見出し画像

チェーン店への信頼

ずっと食べ続けるのはよくないのだろうと思いつつ、それでも高確率でチェーン店で昼食を済ませてしまうのはおそらく、手軽さや経済的なメリット以上に蓄積された信頼感によるものではないだろうか。

「あの店だったら食べ物が5分以内に出てくるだろう」
「あの店に行けば必ずあのメニューが食べられるだろう」
「あの店に行けばこの時間でも毎日やっているだろう」

そういう「イレギュラーがないこと」への信頼は、実はものすごく大きいんじゃないかと思っている。

例えば次の打ち合わせまであと30分しかなくて、でもお腹はぺこぺこで、せめて胃に何かを入れて次の予定に臨みたいというとき。少ない時間で必ずお腹がいっぱいになるのはおそらく牛丼で、その期待と信頼を持って私たちは街のチェーンの牛丼店にいく。

どこの店舗に行っても同じ所要時間で、同じ味の同じ値段で食べ物が出てきてくること、それって一部の人にとっては結構ありがたいことだと思う。こちらは安心して隙間時間にサクッと入店して胃を満たせるし、出てくるのを待っている間に次の予定のシュミレーションに脳内シェアを割くことができる。とにかく、仕事以外のことで気を煩わせたくないという時にピッタリだと思う。

特に私の場合は意外と保守的な側面があり、新しく訪れた土地でお店を冒険することが若干ハードル高く感じてしまう部分がある。その土地の勝手もよくわからないし、扉を開けた瞬間に常連さんがシーンとなってこちらを一斉に向いたら…?そういう変な妄想があって、なかなか新しいお店を開拓する勇気と体力がない。
確かに個人店は味のこだわりがあってとても豊かなランチタイムを過ごせるけれど、場合によっては臨時休業しているかもしれないし、冒険して入ってみたら料理が美味しくなくてガッカリする可能性もある。であれば24時間いつでもどこでもオープンして注文の頼み方にも慣れているおいしいチェーンの方がいいや、となることが、私にはけっこうある。

子供の頃は昼時にチェーン店の飲食店に入ってパパッとご飯を済ませる会社員の気がしれなかったのだが、今になってみるとよくわかる。

今朝送りバントの高山会長のツイートを見てから、今日は絶対に定食を食べると決めていた。しかし、移動時間を含めて考えると個人がやっているようなお店に賭ける余裕はない。こんな時にもってこいなのはやよい軒だ。
やよい軒は定食屋ながら入口で食券を買うタイプ。肉、魚、洋風の料理も10分以内に出て静かにサッと食べられる優れたチェーンのお店だ。ところが、あたりにやよい軒がない。あるのは大戸屋だけだった。

最近気づいたのだが、やよい軒と大戸屋はかなり違う。
やよい軒の客層はどんな時間帯に行っても大抵はスーツを着た会社員が多く、どの人もサッと食べて出ていく、回転率の良い店だ。それに食事の提供時間もかなり早い。(ご飯がおかわり自由も良い)
一方の大戸屋は比較的、年齢層がかなり上だ。おじいちゃんやおばあちゃんの世代が昼も夜も多い。彼らは友達ときて喋りながらゆっくりご飯を楽しんでいたり、一人で来ているおじいちゃんは新聞を広げてご飯を食べている人もいる。昼時の時間は会社員も多いけれど、急いでそうな人はあまり見かけず、大体みんなゆったりと本を読んだりスマホを見ながら過ごしている。メニューは和の定食がおおく、脂っこいものやスタミナ系はほぼない。食事の提供時間は遅いとまではいかないけど、やよい軒にくらべれば若干長い。

大戸屋にザ・野菜炒めはなかったので、最も近しい塩麹のぶた×野菜炒め的なものを頼んだ。大戸屋に行くときはいつもゆったりした気持ちでふらっと入ることが多く、「もし20分後とかに来たらどうしよう…」と少しソワソワしながら待った。お水がなくなるのが早い。
結果、料理が来たのは注文がとられてからものの10分後くらいのことだった。さすがチェーン店…うまい、早い。時間の見積りが安心してできる。
たまにチェーン店の飲食店をやたら悪くいう人がいるのだが、角度を変えてみると気づきも多いものだ。

ついこの間「町中華を好きなのは。」で書いたことと若干矛盾しているかもしれないけれど、私とてチェーン店を全く認めていないというわけではないのだ。むしろかなり良い学習機会の場だと思っている。数百円でマーケティングを学べたりするのだから。

…とまあ、なんだかエラそうにカッコつけたことを書いてしまったのだが、それはもちろん、今まさに高山会長の『ビジネス書を捨てよ、街へ出よう』を読んでいる最中で、思いっきり感化されているからなのだ。




最後まで読んでくださりありがとうございます。 いいね、とってもとっても嬉しいです!