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ボクが見た音楽の世界 (4)

さて、オーストリア・ザルツブルクでの生活が始まった。
2014年、21歳。
ザルツブルク・モーツァルテウム大学というところに入学したのだが、
それまで東京とパリでしか生活の経験がなかったボクには小さな街だった。
勉強に専念するには最適な場所だった。

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入試は2014年6月だった。
ピアノ科の入試を受けた直後、結果表を見る。
普通入試の願書には自分の希望教授を書く欄があり、何名かの名前を書いて提出する。(書かなくても可)
しかし、自分の名前の横の担当教授欄に知らない名前がある。
...アンドレアス・グロートホイゼン。

「誰...?」

ホテルに戻り、持ってきていたパソコンを開く。
もちろんこの時のパソコンは、ボクが小さい頃のパソコンとは違い容量が大きく、小中学生の時に集めた音源がほぼ入っていた。

iTunesのライブラリを先生の名前で検索してみると、何とたくさんの曲がヒットした。
その中には、自分が昔お気に入りにしていた音源もあった。
まさか自分が昔好きで聴いてた録音を弾いていた人に、図らずもこれから習うことになるなんて。
小さい頃の自分と、この時の自分がつながった瞬間だった。

新しい生活を始めて間もなかったが、何か自分の中で物足りなさ...というか、何かがムズムズしていた。ピアノのレッスンには何も不満はなかった。
しかし、音楽に対しての興味はどんどん大きくなっていった。
この世界にある素晴らしい作品はピアノの曲ばかりではない。
音楽が大好きな自分が、オーケストラの素晴らしい作品を目の前に指を咥えて見ているのはどうにも我慢できなかった。

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勢いで指揮科の入試を申し込んだ。2015年2月だった。

申し込んだのはいいが、指揮の術など知らない。
入試の課題曲は、
ストラヴィンスキー「兵士の物語」とモーツァルト の交響曲第29番。
試験まで4ヶ月。とにかく本と動画を漁り、鏡を目の前に何度も真似をした。
そして動きにどんな意味があるのか自分なりにも研究した。
実際にやってみるまでは、指揮なんて簡単そうに見えた。
そう思っていた昔の自分を川に沈めてやりたい。本当に難しいのだ。

入試では50人ほどが受験していた。試験が行われる部屋の前では皆座り込んで、楽譜を床に置いて指揮の練習をしていた。
試験は筆記・作曲・ピアノ・オペラの弾き歌い・面接を含め全部で5次まであったが、試験を重ねるごとに結果発表があり、人が減っていく。
結局受かった。3人のうちの一人だった。
「ボクが?」
若干の疑問も残るが、まぁ受かったことには変わりはない。

2次試験では兵士の物語をぶっつけでアンサンブルを指揮したのが、初めての指揮だった。

とりあえず何でもやってみないとわからない。

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↑入試の時に使ったストラヴィンスキーの楽譜。
   フランスの時に行った、苦痛のソルフェージュが一番役に立った瞬間。

早速秋から指揮のレッスンが始まった。
指揮科の教授はブルーノ・ヴァイル。ハンス・スワロフスキーとカラヤンの音楽哲学を強く受け継ぎ、古楽にも造詣が深い指揮者だ。体もでかいしオーラもすごい。
初回のレッスンはプッチーニの「ラ・ボエーム」だった。もちろん指揮のレッスンは新鮮で目から鱗だったが、本当に難しい曲だった。
どうにもできなかった。
(詳しくいうと、一番最初の小節から何もできなかった)

本当に入ってしまってよかったのか。
自分の意思で受験したはずなのに、背徳感だ。

すっかり落胆したボクは先生に訊いた。
「本当にボクが入っても良かったんですか?」
するとヴァイル先生はこう答えた。

「安心しろ。俺が君を入れたんだ。5年後には自信を持てるようにしてやる。」

こうしてボクのピアノ科と指揮科のダブルメジャーは始まった。



〜ボクが見た音楽の世界 (4) | ザルツブルク〜

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