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私がオバさんになったら

「私がオバさんになっても、泳ぎにつれてくの?派手な水着はとてもムリよ、若い子には負けるワ」
と言わしめたのは日本の美脚こと森高千里だが、私の場合は「オバさんになったら好むお菓子も必然的にあんこや黒飴になるのだろうか?」という悩みを抱えて夜も眠れない。

小さい頃から不思議で不思議で仕方がなかった。
どこをどう路線変更したら、かつて少女だったはずのおばあちゃんたちは「3時のおやつ」として羊羹やかりんとう饅頭という「ザ・ばあちゃん」的和菓子を食べるようになるのか。もしかして周りを安心させるために、「自分はみんなの想像するばあちゃんですよ」というブランディングでそうなるのか。(内田樹が言ってるみたいに)
なぜ人は老いるとわたしたち子供や若い衆が食べているクッキーやチョコレートをたべなくなってしまうのか。

オーバー70のばあちゃんたちはたしかに、戦後間もない頃を幼少期として過ごしている世代だ。その時代に私たちが今食べているようなアメリカンなお菓子は存在していなかったから、そもそもそんな外来物を食べる文化がなかったのかもしれない。

しかし、たまに50,60代の、私たちとさほど食文化の変わらない世代の人で食の好みがいつのまにか渋い和菓子に入れ替わっている人もいてさすがにびっくりする。
日本人は皆、年老いていくと最後はあんこや羊羹や黒糖などとにかく黒っぽい和物を好むようになるのだろうか。そのほうがDNA的に刻まれた歴史も長いし?

しかしこんな批判じみたことを言っておきながら、当の私は大の和菓子好きである。決してブーイングを言いたいわけではないのだ。
小さい頃はおばあちゃん家に行くたびにかた焼き煎餅、豆菓子、おまんじゅうを頬張っていた。しかも急須で注がれた緑茶と一緒に。
そういう体験はもう私の原始的な味覚をかたちづくってしまっていると思う。現に今でも無性に黒糖饅頭が食べたくて仕方がない時があるし、よもぎ餅を食べたくて仕方のない時だってある。
忘れた頃にふっと食べたくなるのは、おばあちゃん家で食べていたあの頃のお菓子たちなのだ。いっときかりんとう饅頭を求めて3000里みたいなこともしていた。食べたすぎて。

世の中のばあちゃんやじいちゃんがなぜいつどのように、あの渋い和菓子路線に移行したのかはわからない。わからないけれど、私の仮説つまりは「人間皆小さい頃に好んでいたものに還る説」からすれば、このままいくと私もおそらく年を重ねるにつれて渋い和菓子を好んで食べるようになるだろう。

ああそうか、もしかして渋い和菓子サイクルはこうして世代を超えてDNAに刻まれていくのか…….

そんな私がスーパーの渋いお菓子で好きなのはこの『栗しぐれ』。
もう確定だろう。私もその路線のばあちゃんになるに違いない。

……そんなことを、この前ばあちゃん世代の人からご好意でもらった飴のラインナップで思ったのでした。

塩あんこ飴と甘酒飴の衝撃よ
これをくれたばあちゃんにも無邪気にサクマドロップスを好んだ少女時代があったと信じたい

こっちはおばさんになっても海につれていってほしい人。最初のカメラアングル、今だと普通にアウトだろう。

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