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にがうりの人

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#ドラマ

にがうりの人 #50
(陶酔する闇)

にがうりの人 #50 (陶酔する闇)

「ほう」

 目の前の男は私の話を聞き終えると、頬杖をついてうす笑みを浮かべた。
「なかなか面白いじゃねえか」
 相変わらずライターをいじる甲高い音を立てている。私は口を閉ざしていた。
「結局、泣き寝入りってわけか。世間は冷たいもんだな。まあ、でも今はこうしてその経験も金になっている。分からねえもんだ」
 ようやく耳障りな音を止め、男は煙草に火をつけた。いつのまにか灰皿は吸殻で一杯になっている。

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にがうりの人 #51
(嫌な女)

にがうりの人 #51 (嫌な女)

「ねえ、にがうりさん」

 後部で聞き覚えのある声が聞こえてきた。頬が痙攣する。私は恐る恐る振り返った。
「相変わらずつまらない商売してるね」
 女は詠嘆口調で言った。後ろのボックス席で頬杖をついている。
「また盗み聞きですか。悪趣味ですね」
 女の存在に腹が立ったが感情を抑え、あえて丁寧な口調で答えた。向こうのペースに乗る事はない。
「もうそろそろネタ切れなんじゃない?それともこれから仕入れるわ

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にがうりの人 #52
(寂寞の星空)

にがうりの人 #52 (寂寞の星空)

「適当に答えないでよ。キャバ嬢だよ、キャバ嬢」女は私の肩をはたきながらケラケラと軽薄な笑い声をあげた。

 キャバクラ嬢といえばドレスを身にまとい綺麗にメイクをしている浮世離れした印象なのだが、目の前の女はジャージ姿である。首から上は確かにメイクが施されているが、接客業とはほど遠い気がする。そういう意味では浮世離れしているのか。
「こういう仕事しているといろんな人間と話す機会があるんだけど」
 私

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にがうりの人 #53
(諦観の臍)

にがうりの人 #53 (諦観の臍)

 なにかと口を挟むキャバクラ嬢に私は辟易していた。しかしながら何もかもを見透かしたような態度に苛立ちを感じながらも、ある種の興味がある事も否めなかった。
 この仕事を始めてからというもの地位や名誉を背景にしたお世辞にも品があるとは言えない人間の相手ばかりをしてきた。もちろんそういった質の人間が存在するからこそ私の仕事が成り立つという事も分かっている。だからこそなのだろうか。
 しかし女の言葉にいち

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にがうりの人 #61
(偽飲預石)

にがうりの人 #61 (偽飲預石)

「学習塾を始めるんだ」

 津田沼は言い、父は誇らしげに頷いた。彼らは随分前から学習塾を開校する計画を立てていたらしい。きっかけは津田沼が父に自分の夢を語った事のようだったが、父自身も以前から教育に興味を持っていた。私には常々教育の在り方を語っていたし、連載しているコラムにも度々書いているのを知っている。だから驚いたものの、彼らがそういった同じ志を共有する事も不思議では無かった。私にとってみればむ

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にがうりの人 #63
(無念の咆哮)

にがうりの人 #63 (無念の咆哮)

 穏やかに言ったつもりだった。しかし、受話器の奥からすすり泣く声が聞こえてくる。私は驚いて「もしもし」と様子をうかがった。やがて母は私の名を呼ぶと鼻声で言った。
「もうあなたは大丈夫だね」
 何の事か。私は不思議に思ったが口には出さない。そして母はいつもと変わらない快活な口調で言った。
「強く、生きていきなさい」
 心配してくれているのだな。私はそう思っていた。

✴︎

 しかし、翌日再び日本か

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にがうりの人 #64
(苛まれる空虚)

にがうりの人 #64 (苛まれる空虚)

 日本は既に夏真っ盛りで飛行機の窓からでもその日差しの強さを感じられる。数ヶ月ぶりの母国で感傷にひたる間もなく私は父の代わりとして空港まで迎えに来てくれた津田沼と顔を合わせた。彼は弱々しい笑顔をみせ「おかえり」とだけ口にした。

「大変だったな」
 自宅を失った父が泊まるホテルまで向かう車の中で津田沼は終始無言の私を気遣ってか、運転しながら前を向いたままで言った。大変などと言う言葉で片付けられない

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にがうりの人 #65
(落涙の痕跡)

にがうりの人 #65 (落涙の痕跡)

「どうして、どうして母さんが」
 言葉がうまく発せられない。それでも知らなければならないと思った。叫ばなければならないと思った。
「分からない。でもな、父さんにとってもうそんな事はどうでもいいんだ。ただ、母さんを助けてやれなかった。それだけの事なんだ」
 そう言って再び私から顔を反らし肩を震わせた。

 その通りかもしれない。母がどうして自ら命を絶ったのか、それを知っても新たに悲しむ事になるのか、

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にがうりの人 #66
(矛先と矢面)

にがうりの人 #66 (矛先と矢面)

 母の死から一ヶ月が経った。私達父子は自らに空いた大きな穴を埋める事に必死だった。それが出来ない事は分かっていたが、何かに没頭しないと立っていられなかったのだ。だから父は相変わらず仕事に、私は狂ったように勉学に勤しんだ。

 その日も父は帰宅せず、私は既に夕食を済ませ机に向かっていた。集中していたせいか、ふと時計を見ると既に二十三時を過ぎている。そこで電話が静寂を断ち切るようにけたたましく鳴った。

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にがうりの人 #67
(果ての鬼畜)

にがうりの人 #67 (果ての鬼畜)

「もしもし、俺だ。津田沼だ」

 普段の津田沼とは思えぬ、低い地を這うような声だった。その疲弊感は受話器ごしでも伝わって来る。
「お前ももう知っているかもしれないが、落ち着いて聞いてくれ」
 胸がざわつく。私は既に泣いていた。それがどんな感情なのかは分からない。それでもとめどなく溢れ出る涙を抑える事は出来なかった。嗚咽を繰り返し、うわ言のように父を呼ぶ私を津田沼はなだめつつ、乾いて掠れた声で事の顛

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にがうりの人 #69
(隔たれた血)

にがうりの人 #69 (隔たれた血)

 数日後、私は津田沼と高峰弁護士に連れられて郊外の街にいた。父が拘留されている拘置所である。ひっそりとした住宅地の中に突然現れるその敷地内に屹立する建物は異質そのものだった。そんな得体の知れない箱の中に父が捕らえられていると思うと、私の心はざわつき重くなった。

 私達は諸々の手続を終えると、刑務官に面会室へ通された。暗いグレーのその部屋は湿っぽい臭いがし、来る者を冷たく断罪するかの如く私達を取り

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にがうりの人 #70
(晦冥の奥)

にがうりの人 #70 (晦冥の奥)

 これはどう言うことだ。目の前にいるのは罪の無い人間を三人も殺した殺人鬼である。慮る必要などないはずだ。私は矢も楯もたまらずそれまで感じていた憤りを爆発させた。
「どうして人殺しなんてしたんだ!気でも狂ったのかよ!」
 アクリル板を強かに殴打し、色をなして取り乱す私を津田沼と高峰弁護士は慌てて押さえつけた。
 なぜ父は殺人を犯したのか。
 これから私達家族はどうなるのか。
 頭の中であらゆる疑問や

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にがうりの人 #71
(揺さぶられた臓物)

にがうりの人 #71 (揺さぶられた臓物)

 そこにいるのは土色をした父だった。私はその場に崩れる。もはや涙も出なかった。死してなお悲しげな表情の父は何を思いながら最期を迎えたのだろうか。
 どうして。なぜ。
 憤りがやがて悲しみに変わり、再びやりきれない怒りに変わる。あまりの理不尽な現実は私の感覚を麻痺させ、精神は崩壊寸前であらゆる考えや感情が頭の中に溢れるが整理がつかない。
「これはなんなんですか」
 既に私は度を失っていた。自分でも驚

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にがうりの人 #72
(終焉の狼煙)

にがうりの人 #72 (終焉の狼煙)

 軟弱そうな男は忙しなく眼球を動かして私の話を聞いていた。
「以上です」
 私が舞台の幕を閉じるようにそう呟くと急に現実に引き戻されたように男は目を丸くする。
「その、その後は、ど、どうなったんです?」
「今回のお取引はこれで終わりです」
 私の言葉にそれまで肩をすぼめていた男が初めて身を乗り出した。
「ちょ、ちょっと待ってください。け、結末が知りたいんですよ。も、も、物語にはオ、オチが必要ですし

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