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「お金」が私を、生かそうとしている?

みなさん、こんばんは。禧螺です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


9月の最終日は、夏の如く晴天でしたが、みなさんのお住まいの地域はいかがでしたでしょうか?

週末には少なからず、台風が日本列島を通るようなので、お互い何事もなく、穏やかに過ごしたいですね。


私は今、学習や創作の傍ら、フォロワーさんのマガジンを通して、お金に対する意識改革を行っています。

そう、ここまで来るまでに、私が「お金」に対して持っていた気持ちは、

「生きていても、何も生産性のない私なんかが受け取ってしまって、ごめんなさい」

というものでした。



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近頃、過去の私の「自己卑下叫び」ここに書いてしまっていることが多く、読みにくいと感じられている方もいらっしゃることと思います。

どうぞ、「最近の禧螺の記事、読むのきつい…」と思われたら、遠慮無くブラウザバックなさってくださいね。

では、本題に入ります。


前の職場で、心身を壊してしまってから、露わになった認知として、

「私なんかが、お金を稼ぐなんて申し訳ない」

「私はちゃんと役に立てられるように生きられないから、お金をもらって生活するのは、いけないことなんだ」

という考えが、四六時中、自分の中で渦巻いていたのです。

ただでさえ、職場の上司をはじめ、そこにいる全員に、迷惑をかけてしまっている状態です。

早く回復して、元気にバリバリ働いて、その対価としてお金を頂けることが、私の働き方の理想だったとも言えます。


働き方については、母から、大いに影響を受けている心当たりがあって、女性だけど男性以上に働けて、みんなから感謝されて、いきいきしていて、好きなことをそのまま仕事にしていました。

そんな母みたいな働き方で、お金を稼ぎたいと夢見ていたのに、自分のスペックを、まじまじとみていると、正直「がっかりした」意外に、思いませんでした。

「私は、寄生虫のような生き方しかできない。何の役にも立てない。かといって、誰かに媚びを売ったり、ごまをするなんてできない。こんな生き方しかできないのに、もう生きるのが疲れた…。息するのも面倒くさい…。」

見る人によっては、「非常に贅沢な悩みだ」と、仰る方がいるでしょうけれど、この時の私には、「何としてでも生きる」よりも

「生きることに疲れたので、もう消えたい」という気持ちの方が、大きかったのです。

お金は、「ちゃんと生きている人が受け取るもの、ちゃんと生きていない私はなくて当然」という認知が、私の心身を喰い荒らしていきました。



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そんな気持ちを持ちつつも、「お金」との向き合い方に、現在も、じっくりゆっくり付き合ってくださっているのが、noteで出会った方たちや、「サポート」という機能だったのです。

私はここで、誰かに「お金」での支援で生かされるとは、全く想定していませんでした。

「自分は、お金をもらって生活してはいけない」という認知でいたので、当時の私にとっては、

「これはなにか、悪いことが起こる前触れの、”今のうちに満喫しておけよ”的な、都合のいいことだろうか?!」と、

すごく焦りながら、怖がりながら、深読みしながら、解釈していました。

そうして備えておかないと、お金を受け取った後で、「実はとんでもない罰ゲームが、この後にありました~」な状況に、すぐに対応できないと思ったからです。

でも、noteでのやりとり、サポートは、そうではなかったのです。


サポートについてくる「メッセージ」に、何度も泣かされました。

「メッセージを書かない」という選択肢だってあるのに、私に時間を割いてくれて、お金のみならず、サポートした気持ちまで教えてくださることに、「どうして上手く生きられない私に、こんなに温かくしてくれるのだろうか」と、今も見返しては、泣くことがあります。

そのことと同時に「サポート」や「メッセージ」を重ねて受け取らせていただくたびに、

「キミが持っている、今までのお金に対する認知を変える時なんだよ!変える時が来たから、教えに来てるんだよ!!」

という、心の声が強くなってきているのです。

ここまで散々、この声を聴いていないフリをしていたのですが、どうやらそうもいかなくなったようです。


いつ死ぬ境遇に立たされてもおかしくないのに、本当にありがたいことに、

今日も好きな人から「お金」や「稼ぐ」のことを再認知する機会、学べる機会をいただくことができ、

今まででいただいたサポートによって、自分の夢への軍資金に回すことができ、

好きな人と会って、助け合いながら、笑い合えながら、生きていけています。


そんな機会を、次から次へといただけているのに、「そんな機会、いらない!」なんて言ってしまったら、それこそ、私の生を支えてくださる、全ての人に申し訳ないです。

「申し訳ない」と思うならば、自分の「お金」や「稼ぐ」ことの認知を、再度改めて俯瞰してみて、敏感さに困っている人、敏感さを生かして表現する仲間を支援できるような、お金の使い方、稼ぎ方、生活をしたい!!と強く思えたことから、ここ一週間で、まずは「お金」や「稼ぐ」ことの認知から、再構成しているところです。



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自分の「敏感さ」と、「働きお金を稼ぐこと」の感度が一致した、お金の学び方ができないだろうかと探した結果、なんと、フォロワーの Sunaoさん が、「『優しいマーケティング』の話をしよう。」と題して、HSP気質を第一に考慮しつつ、「お金」と「稼ぐ」ことについて、マガジンを刊行されると聞き、拝読しに参りました。



「敏感さ」に寄り添いつつ、「お金」との優しい関係を再構築してくれるお話に、「こんなお金の勉強を、教育で受けたかったなぁ」と思いながら、学ばせていただいてます。

自分の認知を変えようと意識的に行動し始めてから、急にふってきたお話だったので、正直、怖いくらいの奇跡が舞い降りていると思っています。

ですが、今は「私のために、何かがこのタイミングで、授けてくれたことかな…」と、包み隠さずに喜んでいるのです。


マガジンを、私なりにノートにまとめて、自分の頭に刷り込ませることを、意識的にやっています。

オーソドックスな方法ですが、それでも「オーソドックス」と由来を受けるほどの方法でもあると思っています。

気が付いたら見返す、そんなゆるい感じです。

その「ゆるさ」が、今の私にとって心地の良いお金との距離感なので、おそらく、学んでいくほどに、距離感は細かく変化していくものだと思います。


そして、書くためのノートは「黄色」、おともは「ナマケモノ」ちゃんにしました。


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言わずもがな、黄色はお金に直結する色です。

それと同時に、私は、黄色には「太陽」のイメージがあるので、「太陽のように、私もみんなも世界も温かくなれる、お金の使い方がしたい」と、思っています。

そして、「ナマケモノ」ちゃんですが、こちらはスローライフの達人でいらっしゃいます。

自分の個性を、そのまま強みに変えて、何かに指図されることなく、森という自然と一体となって暮らしています。

ゆったりのんびりしていて、かわいくて、人間を笑顔にしてくれる、存在自体が最高です。

そんな「ナマケモノ」ちゃんの生活をしながら、お金を稼ぐことができたら最高だろうなと想像しながら、今日もお金の勉強をしています。


「生きてお金を学べ。それを為す必要が、お前にはある。」

そんなことを、厳しくも温かく、お金さんから言われているような気がしています。



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トップ画像は 門田 真空【かどた まそら】様 からお借りしました。

ありがとうございました!


みなさんからのスキに、今日もとても幸せです。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!


それでは、今日はここまでです。

みなさん、よき夜の時間をお過ごしくださいね。



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