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【大手コンサルからベンチャーへ】28歳、社会人5年目、2回目の転職

人生は短いのではない。我々がそれを短くしているのだ。

これは、ストア派哲学者のセネカが残した言葉です。
とある本でセネカが紹介されており、名前は聞いた事ある程度だったのですが、彼の事を調べてみると、彼の思想は、私が以前別の記事でも書いた『生き方すら「商品化」された空虚な現代社会』(下記参照)と通ずるものがあり、個人的に親近感を抱きました(笑)

約2,000年前に生きた人の言葉に共感している自分に対し、時空を超えた神秘的な社会の循環を感じました。どれだけ社会が技術的・文化的に発展しても人間社会の本質的な部分は変わらないのだなと、肩の力が少し抜けました。

さて、9月末を以て現職のM&Aアドバイザリー会社を退職させて頂く事になったのですが(現在は有休消化中)、転職に至った想いとこれまでのキャリアを通じて得た教訓を、セネカの思想も織り交ぜながら、綴りたいと思います。今回の転職が私の28年間の人生において、どのような位置付けかというと、自立です。この位置づけに至った背景を時系列の沿って紹介します。

【これまでのキャリアの簡単な振り返り】

これまでのキャリアは、一般的にエリートと呼ばれるような存在の影を追って、キャリアを構築してきました。正直、エリートに対して憧れていたという事実は、過去の振返りを通じて気付いたもので、面接を受けていた時点では、それにすら気づいてなかったと思います。

就活及び一回目の転職では、やりたい事が特になかったです。なんで俺はやりたい事がないのだろうか、俺はこれからの人生で何を成し遂げたいのだろうかと、その答えを見つけようと苦悩した時期がありました。そこで、やりたい事はないけど、なりたい自分ならあるかもしれないと思考を転換し、キャリアを築いていくなら、必要とされるような人材になりたいとパッと思いました。自分には芸術経験や才能もなかった為、ビジネスの道を消去法で選びました。実に安易で陳腐ですが、「イケてるビジネスマン=経営人材」といった方程式が脳裏に浮かび、必要とされるような経営人材になるという直感的な対義名分の下、これまでの面接を幸運にもくぐり抜けてきました。

今思うと、やりたい事がない事に対して一種の引け目を感じ、その逃げ道を自分に用意していたに過ぎなかったと思います。そして面接を受けていた時点では、「なりたい自分になる=自分がやりたい事」と錯覚し(あるいは自分に言い聞かせ)、潜在的なエリートへの憧れに気づかないまま、自分は自分の人生を歩めていると、呑気に思っていました。

【一回目の転職】

新卒では財閥系の総合商社に2017年4月に入社しました(もはや拾って貰ったと言う方が正しい)。2019年8月にM&Aアドバイザリー会社に転職する事になったのですが、その背景として主に2つあります。
①充実して働いている将来の自分の姿をイメージできなかった
②専門性を身に付けられないと思った

①に関しては、思い当たる節があり、おそらく会社へのロイヤリティ(忠誠心)が評価の前提にある社内風土に馴染めなかったのだと思います。会社へのロイヤリティの必要性を否定しているのではなく、社内での人間関係を優先的に意識した行動を、会社へのロイヤリティを測る基準とおく暗黙の了解に馴染めませんでした。
 今でも鮮明に覚えていますが、上司より「商社マンは気遣いが全てだ。お前は、人の目をもっと気にした方が良い」と指摘された事があります。私は自分に嘘をつけない質で、良くも悪くも自分に正直に行動してしまう為、上司からすると、私は気遣いのできない横柄で独り善がりに行動する奴に見えていたかもしれません。
 他者への気遣いを否定するつもりは全くありませんが、そのあり方について上司及び社内風土とのズレが生じていました。社内で美徳とされる他者への気遣いは、良質な人間関係を構築しようとする個々の意識及び態度で測られ、どうしても私にはそれが形式的に見えてしまい(過去に飲み会での演技指導を受けた事もあります 笑)、上手く対応できませんでした。ここではその是非について取り上げませんが、単純に私の価値観とは合わなかったです。

②日系大手企業全般に該当すると思いますが、社内では人事ローテーションを通じてゼネラリストを育成しようとする傾向がある為、専門性は身に付きにくいと判断しました。ゼネラリストを否定しているのではなく、社内でしか通用しないゼネラリストになってしまうのではないかという危惧があったのです。むしろ、内外問わず通用するゼネラリスト(幅広い分野における一定以上の経験を有する人材)になるキャリア戦略はありだと思います。一方、社内事情に明るい事を前提としたゼネラリストだと話は別で、海外駐在を経て帰国した頃には、キャリア基盤が脆くなっているのではと思いました。しかし、人によっては積極的に人事に働きかけて、主体的にキャリアを構築している人もいると思いますし、捉え方は千差万別ですので、あくまでも私個人の意見として捉えて頂ければと思います。

【二回目の転職】

専門性を身に付けたい思いでM&Aアドバイザリー会社に転職したものの、結局約2年で退職する事になりました。その背景には主に2つあります。
③M&Aアドバイザーという職種が自分の価値観と合わないと理解した
④実現したい世界観ができた

③の理由は、M&Aアドバイザーという職種の性質にあります。M&Aは案件の性質に依拠する一連のある程度決まったプロセスがあり、M&Aアドバイザーは案件の性質を適切に判断し、クライアントと伴走する形で、一連の流れに沿って案件を円滑に推進する事が主な役割です。言い換えるとM&Aのプロジェクトマネージャーです。
 さて、転職したばかりの時は、その一連のプロセス全てが目新しく新鮮なもので、ワクワクしながら実務に取組んでいました。私は案件にも恵まれ、貴重な経験を幅広くさせて頂きましたが、1年半ほど経つと、当初のワクワク感が薄れ、一連のプロセスに対する新鮮味が落ちてきました。どのような仕事であっても慣れと共に仕事に対する新鮮味は落ちると思いますが(だから人事ローテーションもあるのだと推察してます)、気づいたら実務をまるで機械的な作業の様に捌いている自分がいました。M&Aは一連のプロセスが一定程度決まっている為、余計に作業の様に感じてしまったのかもしれません。喩えると、塗り絵をしているような状態です。当初はどの色を塗れば適切か理解しておらず、塗り絵にワクワク感を覚えましたが、経験を培うと共に決められた色を塗り絵の型に合わせて、作業の様に塗っている状態になってしまいました。
 この時初めて、私は職種を選択する上で、遊び感覚を見出せる余地が十分にある事が自分にとって重要なのだと理解し、M&Aアドバイザーという職種は自分に向いてないと判断しました。

④に関しては、私のプロフィール記事(下記参照)にも記載している通りですが、「自分の絶対的尺度と向き合う人がより多くなる社会」を実現したいという思いが自分の実体験を通じて芽生えました。

【これまでのキャリアを通じて得た教訓】

⑤やりたい事や実現したい事が見つかる確率は自分の行動量に比例する
⑥過去は絶対に振り返ろう
⑦専門性に囚われてはいけない
⑧同じ会社に留まる事は、リスクにもなり得る(専門性を磨きたい場合は別)
⑨どんな職種でも一定の熟達度は必須
⑩やりたい事は別になくてもいい。ワクワクする方へ(★ここ重要)

⑤私の実現したい世界観はM&Aアドバイザリー会社への転職なしには見つからなかったと思います。転職は言い換えると行動です。行動とは、色々試してみる事と言っても差し支えないでしょう。行動にはエネルギーの消費が伴いますので、精神的にも肉体的にも疲れますが、とにかく行動し続ける事で、見えてくるものや新たな気付きが必ずあるはずです

⑥しかし、行動するだけではなく、過去を振り返らなければ、新たな気付きはないと思います。ここはセネカの言葉を引用します。

 人生は、三つの時に分けられる。過去と、現在と、未来だ。これらのうち、われわれが過ごしている現在は短く、過ごすであろう未来は不確かであり、過ごしてきた過去は確かである。過去が確かであるのは、そこには運命の力が及ばず、だれの自由にもできないからだ。
 ところが、そのような過去を見失ってしまうのが、多忙な人たちなのである。なぜなら、彼らには過去をふり返る暇がないし、かりに暇があったとしても、悔やんでいることを思い出すのは不愉快なことだからだ。それゆえ彼らは、うまく行かなかった時間を思い出すのを嫌がり、あえてふり返ろうとはしない。たしかに、今は、なにか楽しいことをすることで、彼らの欠点は、その悦楽の影に隠れているかもしれない。しかし、その時間を思い出せば、欠点は、その姿を明白に現すのだ。
引用:セネカ『人生の短さについて』

このように、セネカは過去を振り返れば欠点はその姿を明白に現すと述べていますが、その明白に現れた姿こそが自分にとっての新たな気付きなのです。私も過去を振り返る事で新たな気付きを得て、次への道が開かれました。

⑦これは私の反省も含んでいるのですが、安易に専門性を求めるのは軽率です。そもそも、専門性とは同じ領域を何度も何度も扱って身に付くものですので、その専門領域を反復的に扱う覚悟があるのか、事前調査は十分に足りているのか、好きになれる可能性はあるのか等、専門領域に対する自分なりの仮説がある方が良いと思います。とはいっても、やってみないと分からない部分が大半だと思いますが、自分なりの仮説がある事で、見えてくる景色が意味のあるものになるはずです。また、専門領域を扱う場合、それを好きになれるかが極めて重要です。好きでもないものを反復的に扱うのは、悪質な罰ゲームでしかないと思いますので、好きになれないと判断した場合は早めに次の行動に移すべきだと考えます。

⑧決して転職を勧めているわけではないですが、変化の激しい現代において、同じ会社に居留まり続けるのはリスクにもなり得ます。それは変化に対応できなくなる可能性を孕んでいる為です。変化への柔軟性は自分の引出しの多寡と相関性があると考えます。引出しの多さは行動量と比例する為、行動する分だけ引出しが増えます。引出しが多ければ多い程変化に強いキャリア基盤を構築できると考えます。ただ、注意が必要なのは、一定程度の引出しの質も担保する前提がある事です。広く浅くではなく、広くちょっとだけ深くといったイメージです。繰り返しますが、転職を勧めているのではなく、転職は引出しを増やす手段としては有効というまでで、転職しなくても、複業・副業・独学でも引出しを増やすのは可能だと思います。

⑨職種の一定の熟達度がどのような状態を指すかというと、実務の幹となる全体像を正しく理解し、枝葉となる一通りの実務は、部分的な助けを必要としても、一定程度の主導権を握れる状態だと思います。また、各枝葉の好き嫌いも分別できていれば、尚良いでしょう。一定の熟達度がなければ、行動が無駄に終わる可能性があり、ただただ時間を浪費した事になるので、一定の熟達度を確保する事は必須だと考えます。石の上にも三年という諺がありますが、石の上にも最低一年(個人差あり)だと、勝手に解釈を変えています。

⑩ここで⑤を覆すような事を書きましたが、補足すると、やりたい事はないよりあった方がいいかもしれないが、別になくても特に問題ないという意味です。理由は、やりたい事を持つべきだという考えは、現代の社会構造がもたらしているものに過ぎず、やりたい事は、ワクワクする方へ向かう日和見的な行動の蓄積に対する振り返りの中で偶然見つかるものだからです。
 私は、就活時及び一回目の転職では、やりたい事がない事に苦悩した時期もあったと記載しましたが、それはやりたい事を見つけるべきだという、現代の社会構造から端を発する実存主義的観念に囚われていた為だと分析しています。この実存主義的観念を促す要因は、主に就活及び成功者と呼ばれる人たちの影響にあると考えます。今思うと、当時やりたい事がなかったのは当たり前でした。何故なら振り返る過去が十分に蓄積されていなかった為です。
 「あなたのしたい事はなんですか?」、「あなたの夢は何ですか?」など就活で問われた人も多いだろうが、「今は特にないですが、これから色々経験する中で見つかれば良いなと思います」が本来の多くの人にとっての正しい回答のはずです。しかし、面接でそのように回答すると落ちるかもしれないという恐怖心から、無理やり壮大なものをでっちあげようとするのです(おそらく自分もそうだった 笑)。おまけに何か壮大なものを求めて自分探しの旅に出る人もいる始末です。
 また、成功者と呼ばれる人たちの影響も少なからずあると見ています。イーロン・マスク、ジェフ・ベゾス、孫正義、ホリエモンといった人たちのような、成功した起業家モデルがいる為、彼らのように壮大な夢を持つべきなのだという実存主義的観念が社会に溢れています。
 何が言いたいかと言うと、やりたい事を持つべきだと思ってしまうのは、現代の社会構造がもたらしているものに過ぎないから、余り気にしなくていいという事です。なので、やりたい事を見つけようと行動するのではなく、ワクワクする方へ向かって行動し、見つかればラッキーぐらいの心構えで十分だと思います。

【自立した先に見据える今後の取組みの紹介】

 冒頭にも記載した通り、今回の転職は私にとって自立という位置づけです。自立した状態とは、不要なものが削ぎ落とされた精神的に身軽な状態だと私は解釈しています。総合商社→M&Aアドバイザリー会社というステップを経て、自分の価値観に合わないものや、囚われていた観念から解放され、以前と比べて精神的に身軽になり、とても気が楽になりました。犬も歩けば棒に当たるという諺がありますが、ある意味当たる可能性のある棒の数が減ったと言ってもいいと思っています。
 さて、私は10月から、設立約5年、従業員が約60名のベンチャー企業に転職します。ここで何をするかというと、Geek Salonという大学生向けプログラミングコミュニティ(以下参照)の運営事業及び財務戦略の推進・事業拡大に向けた新規事業創出です。

 私も9月はプログラミングの勉強をしようと思っているのですが、何故プログラミングコミュニティの運営を選んだかというと、運営会社の掲げるビジョンと私の実現したい世界観の親和性が高いと判断した為です。繰り返しになりますが、私の実現した世界観とは「自分の絶対的尺度と向き合う人がより多くなる社会」です。絶対的尺度をワクワクする感情と自分なりに解釈しており、人間が最もワクワクするのは、自分なりの解釈を持って何かを創造している状態だと考えます。そして、プログラミングは自分の作りたいサービスや世に届けたいものを創造する手段のみならず、人間の何かを創造したいと想う心を駆り立てる手段としても、有効だと考えます。コミュニティなので、ワクワク感が組織単位で広がる可能性がある事も魅力に感じました。
 プログラミングスクールは山のようにありますが、多くは社会人向けです。学生向けのものは意外と少なく、私のこれまでのキャリア経験を経て抱いてきた想いを一番届けたいのは、これから社会人になる学生ですので、Geek Salonを選びました。また、今回のポジションはこれまでのファイナンス面での経験も生かせる部分もあり、ファイナンス周りは個人的に好きなので、事業側に立って財務戦略を立案し、それを推進できる経験も魅力に感じました。

【人生は短いのではない。我々がそれを短くしているのだ】

冒頭のセネカ言葉ですが、これは人生を浪費するから短く感じるのであり、生き方によって短くも長くなったりするのだから、無駄にせず有効に過ごす事が重要だというメッセージが込められています。私もこれまで人生をある意味浪費していましたが、浪費なしには、今眼前に広がる人生の道はなかったので、浪費という名の行動は一定期間において必要だと思います。

人生には近道も遠回りもなく、ワクワクする方へ蠢(うごめ)いてなんぼだと、学んだ4年半の人生でした。

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