スケッチ⑨

真っ白な空間。
均一な距離をとりながら複数の直線を縦に描く。
次に、それらを横線で結びつけ長方形を作り上げる。
幾つかの大きな箱が出来上がると、その中に小さな四角形を加える。
その作業を繰り返す。何度も。
先程まで白紙だった世界には幾つもの建築物が出来上がっている。
これらは(ビル)というイメージだ。
満員電車の様な狭い空間に窮屈そうに立ち並ぶビル。ビル。ビル。
その箱の中では毎日大小の起伏を伴った日常が渦を巻き、点在している。
幾つもの個性が密集する空間は家族という概念を欠いたコロニーのようだ。
無機質な四角形の中に納まりきらない眩しい情報量。
ニューヨーク。
この言葉から俺の頭で描かれた最初のイメージは聳え立つビル群だった。


「素敵なお店ですね。都内のお店の方が幾らか広いけど私はこのくらいの大きさの方が落ち着いていて好きだな。」
俺の隣のスツールに腰をかけている東堂瞬はそう言った。都会人らしい嫌味の混じった空気を微塵も感じない穏やかな口調だった。道端にひっそりと咲いている花を優しく見つめるような表情を俺はそこから想像する。
20分ほど前に演奏を終えた俺は、普段どおりカウンターに腰掛けてテザと世間話をしていた。東堂さんはまるで普段からこの店に来ているような自然な空気を身に纏いながら、俺の隣へ着席すると名刺を手に挨拶をしてくれた。(名刺を差し出したかどうかは定かではない。)
奇妙な数秒の沈黙があり、多分差し出された名刺に気付けない俺を見た彼はそこで自分との違いを理解し、踵を返すように丁寧に詫びると、俺の手をしっかり握って二度目の挨拶をした。少年の様に爽やかな声に反して東堂さんの手はテザの様にごつごつとして屈強だった。

聞けばムロ爺が話していた市内での個展の期間中、偶然の来仙だったらしい。
最終日の近づく2、3日の間、個展の様子や仙台市内を散策した後で東京に戻るのだと彼は話してくれた。
「今回の個展は昨年の夏に訪れたニューヨークでの4日間、そこで撮影した写真を中心としているんです。都内で撮影した物の方が枚数で見れば多いんですが、メインに据えている写真を引き立てる様な、いわば演出という感覚で絞り、選定しています。写真の大小を顕著にして展示しているのはそういった考えの投影ですね。」

心地良い速度で話す東堂さんの話は、語り部を生業としているかのような落ち着きがあり、彼の言葉に返答する事はかえって余計な行為に思えてくる。彼を挟んだ向かいの席に座っているムロ爺も俺と同様に黙って話に耳を傾けていた。
ひょっとすると話を聴いているのではなくウィスキーの所為で単にうとうとしてるだけかもしれない。幸い彼自身は俺の方へ体を向けて話している為、背後のムロ爺の存在はあまり関係ないようだった。
酒を飲んでいるムロ爺はともかくとしても俺は憧れていた人を目の前にし純粋にその人間の紡ぐ言葉を逃すまいと意識を集中させていた。相手への興味や親愛を示す意味で俺は東堂さんが話すたびに少し大袈裟に首を動かしていた。
彼の作品は、、、もうだいぶ前に買った写真集の最初のページ。
崖からパノラマの様に広がった白黒の海原しか思い出せない。
それだって鮮明に思い出せる訳ではなく雨に打たれた様に酷く滲んでぼやけたイメージだ。
昔はあんなに憧れ、熱心になっていた故にこうして彼を前にかしこまってしまっているが、今の俺には東堂さんに対してファンとかそういう類の言葉は相応しくない気がした。取り繕った熱の無い言葉は口にするだけ空疎で無意味だ。
彼から演奏について賞賛をされ、対峙した俺は正しい言葉が見つからず、おこがましくも自分の事をピアニストだとか紹介してしまったが、目の見えない俺がカメラマンを目指していたなんて酒の席じゃ只の冗談にしか聴こえないだろう。仮に信じてもらえたとしてこれまでの経緯を長々と話すのもなんだか押し付けがましく、憚られた。見知らぬ相手に突然身の上話を語られるのは自分が相手でも迷惑な行為だ。

「えぇと、北多、川、さん、でしたっけ。すみません。こちらでピアノを弾かれるようになって長いんですか。」
突然の質問に、俺はサングラスを指で押し上げると少し姿勢を正した。

「はい。もうそれなりに経ちますかね。三、四年くらいでしょうか。
親しい友人に、ここ、あ、いや、こちらの店舗を紹介してもらう御縁があって、僕はまぁ、この通り社会的なハンデがある訳ですが有難くお声を掛けていただいて、、それから今日に到ります。」

自動音声の様な喋り方をしていたかもしれない。東堂さんの話し方があまりに流麗過ぎて無意識に足並みを揃えようと無理をしてしまった。不快感を与える類の言葉は使っていないのになんだか自分が滑稽に思えて不安になる。手元が寂しかった俺はなんとなく自分の頭をかいた。ひきつった笑みが零れる。

「へぇぇ、、そうですか。いいですね、なんか素敵だなあ。北多川さんはこのお店にそういう出逢いから深い恩があると思いますが、お店側も北多川さんの様な素敵なアーティストに演奏をしてもらえて、きっと同じように感謝していると思いますよ。今夜は私も演奏を聴けて本当にラッキーだった。改めて、ありがとう。」
そう言ってから東堂さんはグラスに口をつけた。氷がグラスに当たる音が聴こえる。話の流れで握手でもしようとしてやめたのだろうか、カウンターに乗せていた俺の片手に一呼吸置く様に遅れる形で東堂さんの手が被さり強く握られる感触がやってくる。どうやらしばしば俺の目の事を忘れているらしい。
相手の顔がある辺りへ首を向けると俺は軽く会釈をした。

豊かな製作環境や生活の水準が高い位置で満ち満ちている人間の日常には当然の様に精神的な余裕が生まれてくる。道を歩けば鳥の囀りに心を弾ませたり、雨音に哀愁を感じたりできる。或いはその場で感慨深い顔をしてふと立ち止まってみたり、子供の様に一喜一憂の声をあげることさえするだろう。時間や仕事という拘束の概念を越えた世界に住んでいればこそだ。だが、そんな余裕のある人間は選ばれた一握りだ。その他多くの人間は夢や生活のために余裕などとは程遠い苦しい生活を耐え、燻っている。自分の歩む道の途中に餌を求めて群がる鳥達がいたとして、それだけで迷惑とか邪魔だとか嫌悪感を抱く人もきっといるだろう。珍しい鳥が一羽混じっていても彼らの目にそれは映ることはない。
彼が、東堂瞬が、この場合の前者とするならば。
俺は昔、圧倒的に後者だった。

【素晴らしい。━━ 素敵なアーティストですね。━━ 本当にラッキーだった。】
東堂さんが俺に放った言葉が、鐘の音の様に頭の中で反響しながら響く。

その時、先程から感じられていた彼の声から感じる心地良い空気の理由について、俺の中でなんとなく腑に落ちたように感じた。
東堂さんの言葉は綺麗過ぎる。まるで濁りが無い真水の様だ。
都内で生活をしていれば俺の様なピアノ奏者なんて余るほどいるだろう。まして彼は国内のみならず渡米した経験だって近しい。数多可能性を秘めたアーティストを観てきた彼なら、俺の様な駆け出しのピアノ弾きを前に少しくらいハッとさせる様な辛辣な言葉をかけてきても全然不思議じゃない。他のピアノ奏者の名前を引き合いに出してアドバイスの様な事を言うどころか、まるで野原で四葉のクローバーを見つけたように俺に対して純朴な感謝を述べている。握手まで求められた程だ。他の客の様に酒に陶酔した流れで砕けた賛辞をこぼしている訳でもない。絵に描いた様な褒め言葉達は、その完璧さ故に僻み等が裏に含まれていそうなものだが、彼の場合にはそういった類のものは一切感じられなかった。
東堂さんが発する言葉の純度が高すぎる事実に、かえって裏を考えてしまう自分の粗悪さや未熟さに気付かされる。腹の奥底で閉じ込めて蓋をしていた妬みや僻みの箱を彼に開けられて、これはなんですか?と問われているような感覚だ。この人の言葉にはきっとつまらない嘘などは含まれないだろう。しかし実際にそれを実践する事はきっと難しい事だし、つまりは東堂瞬という人間はそういった負の感情を越えた先にいるのだろうと俺は感じた。カメラマンとしては勿論、人としても東堂さんは出来すぎている印象だった。
俺が黙ってしまい会話に間が空いたタイミングで、失礼。と、東堂さんは席を立った。
重石を置くようなどっしりとした靴音がトイレの方へゆっくりと流れていくのが聴こえる。
足音が聴こえなくなると終始黙って洗い物をしていたテザが話しかけてきた。
「ユウ。コンヤ、ドウスル。」
今夜、どうする?ドウスル。。どうするってどういう意味だ。
まさかテザは俺と東堂さんの関係を何か誤解してるんじゃないだろうか。
先程、握手代わりに東堂さんに手を握られた瞬間を思い出す。
いやいやちょっとまってくれ。俺には彼女が居てだな、そっち系じゃないし東堂さんはな。。喉元までそう出かかかった言葉より先に俺は素早く腰を浮かせ立ち上がる。
「Ah!No... Chicken over rice!」
テザの勘違いを否定しようと口を開きかけた俺を制止するようにテザは流暢に、というか母国語で上ずった声を上げた。
チキ、、?オー、、ライス。。
耳馴染みのない単語の中、俺は唯一聴き取れたライスという言葉から考えを巡らせる。
「ん? あぁ、あのいつものやつか!あれか。どうするかってそれか!そうか。」
合点がいって安堵した俺は、なんだよと息を添えた言葉をこぼしながら再びスツールに腰を降ろした。
「エット、、タベル?」
急に立ち上がった俺に一瞬驚いたテザは少し怯えるような声で探るように言った。
「チョット、シゴト、ハヤクオワッタ。ダカラスグ デキル。」
相席している東堂さんの事が頭をよぎったが、業務前に家で毎回料理を仕込んできてくれているテザを無下にできない俺は普段通り彼へお願いして作ってもらうことにした。ずっと黙っていると思ったムロ爺は実はもうだいぶ前に帰ったとの事だった。目が見えないとはいえ、年長者を放置して会話に夢中になってしまった様だ。明日にでもムロ爺へ電話を入れよう。今夜はオフとはいえ大分飲んでいたような気がする。ちゃんと帰れたのだろうか。
考えながら俺はカウンター越しに準備される料理を待った。
日本人の考え方としては相手が初対面で有名カメラマンとなれば、相席で飯を食べだすなんて事は失礼じゃないかと遠慮してしまいがちだが、アメリカ育ちのテザにしてみればそんな事は気にする事では無い。例え相手が有名人だろうと、何もかもを遠慮してしまう事とか、人生のプライベートな時間を捻じ曲げる事とは決してイコールでは繋がらない。相手は相手、自分は自分。嫌なら関わらなければいい。相容れないなら気の済むまでディベートすればいい。そうした個人主義のクリアな世界で育ったテザだからこその発言だろう。テザの普段通りの確認に邪まな思案を巡らせてしまった自分がかえって恥ずかしかった。
と、言葉通りいつもの半分程の時間で俺の前にテザスペシャルが到着する。
スプーンを握ったのとほぼ同時に足音が近づいてくるのが聴こえた。
料理の出来上がりを狙っていたかのようなタイミングで東堂さんが席に戻ってきたのだ。
「おぉ。これは、、チキンオーバーライスですか。懐かしいなあ。仙台で食べられるお店があったんですね。」
スツールに手をかけながら大好きな料理を前にはしゃぐような声を東堂さんはあげる。
「YES ! アナタ、ワカル!ソウ。コレ、ジモト ヤタイ FOOD。」
スプーンに手をかけていた俺は傍らで小さく盛り上がる二人に気を取られる。屋台フード?聴き馴染の無い言葉だった。
「東堂さん、この料理ご存知なんですか。」
「ええ。この料理はニューヨークでは結構名の知られている屋台料理です。私が現地に滞在していた時に食べた物はチキンが細かくスライスされたもので、北多川さんの物の様にグリルはされていますが一口大ではなく形が違いました。ヨーグルトベースで作られたホワイトソースはどの店でもかけられているようですが屋台や店ごとに色々と細かなスタイルに違いがあります。野菜もしっかり摂れてとても美味しい料理だったのを覚えています。」
東堂さんはニューヨークで食べたその料理を思い出すようにゆっくりと語った。
「あの、よかったら、これ、シェアしませんか。まだ手をつけてないので。」
「えっ、いいんですか。」
俺は片手をテザの方へ向けて挙げる。言葉を介さない意思を読み取ったテザは素早く、しかし丁寧に別の容器とスプーンを東堂さんの前に差し出した。
「なつかしいなぁ。それじゃ遠慮なくいただきますね。」
ずっと空腹に耐えていたのだろうか。東堂さんは俺の器から自分の分を素早くと取り分けると早々に食べ始めた。温かなご飯とチキンを口に入れ、はふはふとしながら美味しい美味しいと繰り返す篭った声は、紳士的な印象が強かった事でかえって異様に際立っていた。まるで子供のようだ。

真夏のニューヨーク。世界経済の中心で働く銀色の人々の波の中、カメラを抱え刻々と移り行く今を切り取る。俺の想像の中で東堂さんは立ち並ぶ高層ビルの間をTシャツに黒く汗を滲ませながら歩いている。撮影の合間、お腹を空かせた彼は何処かの飲食店(ここでは屋台の方が正しいかもしれないが)に立ち寄り、薄いアルミ製のプレートにこんもりと盛られたチキンオーバーライスをまるで人生最後の食事かのように豪快に頬張る。俺の想像の中、席について食事をしているのはインテリなんて言葉とは縁も無さそうなカメラマンとして熱を放つ男、東堂瞬だ。
今、俺の目の前にいる彼はきっとカシミヤのダークブルースーツでも着て、モデルの友人にプレゼントされた上質なネクタイをし、実用性が見て取れないスプーンの腹の様なデザイン時計をつけていそうだ。だが、彼と俺には目に見えた違いこそ数あれど遠い所で血縁関係でもあるような、何処か近しいシンパシーの様なものを感じた。
俺が東堂さんの写真に惹かれたのは、、理由は、、もしかしたらこういう見えない心の根っこみたいな部分が共鳴していたせいなのかもしれない。
ほとんどぼやけた彼の写真をもう一度思い出そうとしてみる。
「あれ、北多川さん、食べないんですか。この料理は温かいうちに食べないと。」
横から声が聴こえてはっとした俺は浅い返事をすると遅れて目の前の料理に集中する。しばらく放って置いた俺を急かすように暖かな湯気が顔を撫でた。スプーンを手にし、温かなご飯とチキンを頬張る。うん、おいしい。今夜は普段は使われていないチリソースがかけられていて程よいアクセントになっていた。先程の想像の中で描いたニューヨークの屋台で東堂さんと二人で料理を食べている光景を現実の今と重ね合わせる。仙台のピアノバーと遠く離れた世界経済の中心地が心の中で静かに強くリンクする。
初対面の相手と料理をシェアするなんて事を反射的にしてしまい失礼かとも思ったが、今後東堂さんとはきっともう逢う事はできないだろう。今夜の偶然だけでも信じられない奇跡だ。彼の醸し出す空気があまりに自然で、飾り気がない余り、まるで明日もこの場所で当たり前に相席できそうな錯覚すら感じていた俺は東堂さんの存在を思い改める。
普段の半分量のテザの手料理を食べ終えた俺は、隣の東堂さんと残りの夜を味わうようにそこからまたしばらくの間他愛も無い話をした。



二日後、俺と江美は市内のイベントスペース前に佇んでいた。
近くのカフェでホットコーヒーとクロックムッシュという昼食の様な朝食を摂った俺達は指定された時刻より早く現地に到着してしまい。携帯で改めて場所を確認する江美と二人で道路に生えたアーチ状のポールに腰を掛けていた。ここで合ってるよね、と不安げな声が横から聴こえる。
「なぁ江美、これ大丈夫か。」
俺はサングラスを指でもちあげながら話しかけた。
「この前も評判よかったんでしょ。私も似あってると思うし、新しいトレードマークみたいな感じでいいじゃん。」
秋口に入り道路に落ちた手のひらくらいの大きさの沢山の枯葉が風に吹かれかさかさと鳴った。イベント会場の入り口は、察するに戸口を開けて吹き抜けにでもしているのだろう。暖かなそよ風が前方の建物からこちらに微かに流れてくるのを俺は感じていた。その時だった。
「あぁ!、、北多川さん。」
眼前のイベントスペース内で大きく反響した声が聴こえた。革靴の歩み寄る音が、こちらに向かって先に響いた声を追いかけるように続けて鳴る。
俺は顔こそ相手側に向けていたが東堂さんの声に反応し、自分の存在を伝える為大仰に片手をあげた。江美が手櫛で髪を整えたのか隣で柔らかな花の香りがした。
歩道に飛び出してきた東堂さんは通行人と危うくぶつかりそうになったのか、うわっと驚いた声を少し零してから改めてこちらにゆっくりと近づいてきた。サングラスを直し俺はポールから腰をあげる。
「いやぁ、わざわざありがとうございます。今日が仙台での最終日だったので都合がついたみたいでよかった。。えぇと、こちらの方が江美、さん、ですか。」
「はい、はじめまして。先日は北多川が大変お世話になったとのことで、有難うございました。しかもこんな素敵な機会にご招待いただいて。。」
さっきまで心配そうなか弱い声を出していた江美は人が変わったみたいにはきはきした声で東堂さんに応えた。神谷の葬儀の時の江美を俺は思い出す。
「いえいえとんでもないです。ささ、寒いですし立ち話もなんですから中にどうぞ、入ってください。」
東堂さんに導かれ俺と江美は彼の世界が広がる空間へと踏み込んでいった。
空調で暖められた会場内では名前が分からないピアノ曲が殆ど鳴っていないに等しい微細なボリュームで流されていた。目には見えないが会場の匂いや空気から丁寧に手入れされ、眩しい光沢を放つ立派な大理石の床を俺は想像する。実際にはそんなものはないのだろうが、やはり何処か現実味のない特別な空気感を肌で感じていた。
「最初、北多川さんをこの写真展へお誘いした時は少し不安でした。それは、その、つまりは、北多川さんは目が不自由なのにこういった場にお誘いして気分を害されないかと。」
隣を歩く東堂さんがゆっくり口を開いた。
「周りの友人達に言われて気付いた事があって。私は体の不自由な方に対してどうもうまく気を使えていないということです。説明が難しいですが僕にとっては障害というのも個性というか、ボーダーとしての認識が薄いのかもしれません。誰も皆同じだという感覚なんです。これは万人に理解される様な考え方だとは勿論思いませんが北多川さんに誤解をされたくないので釈明させてほしくて。」
江美は俺の反応を伺っているのか東堂さんの言葉に対して相槌などもせず口を閉ざしたまま隣を歩いている。俺はおもむろに立ち止まる。
「気にしないでください。僕も東堂さんの作品が並べられた場所に来てみたかったですし、まあ、写真展へ来て写真を見れないというのは確かに冗談みたいですけどね。」俺は自嘲する様に言った。
「悠くんは、あ、いや、彼は、目が見えていた頃は、東堂さんの写真集をよく観ていたんですよ。」
俺の言葉を合図とするように隣の江美が補足をつけるように俺の言葉に繋げて話し出した。
「えぇ。北多川さんそれは本当ですか。」
控えめだが高揚を感じさせる声で東堂さんは言った。
「あ、、はい。俺、実は昔カメラマン目指してて。それで、ずっと東堂さんのファンだったんです。」
江美の急な発言で俺は何処か調子を崩されてしまい俯きながら東堂さんへ言葉を向けた。
「あぁ、、本当ですか。嬉しいなあ。北多川さん先日そんなこと言ってくれなかったから驚きました。実はね、こんな事言うと変かもしれませんが、僕は北多川さんのピアノの演奏を聴いた時に、なんだか近しいものを感じていたんです。それがなんでなのか分からなかったのですが、今分かった気がしますよ。」
そこまでにこやかに語りかけていた東堂さんは何かを思い出したように急に声をあげた。
「あ、そうだ。北多川さんの、昔撮影された写真達は今は何処にあるのでしょう。」
「あぁ、悠くんの、、彼の写真なら私達の家に飾ってあります。あとは、、」
そこまで話すと江美は急に口を閉ざした。
「あ、いや。もし差し支えなければ北多川さんの撮影された写真達を是非観てみたいなと思いまして。急にこんな事を言うのもなんですが、いかがでしょうか。」
予想外の言葉だった。俺の撮影した写真を観たい。東堂瞬がそう言ったのだ。それがどういう意味なのか、どういう理由なのか。そんな事を考える余地もなく俺の中では湧き水の様に純粋な感動がこみ上げていた。
「えぇ。。ほんとうですか。。」
「悠くん、すごいよ。すごい。観てもらいなよ。」
隣の江美も喜んでくれているのか普段通りの調子で高い声をあげながら俺の肩を大きく揺らした。半ば呆然としながら俺は東堂さんの話を聞いている。
「私は今夜仙台を発ちます。北多川さん、確か今夜もあの店でピアノ演奏の予定でしたよね。私もこちらが終わってからお店に軽く伺いますのでその時に写真を幾枚か見せていただくというのはどうでしょうか。」
東堂さんには演奏のスケジュールは伝えていない。こうして予定を把握していた事実も嬉しく思ったが畳み掛けるように続けて並べられる言葉に俺は半ば夢見心地の様な心情だった。しかし他でもない東堂さんからのお願いだ。俺はあくまで冷静な声を保ちつつ了承する言葉を返した。
「ありがとうございます。じゃあ、その時までに江美と一緒に自分の中で東堂さんに見せられそうなものを選んでおきます。」
俺はそう言って江美の方へ顔を向け微笑みかけた。
遠くで東堂さんを呼ぶ女性スタッフの声が聴こえる。
「すみませんちょっと席を外しますね、北多川さん、急なお話なのにありがとうございます。江美さんも。今夜が楽しみになりました。」
東堂さんはそう言うと女性の声がした方向へ颯爽と歩き出す。と、少し離れた辺りで再び東堂さんの声が響いた。
「あ、そうだ。北多川さん、テザさんにあの料理、今夜は僕の分もお願いしておいてください。お腹すかせていくので。」
東堂さんの真っ直ぐで臆面もない言葉に俺は笑顔がこぼれてしまう。
「わかりました。後でテザに連絡しておきますよ。」
俺はそう言ってまた片手をあげて挨拶をした。
東堂さんがその場を去ってからすぐ江美はまた俺の袖を掴んで少女の様に飛び跳ねた。
「悠くんすごいじゃん。すごい。東堂さんが写真観たいって。やったね。よかった。」
「わかった。わかったって、恥ずかしいからあんまり大声ださないでくれよ。」
俺はほくそ笑みながら鬱陶しそうな声を出すとはしゃいでいる江美の肩をぐっと抱き寄せた。本当なら俺も江美の様に声をだして喜び、ハイタッチの一つでも交わしたい所だったが、敬愛する東堂さんの写真達の飾られているこの場所では、さすがにそういった行為は憚られる気がした。江美を抱いた片腕を上下に動かして不器用に喜びを共有するのがせいぜいだった。俺に体を摩られて江美も気付いてくれたのか体を落ち着かせると、小さな声でよかったね。と噛み締めるようにもう一度俺へ優しくつぶやいた。
東堂さんが、あの東堂瞬が俺の写真を観たいと言ってくれた。紛れも無くさっき本人から聴いたばかりの言葉を俺は確認するように何度も頭の中で繰り返す。嘘みたいだ。自分自身に起こった出来事なのにまだ何処か人事の様に感じていた。自宅に保管してある五年前に俺が撮影した写真達。その中から何を選べばいいのだろうという焦燥と緊張とが遅れてやってくる。撮影してきた写真達に対して自信がないという訳ではなかった。ただ、なにより気がかりだったのは五年も前に撮影した写真の細々とした構図や色合いなどが全て俺の中で滲んだ油絵の様になってしまっている事だった。公園で遊ぶ親子連れを撮影した写真は思い出せる。が、同じ構図であっても被写体が違うものが何十枚もある。撮影した時間帯などでも印象が全く違うものになるため、今回も江美の献身的なサポートが肝になる事は既に明白だった。俺と江美はその後一時間程度会場内を歩き回ってから家に戻った。







自費出版の経費などを考えています。