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都合や便利のよさと孤独感

1200字程度

年々と、社会を構成している個々人は孤立化しているように見受ける。進化論でいうところのヒトの歴史の逆行だろう。孤立化の原因を求めればいくらでも思い浮かぶ。

1人1台のスマートフォン所有

スマートフォンの普及によっていつどこにいても、インターネットという広大な宇宙の星々にアクセスし、あらゆる探求探索が可能となった。その弊害として目の前で起きるあらゆる事象に、より意識を向けなくなった。インターネットの発生以前は現実(物質)世界において、身体を用いて探索行動をする必要があり、その行為には必ず現実的な人々の支えが必要となる。

目の前にある食事や家は無からいきなり発生したものではなく、目前にいない陰の努力者たちによって成り立っている。それはインターネットとという仮想空間でも同じで、物質界か電子界かの違いだけで、物質の大量生産大量消費から電子界に移行しつつある。厳密にいえば物質も大量消費しつつ電子界においても大量消費している。
電子界を欲のまま堪能するほどに、身体を有している人間は身体を生命装置として見なし、その生命装置を装置として生かすために飲食や冷暖房を使用する。身体を不正に酷使するほどに身体は弱体化し、悪循環に陥る。

世界政府や国家がなぜ国民の信頼を裏切り続けるかはここにある。陰謀かどうかではなく人間という存在の喪失。
こう書いていると、アニメシリーズのうたわれるものというシリーズが意図していることに似たなにかを感じるな。


身体を用いた活動をしているとあらゆる問題に出会す。もしくはあらゆる運命とでもいうか。それらに出会ったときに感じる心の余裕がないほどに、闘争か逃走か静観かを選ぶこととなる。

たとえばこの時期、家に居ると寒いから対策しようとする。窓の冷気対策をして密閉性を高めたり、暖房をつけて部屋を暖かくしたり照明器具をフルスペクトル照明にしたり、服を冬用の保温生地にしたり、飲食は体を温めるものにしたり、湯船につかって体の芯から温めたりする。

それよりも年中日頃から、日光を浴びる時間や体積を増やし、運動を続け、飲食に気を遣うように、もう少し身体の声に耳を傾け、哲学的なまなざしを用いるべきだろう。今現在まで継承されてきたそれぞれ土着の歴史文化には、固有の使い古された普遍の理がある。わたしという存在より親のほうがあらゆる理を知り、体感しており、そのまた親、先祖、もしくは本、もしくは文明などそれぞれが成るようにしてなった歴史があり、今を生きる他人においてもその者やその親等無数にある。

専門的な眼鏡をかける行為は専門家に任せ、私たち庶民は人間としてあるがままを受け入れて、あらゆる出来事や存在に疑問と感謝をむけるべきだろう。あらゆる専門家は時代を先どっているが、その専門家に指向性を与えているのは大衆に他ならない。

いまという空間を創り出したのは専門家でありその背後には大衆がいる。ひとりひとりが社会を形成しているのだから、社会の中にいる自覚をもち、後世に繋げていかなければならない。

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