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にがうりの人 #66 (矛先と矢面)

 母の死から一ヶ月が経った。私達父子は自らに空いた大きな穴を埋める事に必死だった。それが出来ない事は分かっていたが、何かに没頭しないと立っていられなかったのだ。だから父は相変わらず仕事に、私は狂ったように勉学に勤しんだ。

 その日も父は帰宅せず、私は既に夕食を済ませ机に向かっていた。集中していたせいか、ふと時計を見ると既に二十三時を過ぎている。そこで電話が静寂を断ち切るようにけたたましく鳴った。無機質で場違いなその音に嫌な予感が走り、そしてそれは的中した。
「もしもし、俺だ。津田沼だ」
 くぐもっているが、焦りを押し殺しているように聞こえる。
「大変な事になった。お父さんが」
 津田沼が息を飲む様子が目に浮かんだ。私も全身が固くなるのを感じる。

「お父さんが、逮捕された」

 まるで映画やドラマのワンシーンを見ているかのように私は一瞬疑問すら湧かない。だが、何度も聞き返すと津田沼は私を落ち着かせようとし、そして同じ事を言った。
 父が何故警察に拘束されなければならないのか。だが、私がそれを問いただしても津田沼は口ごもった。
「今日お父さんは帰れないだろうが、お前はもう寝なさい。明日の朝そっちに行くから」
 私は言われるまま床に就いたが、無論寝られる訳はなかった。布団に潜り、様々な事を考えようとしても頭が言う事を聞いてくれない。母の死をようやく受け入れられそうだというのに、父親の逮捕という思春期の子供にとって過酷過ぎる負の連鎖が小さな心をきしませた。

 結局一晩中まんじりともしないで、窓の外の白んでくる東の空を眺めていた。支配していた静寂が無くなっていく。そうしてぼんやりとまどろんでいた私はふと外の様子がおかしい事に気付いた。太陽は既に顔を見せている。上半身だけ起き上がり窓の外に目をやった。そして、何も知らないのは自分だけだと言う事に気付いたのである。
 自宅マンション前の車道には所狭しとワゴン車が止まり、人集りが出来ていた。それが報道各社の中継車であり、取材陣であることを知ったのはテレビをつけてからだった。そして毎朝見慣れたニュースキャスターは深刻な面持ちでこう言った。

「ベストセラー作家、殺人容疑で逮捕」

 私は蒼白となり、事の重大さに慄いた。何故父が殺人を犯さなければならないのか。その疑問は母親の自殺を知らされた時と同じ感覚であった。信じられないという思いと現実がぶつかるが、変えようのない事実が私を追い込む。思考は停止し、体が言う事を聞かない。そのうちひっきりなしに玄関のチャイムが鳴り始め、それが私を責めたて、まるで自分が犯罪者のような錯覚に陥る。そうやって私が震えていると傍らの電話が鳴り、声を上げそうになった。

続く

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