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ボクが見た音楽の世界 (2)

「そんなに好きなら、ヨーロッパに行って本物を見てらっしゃい」

中学1年生の時に親から言われた言葉だ。
たしかに音楽は好きだったけど、本物かぁ...確かに見てみたい。
まだ13歳のボクにそんな言葉を投げかけるなんて、気が狂っている息子を見て親も呆れたのかもしれない。

旅行代理店を通じてオーストリアのウィーンへ2週間、結局一人で行くことになった。

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小児科医の祖父は長年カルテをドイツ語で書いてきたこともあり、鳥取の祖父母の家にはドイツ語の本があった。祖父母からはそのうちの一冊を託された。
飛行機の中ではずっとPSPでパワプロをやりつつ、親を離れて海外へ一人旅、冒険のようなワクワク感に満ち溢れていた。不安に思うことなんて何もなかった。

ウィーン到着。
一番最初に思ったのは、空港近くにたくさんの風力発電が設置してあったことだ。

2週間の間で、ベートーヴェンのハイリゲンシュタット遺書の家、パスカラーティハウス、モーツァルトのフィガロハウス、シューベルトの生家、亡くなった家、ヨハン・シュトラウスの家、ハイドンハウスに足を運び、モーツァルトが眠る(とされている)聖マルクス墓地、そしてウィーン中央墓地には3回行った。多分他にも行ったのだろうが、思い出せない。
そして残った時間はドブリンガー(楽譜店)、ケルントナー通りのEMI(CD店)に費やした。(もちろんいわゆるウィーンの観光名所も行った)

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↑居酒屋ホイリゲにて。小僧が飲んでいるのはワインではなくぶどうジュースです。お酒も飲めないのになぜ居酒屋へ?そりゃベートーヴェンが入り浸っていた居酒屋ですもの...

中学生になっても習い事としてピアノを弾いていたが、あくまでも習い事の域。
同じ音楽を演奏しているというだけなのに、なぜ聴いている方が楽しいのだろう。
そう思いながらピアノを弾いていた。
しかしこの旅を経て、自分の中で何かが変わった。
音楽家の生まれた家から墓場までを追い、彼らがかつて住んでいた家ではインクの染みを眺め、ベートーヴェンが歩いた階段を登って彼の補聴器を目の当たりにする...

そう、彼らも一人の人間だったのだ。
朝起きてご飯を食べ、散歩し、友人と会話し、酒を嗜み、そして寝る。
作曲すること以外はまさに普通の人間の生活と同じだ。
彼らもこの世に存在した、血の通った人間だったのだ。
そんな彼らが生み出した作品を演奏することへの意識が大きく変わった。

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日本でピアノを弾いていたときは考えもしなかったことだ。
それまでは海やシベリアを挟んだ遠い世界にいたかもしれない人たちだったはずなのに、急にその彼らが人間の形をして頭の中に居座ってしまったのだから。

そんな刺激的な2週間はあっという間に過ぎた。
日本に戻っても、その日々は頭から離れなかった。中学、高校に通っていても、常に頭のどこかにヨーロッパの文化で生きる彼らの姿があった。
ボーイスカウトのキャンプで千葉のキャンプ場へ行った時には、ボクは成田空港から飛び立ったであろう飛行機を眺めながらうずうずしていた。



〜ボクが見た音楽の世界 (2) | 中学生〜

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