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にがうりの人 #64 (苛まれる空虚)

 日本は既に夏真っ盛りで飛行機の窓からでもその日差しの強さを感じられる。数ヶ月ぶりの母国で感傷にひたる間もなく私は父の代わりとして空港まで迎えに来てくれた津田沼と顔を合わせた。彼は弱々しい笑顔をみせ「おかえり」とだけ口にした。

「大変だったな」
 自宅を失った父が泊まるホテルまで向かう車の中で津田沼は終始無言の私を気遣ってか、運転しながら前を向いたままで言った。大変などと言う言葉で片付けられない事は津田沼自身も分かっていただろう。しかし、それ以外に言葉が見つからない事も私には分かっている。そしてその言葉に応えられない私は口を閉ざすしかなかった。

 やがて見慣れた街並みが目に入ると、突きつけられた現実を無理やりにも目の当たりにされたようで卒倒しそうになる。
 母は本当に自らの命をたったのだろうか。
 少なくとも私には楽観的な人間に見えていた。それは私の勝手な思い過ごしで母には母なりの苦労があり、思いつめる何かがあったのかもしれない。
 だが、そのような分析じみた考えはホテルの前に到着した途端に消えた。
 もう私には帰る家がないのだ。
 私は不意に胸の奥をえぐり取られる思いがした。自然と涙が溢れ視界が歪む。エレベーターを上がり案内された部屋へ入ると、父は昔の写真をテーブル一杯に広げてうなだれていた。カーテンは閉められ、窓からは薄らと太陽の光が翳りつつあるのが分かった。まるで何かの儀式を見せられているかのようで、私は動揺する。やがて父は私に気が付くとやつれた顔を上げて歯をみせた。

「長旅、疲れたろ?ごめんな」

 そして、震える声で言った。

「母さん、死んじゃったよ」

 私はその場に崩れ落ち、滂沱と泣いた。父の詳細によれば、母が命を絶ったのは私に電話をよこした数時間後であり、母にとって息子との最期の会話だったのだ。
 なぜ異変に気づいてやれなかったのか。愚鈍な自分を呪い、自責の念にかられた。取り返しのつかない事は世の中に数多かれど、悔しさと悲しさと、そして何かに対する憎悪が入り混じりそれらがなんなのか理解できず、理解しようともせず、とにかくあの優しかった母の存在が無くなった事実が私を打ちのめしていた。

「仕事に戻ってください。私に頼れるのは津田沼さん、もうあなたしかいないんです」

 ただただ茫然と私達を眺める津田沼に父は言った。津田沼は一度私の肩に手を置くと静かに立ち去って行った。二人きりの部屋はそれが肉親同士とは思えない程重々しい空気に充満されている。どうにもならない感情だけが私達の肩にのしかかっていた。やがて嗚咽を繰り返す私に父は近づき、抱きしめた。きっとそうする事しか術はなかっただろうし、そうする事以外にすべき事はなかったのだろう。私はようやく落ち着きを取り戻し、父の目を見た。真っ赤に腫れ上がり、まるで少年のようだった。
 そして私は床に何度も何度も拳をぶつけていた。

続く

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