目では見ることが叶わないそれを、俺は指先で触りながら物体の形状

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