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アンティークコインの世界 〜ギリシア・ローマコインの魅力〜


前7世紀に世界で初めて金属製の円形コインがリュディア王国(現在のトルコに位置した古都)で発行された。物々交換の効率の悪さから解放され、小さく軽く携帯しやすいコインによって人間はさらに商業を発展させていく。小アジアの地で誕生したコインは、その便利さから瞬く間に世界に拡がっていった。そして、芸術表現を得意としたギリシア人がコインの図像を芸術の域にまで引き上げていく。その後、ギリシアのコインづくりの文化はローマへと受け継がれていった。ローマ人は権力の象徴としてコインを発行した。それゆえ、帝政期のコインには治世中のローマ皇帝の肖像が刻まれる。写真がない当時、コインの肖像は統治者が誰であるのかを民に知らしめる最大のメディアだった。


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今回は、ギリシア・ローマコインの魅力に迫る。上記にも示したように芸術に秀でたギリシア人は、貨幣の彫刻の上でもその才を発揮した。彼らは貨幣というツールの枠組みを超え、手のひらの美術品とも言えるほど精巧なコインを数多く遺した。ローマ人は貨幣に発行者の功績や時事といった内容を刻んだ。現在でいうところのテレビや新聞などのメディアの役割を果たしていたのである。

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シチリア島メッセナで発行された4ドラクマ銀貨。南部イタリアのカラブリア地方レギウムに支配された時代に発行された。飛び跳ねる兎と羅馬の戦車を表している。兎はかつてシチリアに兎が大量に持ち込まれた歴史を暗示した図案であり、戦車はオリュンピア大祭での戦車競技の優勝を記念した図柄である。

メッセナは前8世紀頃にエウボイア島のカルキスから入植したギリシア人により建設された植民都市と伝承される。鎌状の港湾を持つことから、当初はギリシア語で鎌を意味するザンクレという都市名だった。だが、対岸の都市国家レギウムの僭主アナクシラスに占拠され、メッセナという都市名に改称された。

本貨はレギウムの僭主アナクシラスの治世である前480〜前461年にメッセナで発行された。直径25mm、重量17.13gの4ドラクマ銀貨。軍費及び交易等の高額決済時に使用された。ラバの戦車の図柄は、アナクシラスが前494年ないし前480年開催の古代オリュンピア大祭の戦車レースで優勝した功績を表している。

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同時代・同地域で発行された同タイプだが、彫刻師により兎の表現が異なる。また、文字を刻印する位置も異なり、二枚目のコインに関してはスペルの「A」が抜け落ちてしまっている。彫刻師は上から指示された図案を基に言われたままに掘っているだけで、文字の読み書きが十分にできなかった可能性が高い。


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ローマ支配下の共和国時代のマケドニアで発行された4ドラクマ銀貨。ギリシア文字からマケドニアの主要都市だった港町アンフィポリスの造幣所で製造されたことが分かる。狩猟の女神アルテミスとヘラクレスの棍棒を表している。パンガイオン銀山から採れる銀により、マケドニアは良質な銀貨を発行した。

本貨は前167〜前149年頃に発行されたもので、直径30mm、重量17gの4ドラクマ銀貨である。4ドラクマ銀貨は交易決済用の大型銀貨で、アテナイ覇権時代に1枚あたり17.2gが基準値とされた。以降ギリシア文化圏の様々な都市国家は一部を除き、アッティカ式と呼ばれるこの重量基準に倣って貨幣発行を行った。

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本貨には型がいくつも存在しており、デザインは同じでも彫刻師によって女神の表情が異なる。ハンドメイドのため、どれひとつとして同じものが存在しないのが古代コインの醍醐味である。ヘレニズム芸術を手のひらで体感できる小さな彫刻作品と言える。同時に、当時の宗教観が垣間見られる資料でもある。


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南部イタリアのカラブリア地方タラスで発行されたスタテル銀貨。タラスはスパルタからの入植者により建設された。都市の繁栄に伴い、交易や軍事で膨大な経費が必要とされ発行された。タレスの創始者タレスがイルカに乗ってカラブリアに上陸した神話のワンシーンが表されている。反対面には騎馬兵の図。

タラスはポセイドンの息子と伝承される。古代ギリシアの宗教観では、究極の肉体を持つ神は完璧でどこを見られても恥かしくなかったため、衣服を着る必要性がなかった。そのため、古代ギリシア芸術内での神は度々裸で表される。本貨でもタラスは裸で描かれており、腹筋が割れたスリムな体型をしている。

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同時代・同地域で発行された同タイプ。英雄タラスの描写や発行都市タラスの銘文位置は一致しているが、画像右側のコインには発行者アレトン(APEΘΩN)の省略名が刻印されている。左側のコインは無刻印。また、タラスが右手に載せているものにも複数のヴァリエーションが存在し、イルカ、勝利の女神ニケ、武器などが確認されている。


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ローマ帝国アシア属州ミュシアで発行されたキストフォルス銀貨。籠に入る蛇と葡萄、絡み合う蛇を表している。キストフォルスとはギリシア語で「籠」の意で、本貨に籠が描かれていることから付けられた愛称である。当時の呼称は不明だが、ギリシア幣制の4ドラクマ、ローマ幣制の3デナリウスに相当した。

ミュシアはかつてペルガモン王国と呼ばれるセレウコス朝シリアから独立したヘレニズム系国家だった。アッタロス王家が代々支配していたが、前133年にアッタロス3世が戦わずにしてローマに土地を献上し、アシア属州に併合された。

アッタロス3世にとっても悩ましい苦渋の選択だったが、当然この方針には反発するペルガモン国民も大勢おり、農民と奴隷が中心となってローマへの反乱を起こした。しかし、前130年にはローマに制圧された。本貨は東方属州に駐屯するローマ軍の兵士に支払われた大型銀貨だった。

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英雄オデュッセウスを描いたデナリウス銀貨。古代ギリシア神話『オデュッセイア』の主人公オデュッセウスが故郷イタケに帰還し、愛犬アルゴスと再会する感動の場面を描いている。発行者ガイウス・マミリウス・リメタヌスは、オデュッセウスの末裔が建設したと伝承される都市トゥスクルムの出身だった。

共和政ローマの貨幣発行担当者は、自身の出自に関した図柄で貨幣を発行することが度々あった。また、ローマは政治上ギリシアを支配下においていたものの、彼らが持つ神話に憧れ、次第に自分たちをギリシア人の末裔と自称するようになった。カエサルはトロイアの武将アイネイアスの末裔と自称していた。

オデュッセウスはトロイア王国の不落の城壁を突破した天才軍師で、アカイア系ギリシア人の大いなる誇りとされている。だが、考古学上の調査によればトロイア王国があったとされる現トルコの地域一帯に神話内で描かれるような巨大な都市の痕跡は存在せず、伝承は当時の人々による創作だったと思われる。

トロイア王国が存在したとされるエリアは、神話を現実と盲信していたドイツの富豪シュリーマンが19世紀に自身の資産を投じて発掘調査を行った。アマチュア学者の彼は考古学調査の段取りを全く身に付けておらず、調査地域一帯を極めて乱雑な方法で発掘し、年代を判別する地層を乱して真実を闇に葬った。


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ガイウス・マリウスによるユグルタ戦争の勝利を記念したデナリウス銀貨。勝利の女神ウィクトリアの胸像を描いている。描かれた女性像がウィクトリアと判別できるように、背中に大きな翼が表されている。ウィクトリアの顎下に打たれたマークは、ラテン数字を組み合わせたモノグラムで本貨の額面を示す。


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ガイウス・マリウスがローマの政権を掌握したことを暗示させる図柄のデナリウス銀貨。雷神ユピテルの武器ケラウノスを積んだ凱旋車と、葉冠を持って飛翔する勝利の女神ウィクトリアが描かれている。マリウスは無名の平民階級だったが、武勲からローマ政界の頂点に上り詰めた共和政後期を代表する将軍。

古代ローマの将軍カエサルが前49年に発行したデナリウス銀貨。本貨はローマ市への進軍中に駐留基地内で造幣された。巨象を自分に喩え、ポンペイウスを踏み潰される小さな蛇に見立てている。完全にローマ市にいる共和・元老院派を挑発した内容の図柄であり、ローマの貴族たちへの宣戦布告を示している。


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アウグストゥスの治世初期のデナリウス銀貨には、共和政期の名残りから貨幣発行担当者の名前が刻まれていた。その例が本貨で、貨幣発行三人委員トゥルピリアヌスの名が刻まれている。だが、アウグストゥスの治世の途中から発行担当者の名前は明記されなくなり、皇帝が持つ称号を羅列するようになった。

本貨はラテン銘文の刻印方法が興味深い。表は文字が内向きなのに対し、裏は外向きに記されている。表裏で文字の向きが異なる珍しい例である。また、裏の図柄は投げつけられた盾で圧死するタルペイアを描いている。ローマ建国神話に登場するウェスタの巫女で、国を裏切ったが自分も裏切られ処刑された。


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パックスに扮装したリウィア・ドルシッラを描いたデナリウス銀貨。リウィアはアウグストゥスの妻で、ティベリウスの母にあたる。アウグストゥスがリウィアに求婚した際、彼女は妊娠中且つ連れ子で幼少のティベリウスがいた。アウグストゥスは妊娠中の挙式が神の怒りを買わないか心配し神官に相談した。

前夫の子の妊娠中の挙式は宗教的に問題があり、アウグストゥスはリウィアがドルススを出産するまで待つことにした。ドルススが誕生するとリウィアを離縁させ、結婚式を挙げた。ユリウス家とクラウディウス家の結び付きは政略的にも有用で、ユリウス・クラウディウス朝と呼ばれる誉高い血縁が誕生した。


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ティトゥス帝が父ウェスパシアヌス帝崩御後の神格化を記念し発行したデナリウス銀貨。神君ウェスパシアヌスの肖像が描かれている。ウェスパシアヌスは、カリグラ、クラウディウス、ネロとユリウス・クラウディウス朝の皇帝に仕えた優秀な将軍で、属州総督も務めた。特にユダエア属州の制圧に尽力した。


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ローマ帝国ローマ造幣所で、ドミティアヌスの治世に発行されたデナリウス銀貨。ドミティアヌスの肖像、ミネルウァとフクロウが表されている。ドミティアヌスはミネルウァを特に愛好したことで知られる。ミネルウァはギリシアのアテナと習合した女神で、その容姿とアトリビュートはアテナと同一である。

デナリウスは共和政後期から帝政中期まで、約400年間にわたり発行・使用された貨幣だった。ローマを支えた重要な貨幣であり、税金の支払いや軍の運営費等に使われた。共和政期には神や発行者の先祖が主に描かれたが、帝政期になると皇帝肖像を描くようになり、裏面に神や戦勝に関する内容が刻まれた。


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古代ローマの貨幣から見るコンモドゥス帝の肖像変遷。誕生直後→青年期→壮年期→暗殺直前の順。ベットに横たわる二人の赤子の片方がコンモドゥス。当初、双子として誕生したコンモドゥスだが、兄のフラウィウスは幼くして病死した。暗殺直前の貨幣にはヘラクレスに扮したコンモドゥスが描かれている。

192年12月31日にコンモドゥスは暗殺された。彼の暴政には当初から不満が多く、最終的には自身の愛人マルキアにより暗殺された。ローマの歴史家ヘロディアヌスによれば、マルキアは処刑リストに載った自分の名を見て驚愕し、リストに掲載された他の者たちと結託して暗殺計画を実行した。コンモドゥスの死後に皇帝に即位したペルティナクスを主体とし、計画は進められた。

ペルティナクスは解放奴隷の家系の生まれで、当初は修辞学の教師として生計を立てていたが、給与が良く、立身出世が狙えるローマ帝国軍に入隊。そこで軍才を発揮し、将軍として活躍した人物だった。

マルキアはコンモドゥスの習慣を熟知しており、彼が入浴後に飲酒することを知っていた。そこで彼女は葡萄酒に毒薬を混ぜた。だが、コンモドゥスは用心深く、解毒剤を常用していたため、死に至らなかった。暗殺失敗にマルキアは動揺したが、護衛の剣闘士ナルキッソスに刺殺を命じて計画を強行した。

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暗殺未遂等の極度のストレスによる精神疾患からコンモドゥスは自身をギリシア神話の英雄ヘラクレスの生まれ変わりと盲信するようになった。彼は度々、神話内で描かれるヘラクレスの装いで民衆の前に登場した。貨幣には「ローマのヘラクレス」という自身がヘラクレスであることを示唆する銘文を刻んだ。


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ゴルディアヌス3世の肖像を描いたセステルティウス貨。彼は13歳でローマ皇帝に即位し、19歳で亡くなった少年皇帝だった。軍人皇帝時代に君臨し、五賢帝時代のネルウァ・アントニヌス朝と縁戚関係にあった。若くして即位したため、実際の政治は元老院が行う傀儡皇帝だった。ペルシア戦役中に原因不明の死を遂げている。敗死と言われていたり、腹心の部下である親衛隊長官フィリップス・アラブス主導による暗殺とも言われているが、真相は判然としない。

セステルティウス貨はローマ帝国の日常の買い物等で使用された貨幣で、材質は銅を主体とした合金だった。亜鉛や鉛、錫などが混ぜられていた。ものによって配合物や配合率にばらつきがあり、同じローマ市造幣所で発行されたものでも、統一性が取れていない。直径は3cmを超えるため、当時としては大型の貨幣で図像の見栄えが非常に良かった。そのため、オークション等でも、しばしば高値で取引されている。特に、帝政初期のカリグラの治世に発行されたファミリーシリーズが美しい。発行権限は元老院に握られており、そのため裏面に「S C(元老院決議によるの略称表記)」というマークが刻印されている。軍人皇帝時代になると重量が減らされ、厚みも薄くなったが、それでも大型貨幣であることには変わりなく、その存在感を放っている。


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ギリシアコインは、マーケットでは総じて高額で取引される。年代が古く、稀少性があるということはもちろんだが、図像のレベルが群を抜いて高く、芸術と言えるほどの精巧さを誇ることによる。近年のオークションでも益々の値上がりを見せており、ストライクとサーフェイスの両数字が共に高いものは急に破格な値段を叩き出すに至る。特に人気が高く、メジャーなものは、やはりアテナイのフクロウとマケドニアのアレクサンドロス大王のテトラドラクマ銀貨である。この時代のコインを収集するコレクターであれば、誰もが持っておきたいと思うものだ。

一方、ローマコインはギリシアコインに比べると、比較的手に入りやすい価格設定となっている。だが、無限と言えるほどのヴァリエーションがあり、初代ローマ皇帝アウグストゥスの治世に発行されたコインだけでも軽く見積もって500種類を超える。それゆえ、全て集めることは不可能なジャンルと言えるが、歴代皇帝や地域、または年代に限定して集めることはできる。ローマコインで一般的なデナリウス銀貨は直径2cmに満たないもので、ギリシアコインのテトラドラクマ銀貨と比べると、どうしても見劣りしてしまうかもしれない。だが、図像や銘文はヴァリエーションが多い分、非常に奥深く楽しめる。集めやすいのは帝政中期から後期の3〜4世紀に発行されたもので、帝政初期の1〜2世紀に発行されたものは総じて高額な傾向にある。もちろん、状態に左右されるが、ユリウス・クラウディウス朝で発行されたものは一般的に高額で取引される。また、それ以前の時代、カエサルなどが活躍した共和政末期の英雄が自ら発行したものは群を抜いて高額である。

貨幣収集の道は奥が深い。特に古代コインとなれば、文献の数も少なく、奥が深い上に謎も多い。しかし、だからこそ、私はこのジャンルが最も好きだ。私の拙い文章では参考になるとまでは言い難いが、それでも収集や歴史考察のひとつの指針となれば、これとない喜びである。


Shelk 詩瑠久🦋


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