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古井由吉関連の連載記事、および緩やかにつながる記事を集めました。
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2023年11月の記事一覧

相手の幻想に付きあう快感

相手の幻想に付きあう快感

【注意:この記事にはネタバレがあります。】

人見知りの人違い

 人の顔を覚えるのが苦手な私は人違いをよくするようです。たまにされることもありますが、するほうが多い気がします。

 いま「ようです」、「気がします」と書いたのは、確かめようがない場合がほとんどだからです。

 自分が人違いをしているらしいと思っても、本当にそれが人違いなのかを確認するためには、そして自分が人違いをされているらしいと

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夢のかたち

夢のかたち


死者たちの声 読む、詠む、黄泉、病み、闇、山

 辞書を頼りに「よむ」という音を漢字で分けると、「よみ」と「やみ」と「やま」が浮かんで、つながってきます。

 連想です。個人的な印象とイメージでつないでいます。夢路をたどるのです(夢は「イメ(寝目)の転」だという、夢のような記述が広辞苑に見えます)。

 よみ、やみ、やま、ゆめ。

 連想するのは、死者たちの集まる場所です。そこでは姿が見えるとい

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vigil for Virgil

vigil for Virgil


読んでから詠む
 読むことなしに詠むことはできない――。これは、日本の定型詩を論じるさいによく言われる言葉です。

 読むと詠むがつながっているようです。それはそうです。定型があるのですから、勝手につくるわけにはいきません。

 先行する歌なり句なり作品を踏まえて、個人がつくるわけです。個人は大きなつながりの中にいて、その中の枠からはみ出すことはできない世界でしょう。

 その意味で個人は故人に

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まばらにまだらに『杳子』を読む(08)

まばらにまだらに『杳子』を読む(08)


見て見て
『杳子』の「一」を読んでいると、目につくことがあります。くり返されているし、反復されているのです。

 たとえば「見」「目」「感」という文字が頻出します。驚くほど多いのです。まるで「見て見て」と言っているように感じられるほどです。

 そう感じたら、ちゃんと見てやらなければなりません。言葉は健気だし、いとおしいものです。

     *

「見」「目」「感」を見ていて気がつくことがあり

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まばらにまだらに『杳子』を読む(09)

まばらにまだらに『杳子』を読む(09)


「彼」にとっての石ころ
『杳子』の「一」では、たぶん「石」という言葉が出てくるのは、二箇所だけです。見落としがあったら、ごめんなさい。

 これは「一」では「岩」という言葉が頻出するのと対照的です。

 かたくなにと言いたくなるほど、「岩」が多く「石」が少ないのですから、裏に何かあるのではないかと勘ぐりたくなるのが人情ではないでしょうか。

 小説を読むことは謎解きではないにしてもです。

  

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まばらにまだらに『杳子』を読む(10)

まばらにまだらに『杳子』を読む(10)


見る「彼」
『杳子』の冒頭から、視点的人物である「彼」の「見る」身振りを書かれている順に――小説ですから出来事の起こった順に書かれているわけではありません――見ていきたいのですが、とても多いので、気になる部分だけを選んで引用してみます。

(『杳子』p.8『杳子・妻隠』新潮文庫所収、以下同じ)

 上の「認めて」(見留めて)は、登山に不可欠な「見る」でしょう。このように自然のしるし(兆)を知覚し

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まばらにまだらに『杳子』を読む(11)

まばらにまだらに『杳子』を読む(11)


始まり、途中、終わり
『杳子』では、たとえば「左」「右」「上」「下」のように方向をあらわす言葉が、くどいくらいにくり返し出てきます。そうであれば、方向にこだわってみましょう。

 小説は文字で書かれています。しかも、小説の文字列は線上に進んでいて、始まりと途中と終わりがあります。つまり、進行方向があるわけです。

 私は小説の始まりと終わりだけを読むことがよくあります。これは癖と言うべきかもしれ

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夢路

夢路


夜が呼ぶ、夜を呼ぶ
 闇、夜、黄泉。 

 そこでは個人が多数の他者とつらなる。他者は多者でもある。

 そこでは個人と故人のあいだの差はきわめて薄いのではないでしょうか。個人と多者のあいだの隔たりも淡い気がします。

 闇に包まれた夜は、昼間とは異なる思考が起こる時と場でもあります。

「やみ」と「よる」が「やおよろず」の「ひゃっきやぎょう」の「ようかい」を呼び起こすのです。

 それは言の葉

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明日を待つ

明日を待つ

 明日11月19日は古井由吉(1937-2020)の誕生日です。あえて、前日である18日にこの記事を書くのにはわけがあります。明という、古井のよくもちいた文字からこの文章をはじめたかったからですが、その理由についても書きたいと思います。

言葉と言葉の身振り     *

 古井由吉は、作家活動の初期から晩年にいたるまで、「開ける」と「空ける」を書き分ける現在の標準的な表記だけでなく、そのどちらの

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『杳子』で迷う

『杳子』で迷う


謎解き
 小説を読むさいに、何らかの見立てを設ける場合があります。見立てなんて言うと、もっともらしく響きますが、図式的な先入観をもって読書に臨むことでしょう。

 ようするに決めつけて読むわけです。

 たとえば、謎解きです。ジャンルがミステリーの小説であれば、謎解きがテーマなはずですから、「正しく」謎を設定して、「正しく」解いていけば、「正しい」解にたどり着けるでしょう。

     *

 

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見る「古井由吉」、聞く「古井由吉」(その1)

見る「古井由吉」、聞く「古井由吉」(その1)

聞く「古井由吉」、見る「古井由吉」
 古井由吉の小説では、登場人物は聞いているときに生き生きとしていて、見ているときには戸惑っているような雰囲気があります。

 耳を傾けることで世界に溶けこむ、目を向けることで世界が異物に満ちたものに変貌する。そんな言い方が可能かもしれません。

     *

 私にとって「古井由吉」とは小説の言葉としてあります。それ以上でもそれ以下でもありません。かつて渋谷の

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