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狛狗のあしあと
2024年8月10日 18:26
心を許すことと全身全霊を他人に委ねることは違う。友人であっても親ではない。家族であっても夫婦はあくまでも他人だ。受け入れてくれたからすべてをさらけだして、相手に依存してはいけない。過干渉の結果、どうなったかというと自分の処理を自分でできない大人になり、問題解決が非常に困難で、結果、社会や周囲と摩擦が起き生きるのが苦しい。生きている意味がわからない。なぜ自己を貶めてしまうのか。ころんだ子を
2024年2月28日 20:44
スピリチュアル、占い、陰謀論いわゆる「迷信」に惑わされるとほんとうに人生を棒に振ることになる。スピリチュアルも占いも、昔から「迷信」と言われる。この迷信は今も昔も変わらず人を不幸にする。得体のない根拠のない思いつきの話。思いつきの脅し。都合の良い解釈。ただただ人を迷わせ惑わせる。しかし、知恵のないものはなぜかこの迷信や占いに熱心になる。きっとなにか耳障りが良く、自分が理解できないもの
2024年3月9日 10:26
「餓鬼」とはなにか。地獄に住む鬼だろうか。亡霊のようなものだろうか。もがき苦しむ地獄に落ちた人の姿だろうか。乳飲み子に例えた依存心を捨てなさい、自立しなさいという弁天さんの話を出しているが、「不安」の大きな原因の一つが「依存心」である。何かを頼らなければ不安なのだが、頼っても結局不安は消えないのだ。そして、餓鬼が好むものが依存心。依存心に群がる不安が餓鬼。依存心が小さくなると、餓鬼の
2024年3月25日 19:35
弁天参りにいってきました。久しぶりに会う友人。門前の仲見世の前で「あ、いたいた。Aさん!」主人と一緒に声を掛けると、びっくりした表情。すぐに笑顔になり「お久しぶりです」と互いに再会を喜びました。コロナも過ぎて、仲見世にもすっかり賑いも戻っていました。本殿でお参りしたあとは、弁天堂の中でお経をあげてお参りしました。とてもよい参拝で、弁天様にもいろいろ報告しつつ、お礼参りをする事ができました
2024年3月6日 20:18
宝殿楼閣の中央に弁才天女が座している。そして目の前で繰り広げられている親子のやりとりを見つめていた。 子どもといっても、立って歩ける元気な子どもが転んでしまった。そして子どもは大泣きしている。保護者が体を起こさせとにかく機嫌がなおるまでヨシヨシをする。「あーよしよし。可哀想。痛いね。可哀想。」その光景をとなりで眺め、「ああ、これじゃあしかたないわね。この先は乳飲み子をやめなければ先に
2024年3月6日 19:54
はじめて弁才天にたのみすがったときの話。自己嫌悪の嵐に苛まれ、自分の過去、自分のしてきたこと全てがのし掛かってきて辛くて辛くて仕方がなかった。考えを止めろ、寝ろといわれてもうまくできない。(もちろんそれでもできるかぎりの手を尽くすようにした)そして、読んだことのない観音経を泣きながら唱えた。声もうまく出せない、読み方もわからないけどとにかく必死だった。弁天堂でお仕事をさせていただ
2023年2月28日 01:04
あなたのこれから先の大きな課題乳飲み子をやめること乳飲み子を演じることをやめなさいリセットをしても 削除をしても ブロックをしても 文字や画像が消えても あなたがリセットしたからといって、記憶を書き換えて正当化しても、相手はされたことを覚えています。対抗し 抗い 思い通りにならず。敵意や悪意を吐き出すことを他人にしてはいけない。借りた恩 してもらったこと 尽くされた時間。いつ
2023年2月14日 22:22
只たのむたのむ人にはたのまれんたのまぬものもたのめとぞおもふわがちかひたのむ衆生をすくわずは弁財天女の名をやながさむむりをせずり ひめいはくにわきまへよひとはたからをめぐみあたへん弁財天のご利益のひとつに、気力の充実がある。なんとも言えない高揚感、わくわく感。しばらくこの感情をわすれていた人にも感じることがあるかもしれない。時として、この充実した気力というのはお金を産み出す力に
2023年2月14日 21:46
「乳飲み子をやめなさい。乳飲み子を演じるのをやめなさい」「乳飲み子」というのは、言葉も話せず、思う通りに体をうごかしたりができません。泣いて喚いて自分の要求を満たさなければ生きていけないからです。赤ちゃんは泣くのが仕事。それは成長するためです。ですが、大人になっても乳飲み子を演じている者もいます。「お願いします」「困っているから助けてほしい」と素直に伝え、礼を返せるならよい。そうでは