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にがうりの人 #59 (驕りの家族)

 父はそれまでの愛情を金に換えて私に注いできたが不登校になると見向きもしなくなり、母は私に怯えていた。膨らみすぎた期待が駄目になり、それに対処する術が両親には無かったのだ。
 故に私の復活は両親にとって嬉しかったに違いない。父も母も津田沼を褒めちぎり、自宅へと何度も招待してそれはそれは下にもおかない歓待ぶりだった。

 私が通っていた某大学付属小学校は卒業すると所謂エスカレーター式で中学校へ入学する。津田沼は小学校教諭であったため、私が中学に進級すると校内で顔を合わせる機会はほとんどない。しかし私達家族にとって津田沼が家族同然の存在であることは変わらなかった。相変わらず父は津田沼とゴルフへと出かけたり、母は津田沼を自宅へ招き、彼の好物であるすき焼きを振舞ったりとプライベートでの交流を深めていた。

✴︎

「人生で大切にしなければならない物は何かわかるか?」
 その日も父が津田沼を自宅に招き、自慢のゴルフクラブを片手に夕食後のコーヒーを飲んでいるときだった。私は彼らがいつもよりも話し込んでいる傍で文庫本をめくっていた。時間も遅くなり帰り支度をしていた津田沼が振り返り、私に向かって唐突に言ったのだった。私は虚をつかれ、その禅問答のような質問に口が開かない。そして笑みを浮かべる津田沼に私は尋ねるように答えた。
「自分?」
 津田沼はあごを上げた。
「そうだな。でも、それは当たり前すぎる」
「じゃあ、何?」
 一瞬間をおいて津田沼は私の両親を見た。そして再び微笑んだ。
「自分を囲む人だよ。今ある自分は周囲の人間に助けれて存在するんだ。だから逆に言えば自分を大切にするってことは周囲の人たち、つまり家族や友人を大切にすることなんだ。そうすることによって始めて自分の存在を確認できる」
 私には彼の言わんとしていことを理解するには幼すぎたのかもしれない。私の腑に落ちない表情を見ると津田沼はわっと笑い声を上げた。「分からないよな。でもそのうちお前も自分で考えるようになる。それが大事なんだ」
 そして彼は私に近づくと耳打ちした。

「実はもう一つ大切な事があるんだが、それはまた今度教えてやるからな」

 父と母は私達の様子を見ると顔を見合わせて不思議そうな表情を浮かべていたが、津田沼は丁寧な挨拶を済ませて帰宅した。

 それ以来彼は頻繁に私の家に訪れるようになった。どうやら父が招いているようだったが、それまでと違い彼らは父の書斎にこもり話し込むようになった。時折部屋から出てくる父をつかまえては聞き出そうとするが、適当にはぐらかされ、私は少しばかり嫉妬したものだった。

続く

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