にがうりの人 #88 (泥の語らい)
京介は一体どこで何をしているんだ。
呼び出したのは今朝だ。いつまで経っても姿を現さない京介に苛立ちは募り、神崎の貧乏揺すりはいつになく激しくなる。そこへドアをノックする音が聞こえ、一人の男が顔を出した。
「おお、京介か。遅いぞ。とにかく入れ」
息子である蒲田京介は神崎が若い頃、事業を展開する為に在住していた関西で出会ったホステスとの間に出来た子供だった。若気の至りよろしく、遊びのつもりだった神崎は堕胎するよう求めたが女は密かに産み、そして姿を消した。
その後神崎が経営者として成功すると、女は再び目の前に現れ金を無心するようになった。最初は遠慮がちだった女も次第に息子を引き合いに出し、脅迫めいた事を口にし出したのだった。
そして神崎は意を決する。自分の成功には邪魔な存在であるとスキャンダルを恐れホステスを秘密裏に、消した。裏社会の組織に依頼しただけであるからそれが死を意味するのかは神崎には分からない。
とにかく神崎の前からホステスは消え、息子である京介が残った。
京介の事は幼い頃から何不自由無く育てた。そのせいか随分と利己的な成長を遂げた。非行に走り何度となく警察の世話になったが、その度にあの手この手でもみ消した。
だが今はそれが役に立っている。神崎の過去を追い回し、妙な告発文まで送りつけてきた弁護士には巧妙に因縁をつけ、結果自殺まで追い込んだ。神崎は京介の手段を選ばない残忍なやり口を買っており、だからこそ自由にさせていた。
「金くれや。もう一軒クラブ作りたいねん」
パーカーにだぶついたジーンズ姿の京介はふてぶてしくそう言った。神崎は眉をよせる。
「会社に顔を出すときはジャケットくらい着てこい。あと、その関西弁はなんとかならないのか」
神崎は京介が発する関西弁を聞くたびに母親であるホステスの顔がちらつき、胸焼けをおこした。
「汚れ仕事は俺が全部やっとるやないか。今更文句言わせへんで。え?津田沼先生よ?」
神崎は名を変え、整形で顔を変え、ようやくここまでたどり着いた。社長室の大きな窓から街を睥睨し、人の上に立つ事が出来たのだ。
彼を良く知る者は口を揃えて言う。
「神崎の強さは感情が無い事だ」
それは挫折やリスクを恐れない事だけではなく、時として人を人と扱わない冷徹非情な側面も表している。
ただ神崎自身はそれが強さであるとは感じていなかった。根本に情や義理を持ち合わせない彼にとってそれは自然な振る舞いであったからだ。他人に指摘されてそれが生き馬の目を抜く世知辛い社会で生きていく上で強さなのだと認識した。
人生に選択肢など、無い。やりたいようにやる。それが彼の信条であった。
金や地位は人を引き寄せ、そして自分を気持ちよくさせる言わば生きていく上での最高のツールである事を神崎は知っているのだ。だから津田沼という以前の名前も顔も、前職であった教師にも全く未練は無かった。
「分かった分かった。次はこいつだ。こいつをなんとかしろ」
神崎はテレビを指差した。相変わらず青白い顔の男がたどたどしくインタビューに応じている。京介はテレビに目をやり、いやらしく微笑んだ。
続く
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