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銭湯は記憶のなか

かなり久しぶりに銭湯に行ってきた。チャリで5分の場所にあり、住宅地のど真ん中に位置しているザ・地域密着型の銭湯だ。昔ながらで結構古い内装(床がヤニで汚れているみたいに茶色い)ものの、露天風呂に加えて5種類ほどの湯があり、しかも24:30まで開いているのでやはりその周辺の住民たちがよく行っている。

銭湯に行きたいと思うのはどんな時なのか、不思議と自分でもよくわからない。私の場合は別に考えごとや悩んでいることがないときでも、ふらっと銭湯に行って湯に浸かりたくなるみたいだ。

去年の夏頃に無性にハマっていた時があり、家のすぐ近くの徒歩3分で着く銭湯にほぼ毎日通っている時期があった。わけもなくなぜか毎日23時になれば体が勝手に動くみたいに銭湯に行っていた。

こういう住宅地のど真ん中にあるような銭湯だと、毎晩閉店間近の時間に行くとたいてい同じメンツが揃うようになってくる。メンツと言っても私より3回り以上年上のおばさんたちが多いのだが、そういう「プロ銭湯人」たちは各々が自分の入浴行為に集中するので、こちらが入浴していてもあまり意識が散らないのがいい。各々で「いつも座る場所」とか「いつもの入り方」というものが決まっているから、それさえわかるようになれば行動経路がバッティングしないのもよかった。
だてに早い時間に行ってしまうと、ものすごい大きい声で平気で話すおばあさまたちや、やけにジロジロと視線を感じる2,30代の女性にも多くバッティングしてしまうし、自分のお気に入りのシャワーヘッドのある場所が埋まっていることもある。銭湯はどの時間帯に行くのかが大事なのだと思った。


そんな最寄りの銭湯が、つい先月、営業を終了してしまった。銭湯業を畳んでしまったのだ。

理由はおそらく利用客の減少だろう。コロナ禍以降、銭湯界隈はじわじわと値上げをしていたというのも響いていそうだ。とくにわたしの最寄りの銭湯の客層はメインがお年寄りが多く、足のわるいおばあちゃんたちがゆっくり歩いてきてゆっくり入るようなローカル度だった。当の私は先月で終わるということは知っていたけれど、なぜか入る気になれず結局入れずじまいで終わってしまった。

次に家に近い銭湯が今日行ったところだ。自転車で、大通りを隔ててむこうにいくコース。
行き帰りの夜風は気持ちがいいものの、やっぱり家から1番近かったあの銭湯が恋しくなった。ギリギリまで銭湯に行くか迷って23:15すぎに家を出ても待にあうこと。
年季が入ってるはずなのに床はピカピカ、まっしろによく磨かれていて、場所によってシャワーの水圧が変わり、わたしがいく時間はたいてい町山智浩みたいなメガネのおじさんが番頭に座っていたこと。コーヒー牛乳を買って帰りながら飲もうとしたら、その町山智浩のおじさんから真顔で「ここで飲んでほしい。」と棒読みされたこと。ちょっと時間がはやいと、細くて華奢で愛想のいい金髪のお姉さんが番頭だったこと。待合室に、かなり日焼けしたヘルタースケルターの漫画が置かれていたこと。もうぜんぶ見れないのだ。人の記憶の中でしか生きていない。足の悪いおばあちゃんたちは、どうやってこれからお風呂に入るのだろう。

どこかの場所を失っていちばん心さみしいのは、そこで二度とあたらしい思い出がつくられないことなのかもしれない。


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