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【きまぐれ更新】Leony letter

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こんにちは、親愛なるnote住人のみなさん。 きまぐれ更新のLeony letterです。 宛名のないお手紙を書くような気持ちで書いています。よかったら覗いてみてくださいね。
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2022年6月の記事一覧

下駄を履く人は皆スキ

下駄を履く人は皆スキ

夏に木の下駄を履く人は漏れなく皆スキだ。
浴衣でも甚平でも祭りの日でもないのに、音を立てて下駄を履いてくるだけでもう「こいつはただものじゃねえな」と思う。それは決して悪い意味でも警戒するという意味でもない。趣向や価値観的な意味で、「サンダルとして下駄を選んでいる人はよほど変わっているに違いない」と期待できるということだ。良い意味で「ただものじゃねえな」と思う。だから街でナチュラルに下駄を履いている

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チェーン店への信頼

チェーン店への信頼

ずっと食べ続けるのはよくないのだろうと思いつつ、それでも高確率でチェーン店で昼食を済ませてしまうのはおそらく、手軽さや経済的なメリット以上に蓄積された信頼感によるものではないだろうか。

「あの店だったら食べ物が5分以内に出てくるだろう」
「あの店に行けば必ずあのメニューが食べられるだろう」
「あの店に行けばこの時間でも毎日やっているだろう」

そういう「イレギュラーがないこと」への信頼は、実はも

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「広島でおすすめな店教えてください!」にうまく答えられない。

「広島でおすすめな店教えてください!」にうまく答えられない。

知り合いから久しぶりにLINEが来た。「今度広島に行くからおすすめな店があったら教えてほしい!」というメッセージだった。

その人は東京の出身で今まで広島に来たことがなく、これがはじめての広島なのだそうだ。普段から広島出身・広島好きアピールをしているこのわたしに聞けば間違いないだろうという概算で、おそらくは私に連絡をくれたのだ。

こんなとき、サッと店のリンクを貼れるほどの知識のない自分がものすご

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銭湯は記憶のなか

銭湯は記憶のなか

かなり久しぶりに銭湯に行ってきた。チャリで5分の場所にあり、住宅地のど真ん中に位置しているザ・地域密着型の銭湯だ。昔ながらで結構古い内装(床がヤニで汚れているみたいに茶色い)ものの、露天風呂に加えて5種類ほどの湯があり、しかも24:30まで開いているのでやはりその周辺の住民たちがよく行っている。

銭湯に行きたいと思うのはどんな時なのか、不思議と自分でもよくわからない。私の場合は別に考えごとや悩ん

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純白の自由ではなく

純白の自由ではなく

ものすごい仕事をしている人(特にクリエイティブ関連)が皆、口を揃えて「制限のなかにこそ真のおもしろさは宿る」みたいなことを言っている。

で、最近私もそれを体感としてわかるようになった気がする。
真っ白の自由よりも、ダークグレーくらいの自由度のほうが、人はちゃんと考えるようにるからおもしろいものが出てくるのかもしれない。負荷をかけるというか。

むかしは(お前のむかしなどたかが知れてるんだよ、とい

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雨の日のカフェラテ

雨の日のカフェラテ

今日は日記のようなnoteを淡々と。



つめたい雨が降る日にはなぜか、甘ったるいカフェラテが飲みたくなる。
昭和の曲『オリビアを聴きながら』の中で歌われているような「私らしく1日を終えたい そんな夜」ではないが、そんな夜に私が飲むのはジャスミンティーではなく、お砂糖がたっぷり入ったカフェラテなのだ。(このネタ伝わるかしら……)

ここ2週間ぶっとおしで働き続けていたので、今日は「自主休業日」

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石のように固まるタスク

石のように固まるタスク

いつかは、ていうか、なるはやでやらねばいけないのに先延ばしになっているものをいくつか抱えており、それがもう胃のなかで石のように固まっている。着手するのが面倒くさすぎて憂鬱すぎて、思い出しただけで食欲が失せる。来月からはもう夏だし(?)、さすがに6月中に対処しないといけない。

石のように固まっているもの。ひとつは新卒フリーランスにのしかかる、国民健康保険と国民年金への加入(と諸々の手続き)だ。

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あらためて、自分が好きなものをならべてみる。

あらためて、自分が好きなものをならべてみる。

「好きなものはなんですか」と聞かれると、とっさに答えられない。
いや、好きなものはあるけれど、本当にたくさんあるんだけど、ありすぎて何を言えば会話のネタになるかわからないのだ。それにあまりにも好きすぎて「それを好きであることを忘れてしまっている(当たり前すぎて言うのを忘れる)」ということだってある。あとは、飽き性。この飽き性のふるいに見事勝ち抜いたものだけが、わたしにとっては「好きなもの」の仲間入

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ホワイトアスパラガスみたいな指

ホワイトアスパラガスみたいな指

この前、人生で見てきた指の中で一番綺麗な指をしている人を見た。しかも男性で。その人の指はホワイトアスパラガスみたいだった。

多分死ぬまで忘れないだろう。色が白く、縦長の美しい華奢な爪、関節がほとんどなくて、小指も親指もありえないくらい細くて長くて。あまりにも綺麗すぎて、「女の子みた〜い」って感じですらなかった。もうあれはホワイトアスパラガスでしかない。今でも鮮明な映像が思い浮かばれる。何かに拍手

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死への恐怖

死への恐怖

たまに、身近な人の死がふっと頭をよぎることがある。

「今はこうして普通にメッセージしているけど、明日死んだら?」
「今はこうして笑っているけど、この人が死んだら私はどんな顔をして泣くだろう?世界がどんなふうに見えるだろう?」
例えば母親がなんの前触れもなく死んでしまったら、私はもう今の人格には戻ってこれないと思う。立ち直ったとしても、その時の私はおそらく今とは全然違う性格になっているはずだ。そん

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私がオバさんになったら

私がオバさんになったら

「私がオバさんになっても、泳ぎにつれてくの?派手な水着はとてもムリよ、若い子には負けるワ」
と言わしめたのは日本の美脚こと森高千里だが、私の場合は「オバさんになったら好むお菓子も必然的にあんこや黒飴になるのだろうか?」という悩みを抱えて夜も眠れない。

小さい頃から不思議で不思議で仕方がなかった。
どこをどう路線変更したら、かつて少女だったはずのおばあちゃんたちは「3時のおやつ」として羊羹やかりん

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聞かせるために喋る人、伝えるために喋る人

聞かせるために喋る人、伝えるために喋る人

今週は気分的に、普段は聞かないいろんな人のポッドキャスト配信を聞いていた。

こういう場所で「話せる人」を私はとても尊敬している。自分には絶対にできない。即興で的確な例をあげたり、聞き取りやすいテンションやペースで語ったり、クセのない口調だったり。考えたりものを書くのとはまた別の脳の使い方をしなくちゃいけないような気がしている。人と話すことって。

かくいう私も実はコロナ禍に入ってすぐの頃、暇に耐

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ただいま!note!

ただいま!note!

あ〜〜〜ただいま!note。
最近いそがしくてさ。君のところに帰ってこれなくて、ホントすまなかったと思ってるよ。ごめんな。

……なに、「いそがしいは言い訳にすぎない」だって?
「だいじにしていればどんなに忙しくても書きにきてくれるでしょ」って、おいおいお前さんよ、僕だっ……

え、仕事とnoteのどちらが大切かだって?
そりゃあもちろん……



そろそろ「冗談も顔だけにしろ」という世間からの

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あたらしいことをはじめるとき

あたらしいことをはじめるとき

あたらしいことをはじめるとき、それが何であっても私はどうしようもない無能になる。
完璧主義の強い私にとって、この無能ぶりは時に、耐え難いほどの屈辱となる、こともあった。今はすこし違うけど。

言われてすぐにできるようなタイプではないし、見ただけで何となくできるようなセンスのいいタイプではない。身体的な反射神経も悪いので、言われてすぐに動くこともあんまり得意じゃない。気づけばぼーっとそこにつったって

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