大井駿
ボクが音楽に興味を持ってから現在に至るまで。
こうしてボクは、ザルツブルクのモーツァルテウム大学でピアノ科と指揮科に在籍しながら、国境を超えたミュンヘンの音楽大学で古楽を勉強し始めた。 ここでやってきたのが…
この記事ではハイドンの交響曲の分布と特徴について記述します。 まず動機として、「ハイドンの交響曲って、もっと演奏されていいんじゃない…?」という疑問(もとい想い)…
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)。オーストリアの田舎町で生まれ育ったこの男の魅力は一体何か。 まず彼の人生について軽く触れてみましょう。 こちら、ハイドン…
今年2020年は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)が生まれて250周年だということで、クラシック業界はベートーヴェンにまつわるイベントで賑わっています。…
おぉ!コーヒー...甘すぎる、 1000回のキスより甘いし、 マスカットワインよりもうんと柔らかい... コーヒー、コーヒー、コーヒーがなきゃ無理、 コーヒーがないんなら何…
交響曲第3番が出来るまで...ブラームスにとって3曲目となる交響曲第3番は彼が50歳の時に作曲されました。 21年の歳月をかけて作曲された交響曲第1番 作品68は1876年に初演…
2015年、刺激的なピアノ科と指揮科の一年目を終えた。 それから様々なことがあったが、最も関心を持った事柄がある。 古楽である。 古楽というと、なんだかマイナーで古…
小学生の頃から好きだった恐竜だが、自ら化石を掘りに行くほどハマった。 さて、巨大な恐竜たちが突然この世から消えた。 不思議だ。 もちろん誰も知る由のないことだが、…
6500万年前がどのくらい昔のことだか、想像がつくだろうか。 西暦でさえもまだ2019年だ。そんな2019年ももうすぐ終わる。 たった20年ほど前のことだが、ボクは恐竜が好き…
小学校の頃、恐竜がとても好きだった。 この頃の少年は割とハマりやすいものだと思う。 6500万年前までこんなにデカい生き物が同じ地球上を支配していたなんて、実にロマ…
コーヒーが大好きで、行きつけの居酒屋では4時間ほど入り浸って葉巻を吹かしながら新聞を読み、たまに居合わせた友人とはチェスを楽しんだ愉快な男がいた。 そんな彼の大好…
初めての指揮を終えた22歳のボクは、課題だったプッチーニの「ラ・ボエーム」の勉強に明け暮れていた。 パリを舞台にした、冬のお話だ。 めちゃくちゃいい話というわけでは…
「来月のコンサート、振ってみないか?」 2015年12月、指揮を始めてまだ3ヶ月弱だった。 モーツァルト週間(Mozartwoche) モーツァルト週間は、1956年から毎年ザルツブル…
さて、オーストリア・ザルツブルクでの生活が始まった。 2014年、21歳。 ザルツブルク・モーツァルテウム大学というところに入学したのだが、 それまで東京とパリでしか生…
結局高校を卒業するまで、もう一度ヨーロッパへ行きたいという気持ちが消えるせることはなかった。むしろ、彼らが生活していたヨーロッパで生活したいと思うようになってい…
「そんなに好きなら、ヨーロッパに行って本物を見てらっしゃい」 中学1年生の時に親から言われた言葉だ。 たしかに音楽は好きだったけど、本物かぁ...確かに見てみたい。 …
2023年6月17日 07:24
こうしてボクは、ザルツブルクのモーツァルテウム大学でピアノ科と指揮科に在籍しながら、国境を超えたミュンヘンの音楽大学で古楽を勉強し始めた。ここでやってきたのが、あの憎むべき疫病である。しかし考えてみてほしい。我々が住んでいる地球は、決して人間だけのものではないのだ。都会にいたって、街を彩る植物がそこら中にあるし、夏はうざったい虫に悩まされる。遡れば、地球上をうろうろしていたのは、体長が
2020年3月19日 12:00
この記事ではハイドンの交響曲の分布と特徴について記述します。まず動機として、「ハイドンの交響曲って、もっと演奏されていいんじゃない…?」という疑問(もとい想い)から来ています。というほどに、ハイドンの交響曲には魅力があるのです!彼の人生や音楽について、特に交響曲の概要については過去の記事(リンクです↓)をご参照ください。ですが、まぁ104曲もあれば、説明なしでは訳わからないですよね...ど
2020年3月17日 12:00
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)。オーストリアの田舎町で生まれ育ったこの男の魅力は一体何か。まず彼の人生について軽く触れてみましょう。こちら、ハイドンさんの御尊顔でございます。年表(ザーッと)1732年にローラウ(現在のオーストリアの最東端)で生まれ、少年聖歌隊に入るも友達の髪の毛を切ったり...と色々やらかします。結構なガキでした。その後屋根裏部屋での8年間のニート期
2020年3月16日 12:00
今年2020年は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)が生まれて250周年だということで、クラシック業界はベートーヴェンにまつわるイベントで賑わっています。そんなベートーヴェンやモーツァルト(1756-91)にいつも影を潜めてしまいがちで、演奏機会もさほど多くない、同じ時代の作曲家フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)。短期間ではありましたが、ハイドンはベート
2019年12月24日 18:36
おぉ!コーヒー...甘すぎる、1000回のキスより甘いし、マスカットワインよりもうんと柔らかい...コーヒー、コーヒー、コーヒーがなきゃ無理、コーヒーがないんなら何もしない!Ei! wie schmeckt der Coffee süße,Lieblicher als tausend Küsse,Milder als Muskatenwein.Coffee, Coffee, Co
2019年12月22日 01:57
交響曲第3番が出来るまで...ブラームスにとって3曲目となる交響曲第3番は彼が50歳の時に作曲されました。21年の歳月をかけて作曲された交響曲第1番 作品68は1876年に初演され、翌1877年にはほんの4ヶ月で交響曲第2番 作品72を書き上げました。それから約6年経った1883年、ドイツのフランクフルト近郊ヴィースバーデンに夏の間住居を借り、そこで書かれたのが交響曲第3番 作品90です。
2019年12月20日 19:00
2015年、刺激的なピアノ科と指揮科の一年目を終えた。それから様々なことがあったが、最も関心を持った事柄がある。古楽である。古楽というと、なんだかマイナーで古い曲ばかりを演奏して、なんでも速いテンポで弾いているイメージはないだろうか。ボクにはあった。しかし、それを覆してくれたのが、やはり指揮科のブルーノ・ヴァイル先生とラインハルト・ゲーベル先生だった。ヴァイル氏は古楽的な演奏を
2019年12月19日 19:00
小学生の頃から好きだった恐竜だが、自ら化石を掘りに行くほどハマった。さて、巨大な恐竜たちが突然この世から消えた。不思議だ。もちろん誰も知る由のないことだが、おそらく隕石が原因で(多分)絶滅した。その証拠として、メキシコのユカタン半島に「チクシュルーブ・クレーター」という大きなクレーター(隕石痕)があるのだ。ここに大きな隕石が衝突し、地球上の塵が空を覆い、日光が入らなくなったことにより
2019年12月18日 19:00
6500万年前がどのくらい昔のことだか、想像がつくだろうか。西暦でさえもまだ2019年だ。そんな2019年ももうすぐ終わる。たった20年ほど前のことだが、ボクは恐竜が好きだった。大昔に巨大な爬虫類が同じ地球上をノソノソ歩き回っていたなんて、ロマンだ。恐竜は三畳紀中期から白亜紀後期まで生息していた。(2億年ちょい前〜6500万年前)ちなみに好きだった恐竜は、オヴィラプトルという恐竜だっ
2019年12月17日 19:00
小学校の頃、恐竜がとても好きだった。この頃の少年は割とハマりやすいものだと思う。6500万年前までこんなにデカい生き物が同じ地球上を支配していたなんて、実にロマンだ。デカいとはどのくらいか。骨は一部しか見つかっていないが、例えばアルゼンチノサウルスという白亜紀後期の恐竜は全長が35mほどある。想像もできないような過去が実際に存在したことにとんでもなく魅力を感じてしまい、そこから貪るよ
2019年12月16日 20:00
コーヒーが大好きで、行きつけの居酒屋では4時間ほど入り浸って葉巻を吹かしながら新聞を読み、たまに居合わせた友人とはチェスを楽しんだ愉快な男がいた。そんな彼の大好きなコーヒーに関する逸話がある。一杯60粒。しかし測った際に数え間違えてしまった時は、自らもう一度、一粒ずつ数えていた。お客さんが来ていた際は特に注意を払って数えた。-Anton Schindler, Biographie
2019年12月15日 19:00
初めての指揮を終えた22歳のボクは、課題だったプッチーニの「ラ・ボエーム」の勉強に明け暮れていた。パリを舞台にした、冬のお話だ。めちゃくちゃいい話というわけではないが、音楽は素晴らしい。まるで映画音楽のようだ。歌詞には、"San Michele (フランス語だとSaint-Michel。セーヌ川に架かる橋の名前、及びその一帯。クスクスがおいしい店があり、よく行った。)"や、"Quar
2019年12月14日 19:00
「来月のコンサート、振ってみないか?」2015年12月、指揮を始めてまだ3ヶ月弱だった。モーツァルト週間(Mozartwoche)モーツァルト週間は、1956年から毎年ザルツブルクで行われている音楽祭。モーツァルトの誕生日である1月27日の前後約2日間行われる。毎年モーツァルト週間では指揮科クラスにコンサートが一つ割り当てられ、指揮科の生徒で曲を振り分けするのだが、そこでボクは魔笛
2019年12月13日 11:32
さて、オーストリア・ザルツブルクでの生活が始まった。2014年、21歳。ザルツブルク・モーツァルテウム大学というところに入学したのだが、それまで東京とパリでしか生活の経験がなかったボクには小さな街だった。勉強に専念するには最適な場所だった。入試は2014年6月だった。ピアノ科の入試を受けた直後、結果表を見る。普通入試の願書には自分の希望教授を書く欄があり、何名かの名前を書いて提出す
2019年12月12日 20:00
結局高校を卒業するまで、もう一度ヨーロッパへ行きたいという気持ちが消えるせることはなかった。むしろ、彼らが生活していたヨーロッパで生活したいと思うようになっていた。慰めに、青山のゲーテ・インスティトゥート(ドイツ語学校)へ週2で通った。限界まで張られた弓から放たれた矢の如く、2012年に高校を卒業してからそのままヨーロッパへ行った。行き先はパリ。「ウィーンじゃないんかい」たしかにそう
2019年12月11日 21:02
「そんなに好きなら、ヨーロッパに行って本物を見てらっしゃい」中学1年生の時に親から言われた言葉だ。たしかに音楽は好きだったけど、本物かぁ...確かに見てみたい。まだ13歳のボクにそんな言葉を投げかけるなんて、気が狂っている息子を見て親も呆れたのかもしれない。旅行代理店を通じてオーストリアのウィーンへ2週間、結局一人で行くことになった。小児科医の祖父は長年カルテをドイツ語で書いてきた