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ボクが見た音楽の世界 (3)

結局高校を卒業するまで、もう一度ヨーロッパへ行きたいという気持ちが消えるせることはなかった。むしろ、彼らが生活していたヨーロッパで生活したいと思うようになっていた。慰めに、青山のゲーテ・インスティトゥート(ドイツ語学校)へ週2で通った。

限界まで張られた弓から放たれた矢の如く、2012年に高校を卒業してからそのままヨーロッパへ行った。

行き先はパリ。

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「ウィーンじゃないんかい」
たしかにそう思う。
しかしいろんなことに興味が湧き過ぎていたボクは、年齢制限(〜21歳)があったパリ地方音楽院のピアノ科を選んだ。

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そんなパリの生活も楽しかった。そして刺激的だった。
上の写真のように、学校の廊下にはトイレが放置してある。
まさにシュールレアリズムである。(超現実的現実?)

しかしながら、さすがヨーロッパで栄華を誇った国だ。
美術館には学生証を見せればそのまま入れるし、まさしく天国だった。
学校から近かったルーヴル美術館には何度も足を運んだ。
ちなみにセーヌ川を挟んでお向かいのオルセー美術館はいつも混んでいたのであまり行かなかった。

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そして何よりも、毎日のようにコンサートにも通った(本当)。
当時はまだ使われていたサル・プレイエル、シャンゼリゼ劇場、二つのオペラ座、とにかくこんなに大きなホールがたくさんあれば、どこかでいいコンサートが行われていたのだ。
鳥肌が立つような素晴らしい演奏にも出会ったし、色んな意味でこちらも寒気がするような演奏も聞いた。

しかし、パリに来て最初に聴いた演奏会を未だに覚えている。
場所はシャンゼリゼ劇場。2012年の秋から冬にかけてだったと思う。
つい先日亡くなったマリス・ヤンソンス指揮、バイエルン放送響が演奏する、
メシアンのトゥーランガリラ交響曲だった。
まだヨーロッパに来て間もなかったからかもしれないが、それでもその衝撃は凄かった。この演奏会の数年後に、彼の素晴らしい演奏に再び立ち会うことになる。
それにしても、彼が亡くなってしまい本当に本当に寂しい。
繊細さ、大胆さを自在に表現してしまうこともさながら、立ち振る舞いから彼のユーモアや音楽愛がにじみ出てしまっているところに、また人間らしさを覚えた。

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そんなパリの生活はあっという間の2年で終わった。
とても楽しく、多くを学んだが、同じく多くの辛酸も舐めた。
別にパリが嫌いだったわけではないが(むしろ好きだったし、今でも好き)、やはりドイツ語圏で勉強したいという欲がどこかにあった。
(結局もっぱらフランス音楽と近現代曲を弾いていた覚えがある)

誰もが避けては通れない、あまりにドイツ的なベートーヴェンやブラームスをフランス文化の中で学ぶことにひどく違和感を感じた。(個人差あり)
フランスの文化も素晴らしい。イタリアも素晴らしい。
しかし、音楽文化はやはりドイツ・オーストリア無しには語れない。
そのために高校の時にゲーテ・インスティテュートでドイツ語も勉強してきた。

21歳になったボクは、オーストリア・アルプスを望むザルツブルクでさらに音楽探しを続けることにした。



〜ボクが見た音楽の世界 (3) | 高校生、パリ〜

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