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ozzy
2020年7月31日 07:30
三階まで階段を上がり、廊下を進む。時折開け放した部屋を覗くと窓の外には広大な海が広がっていた。患者にとってそれがどう映るのか定かではないが、決して悪くないような気がする。きっと彼女の母親もこの海を見てなにか思う事があるのではないだろうか。横を歩く成美は依然として顔を紅潮させている。まるでその緊張が心臓から全身に駆け巡り、耳の先まで赤くしているようである。 彼女がある部屋の前で足を止めた。その部
2020年9月19日 07:30
父はそれまでの愛情を金に換えて私に注いできたが不登校になると見向きもしなくなり、母は私に怯えていた。膨らみすぎた期待が駄目になり、それに対処する術が両親には無かったのだ。 故に私の復活は両親にとって嬉しかったに違いない。父も母も津田沼を褒めちぎり、自宅へと何度も招待してそれはそれは下にもおかない歓待ぶりだった。 私が通っていた某大学付属小学校は卒業すると所謂エスカレーター式で中学校へ入学す
2020年9月21日 07:30
父はよく津田沼を評した。それは息子の担任としてではなく、一人の人間として接していると私には受け取れた。「彼はバイタリティに富んでいる」「若いのに非常に思慮深い男だ」「教師にしておくのがもったいない」 私にはそれがほめ言葉なのか判然としなかったが、ともかく父の嬉しそうに話す表情を見ていると自分も嬉しくなった。✴︎ それは私が翌年の春からイギリスへの単身留学を考えていた為、準
2020年9月25日 07:30
日本は既に夏真っ盛りで飛行機の窓からでもその日差しの強さを感じられる。数ヶ月ぶりの母国で感傷にひたる間もなく私は父の代わりとして空港まで迎えに来てくれた津田沼と顔を合わせた。彼は弱々しい笑顔をみせ「おかえり」とだけ口にした。「大変だったな」 自宅を失った父が泊まるホテルまで向かう車の中で津田沼は終始無言の私を気遣ってか、運転しながら前を向いたままで言った。大変などと言う言葉で片付けられない
2020年10月14日 07:30
まるで赤い照明を点けたと錯覚する程、それは凄まじく、地獄絵図だった。 リビングテーブルの上で仰向けで倒れている母親と思しき女性は正面から数十カ所刺されたのか、腹からは内蔵が飛び出している。小学生と思われる男の子はちょうど切腹した後の武士のように正座から前のめりで息絶えた上、背中もメッタ刺しにされていた。 そして最後まで抵抗したのか、父親と思われる男性はソファでゴルフクラブを握りしめたまま頸動
2020年10月15日 07:30
「ところがあなたの奥さんはね、死ぬ直前に私との事をしたためた手紙を何者かに送っていたんですよ。その何者かが今あなたの目の前で絶命している連中です」 Tはまるで指をさすように状況を説明する。その事務的な口調にGは胸焼けを覚える。そしてあろうことかTは鼻を鳴らして言った。「そいつらが私を呼び出して偉そうに説教してきたものですから、カッとなって刺しちゃいました」 A夫妻はTの犯罪を警察に告発し
2020年10月16日 07:30
私は読み終えて愕然とした。やはり全ては津田沼の策略だったのだ。 彼は君のお父さんが死ぬ直前、巧妙な手口で君たち家族の財産を手にしていた。証拠が残らないよう、また法的に問題が無いようにだ。そしてお父さんはそんな津田沼に嵌められて無実の罪を背負い、自らの命を絶った。 何故なのかこれを読み終えた君になら分かるだろう。 一刻も早く君に伝えなければならない。 私はそう思い事務所を設立した後も君を
2020年10月17日 07:30
名状しがたい感情を吐き出すべく、私は一晩中部屋の中でもがき苦しんだ。想像以上に過酷であった真実の過去が現在の私を苦しめ、しかし今の感情をどうにかして昇華させないと前には踏み出せないという思いがそうさせるのであろう。 窓の外の白んでいく空を腫れた目で眺める頃、私は全ての感情を出し尽くした。 もう迷いは無い。 心も揺れ動かないし、涙も出ない。私の中の全ては一つに向かっていた。 それは怒り
2020年10月19日 07:30
見るからに強欲そうなその老人は私に近づき、こう囁いた。「あんた身なりはいいが、こちら側の人間じゃないな」 こちら側という言葉が私の心のひだに引っかかった。何を持ってしてこちら側と言うのか。だが、その鋭い眼光は確かに尋常ではない。私は狼狽した。「金の無い人間に何の価値がある。悪い事は言わない。早くここから立ち去るがいい」 老人は見下した目で私を一瞥し、背中を向けた。 しかしチャンスだと思
2020年10月20日 07:30
「つまらない話を聞かせて悪かったな」 女はじっと私を見ている。その瞳はどこか寂しげでそれでいて力強く、私は耐えきれず視線を外す。無言が続き、いたたまれなくなった訳でもないが私は席を立った。 もうここら辺で潮時だろう。様々な事がありすぎた。それもこれで終了である。「それじゃあ」 私は女に片手を軽く上げて店を出た。女は気にも留めていないのか、窓の外に目をやったままだった。それも納得できる。思
2020年10月21日 07:30
「ああ、もう」 背後から聞き慣れた声が心底煩わしそうに飛んできた。「面倒くさいなあ」 振り返ると茶色に痛んだ髪を掻きむしりながら女が立っていた。「こういう白々しい展開って好きじゃないんだよねえ」 女は口を尖らせて睨んでくる。「どうせ死ぬ気なんでしょ」キンとした夜の空気が辺りを包んでいる。「あんた誰だか知らないけど、ありがとな」 そう言って私は馴れない笑顔を作った。最期の最期にこ
2020年10月26日 07:30
神崎太一は狼狽えていた。 新宿の一等地に屹立する巨大ビルの高層階に複数フロアーを本社として構えるまでに自社を成長させ、地位も名誉も得た人間とは思えない程青ざめていた。 ここのところ、どうもついていない。 溺愛していた女秘書は経営コンサルタントの男に奪われ、金まで持ち逃げされてしまった。 こんな屈辱は初めてだった。自分が著名になってしまった今、こんな事は口が裂けても他人には言えない。
2020年10月27日 07:30
京介は一体どこで何をしているんだ。 呼び出したのは今朝だ。いつまで経っても姿を現さない京介に苛立ちは募り、神崎の貧乏揺すりはいつになく激しくなる。そこへドアをノックする音が聞こえ、一人の男が顔を出した。「おお、京介か。遅いぞ。とにかく入れ」 息子である蒲田京介は神崎が若い頃、事業を展開する為に在住していた関西で出会ったホステスとの間に出来た子供だった。若気の至りよろしく、遊びのつもりだった
2020年10月28日 07:30
「ああ、こいつな。俺も読んだわ。あんたの事やないか。どっから漏れたんやろな。やっぱり怖いんか?」「怖い?馬鹿な事言うな。なんの証拠も無いし、表向きは事件自体が解決済みなんだ。俺は無関係なんだよ。まさかお前がどこかで口走ったんじゃないだろうな?」 そう言って京介をぎらりと睨みつけた。「へへへ。あんたらしくないねんな」 京介はポケットからタバコを取り出し、火をつけた。「安心せえや。だいたい俺