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にがうりの人

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2020年10月の記事一覧

にがうりの人 #69
(隔たれた血)

にがうりの人 #69 (隔たれた血)

 数日後、私は津田沼と高峰弁護士に連れられて郊外の街にいた。父が拘留されている拘置所である。ひっそりとした住宅地の中に突然現れるその敷地内に屹立する建物は異質そのものだった。そんな得体の知れない箱の中に父が捕らえられていると思うと、私の心はざわつき重くなった。

 私達は諸々の手続を終えると、刑務官に面会室へ通された。暗いグレーのその部屋は湿っぽい臭いがし、来る者を冷たく断罪するかの如く私達を取り

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にがうりの人 #70
(晦冥の奥)

にがうりの人 #70 (晦冥の奥)

 これはどう言うことだ。目の前にいるのは罪の無い人間を三人も殺した殺人鬼である。慮る必要などないはずだ。私は矢も楯もたまらずそれまで感じていた憤りを爆発させた。
「どうして人殺しなんてしたんだ!気でも狂ったのかよ!」
 アクリル板を強かに殴打し、色をなして取り乱す私を津田沼と高峰弁護士は慌てて押さえつけた。
 なぜ父は殺人を犯したのか。
 これから私達家族はどうなるのか。
 頭の中であらゆる疑問や

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にがうりの人 #71
(揺さぶられた臓物)

にがうりの人 #71 (揺さぶられた臓物)

 そこにいるのは土色をした父だった。私はその場に崩れる。もはや涙も出なかった。死してなお悲しげな表情の父は何を思いながら最期を迎えたのだろうか。
 どうして。なぜ。
 憤りがやがて悲しみに変わり、再びやりきれない怒りに変わる。あまりの理不尽な現実は私の感覚を麻痺させ、精神は崩壊寸前であらゆる考えや感情が頭の中に溢れるが整理がつかない。
「これはなんなんですか」
 既に私は度を失っていた。自分でも驚

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にがうりの人 #72
(終焉の狼煙)

にがうりの人 #72 (終焉の狼煙)

 軟弱そうな男は忙しなく眼球を動かして私の話を聞いていた。
「以上です」
 私が舞台の幕を閉じるようにそう呟くと急に現実に引き戻されたように男は目を丸くする。
「その、その後は、ど、どうなったんです?」
「今回のお取引はこれで終わりです」
 私の言葉にそれまで肩をすぼめていた男が初めて身を乗り出した。
「ちょ、ちょっと待ってください。け、結末が知りたいんですよ。も、も、物語にはオ、オチが必要ですし

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にがうりの人 #73
(狂気の空の下)

にがうりの人 #73 (狂気の空の下)

 何十年かぶりの鎌倉の町並みはさほど変わっていなかった。育ったこの土地を訪れてから私は全てを終わりにしようと決めていたのだ。
 いつからかこの街に暖かいイメージはない。この日も気温は低く、朝の天気予報ではキャスターがこの冬一番の寒さと威張るように言っていた。駅前は平日とその寒さのせいもあってか人気はまばらである。
 空はむやみに高く、青い。
 ロータリーを抜け、商店街へ入ると幾分か人が増える。両脇

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にがうりの人 #74
(思念は虚構へ)

にがうりの人 #74 (思念は虚構へ)

 私は無性に悲しくなった。考えてみれば、過去を売るという商売を始めて幸せな話が取引の対象となる事はほとんどなかった。
 人間は他人の不幸が好きだ。他人の不幸と相対的に自分の幸せを決める。それが道徳として善なのか悪なのかはどうでもいい。ただ、醜い過去を捨てる事により幸せだった頃が今になって際立った事が、私の心を刺した。

 歩を進めるといよいよ私は苦しくなる。母が死に、燃え落ちた家に向かった時もこの

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にがうりの人 #75
(告白の的)

にがうりの人 #75 (告白の的)

「何か用?」

 女は相変わらず愛想の無い目つきで私を見上げた。いつもどおり深夜のファミリーレストランである。身辺を整理し、この日を迎えた私は迷う事無くこの高飛車なキャバクラ嬢の元へ足を向けたのだ。女を探すため何軒のファミリーレストランを廻るのだろうかと考えていたが、まさか一軒目で見つかるとはさすがに驚いた。
 最後の最後についているなんて自分らしいなと思い、少し苦笑した。女はまだ怪訝な表情で私を

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にがうりの人 #76
(それからの塗炭)

にがうりの人 #76 (それからの塗炭)

 高峰弁護士が自らの命を絶ち、私は再び生きる気力をなくしていた。信頼できる人物がことごとく私の前から消えて行く。

 これはどういう事なのか。

 既に迷いというレベルではなく、私の精神はいよいよ混沌とした。
 自分の人生は周りを駄目にし、それにより私自身を駄目にする。そうやって私の中では負の思考が螺旋状に連鎖し、どんどん地の底へと私を追い詰めた。どうすることもできなくなり宗教に救いを求めた事もあ

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にがうりの人 #77
(路傍の独白)

にがうりの人 #77 (路傍の独白)

以下、高峰雄一弁護士の手紙より

 君がこの手紙を読む機会があるかどうか、私には分からない。 
 しかし、いつか君が成熟して世の中の善と悪、そして理不尽な社会を受け入れる事が出来たときにこの封を開けてくれる事を切に願う。 
 いずれは君も疑問に思うはずだ。これから記す事はその疑問に対する答えなのかもしれないし、そうでないかもしれない。 
 だが、私はこれが真実だと確信している。どうか、お父さんが残

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にがうりの人 #78
(凶弾の調べ)

にがうりの人 #78 (凶弾の調べ)

お父さんは何かを隠しているのではないか。
 本当にこの人物が殺人を犯したのか。
 私の中にポツリと浮かび上がっては消え、浮かび上がっては消えるほころびのようなものが次第に大きくなりつつある。
 公判が始まっても私は心の何処かで疑いを持っていた。もちろん何度もお父さんに犯行について問いただした。しかし彼は自分がやりましたの一点張りで弁護士である私はその供述に従わざるを得ない。
 そこで私は君を傍聴さ

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にがうりの人 #79
(真贋と考察)

にがうりの人 #79 (真贋と考察)

(中略)
「もしもし、お願いです。すぐ来てもらえますか?大変な事になっているんです」
 Tの声は尋常ではなく、むしろそれがGを冷静にさせた。
「おいおいそんなに慌ててどうした?」
「とにかく、とにかくAの家に来て下さい」
時折、雑音が混じり聞き取りにくい。
「Aの家?なぜそんなところに君がいるんだ?いったい何があった?落ち着いて話せ」
「早く、早く」
 そこで電話が途絶えた。Gは混乱した。だが、

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にがうりの人 #80
(地獄での邂逅)

にがうりの人 #80 (地獄での邂逅)

 まるで赤い照明を点けたと錯覚する程、それは凄まじく、地獄絵図だった。
 リビングテーブルの上で仰向けで倒れている母親と思しき女性は正面から数十カ所刺されたのか、腹からは内蔵が飛び出している。小学生と思われる男の子はちょうど切腹した後の武士のように正座から前のめりで息絶えた上、背中もメッタ刺しにされていた。
 そして最後まで抵抗したのか、父親と思われる男性はソファでゴルフクラブを握りしめたまま頸動

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にがうりの人 #81
(儚む終末)

にがうりの人 #81 (儚む終末)

「ところがあなたの奥さんはね、死ぬ直前に私との事をしたためた手紙を何者かに送っていたんですよ。その何者かが今あなたの目の前で絶命している連中です」
 Tはまるで指をさすように状況を説明する。その事務的な口調にGは胸焼けを覚える。そしてあろうことかTは鼻を鳴らして言った。

「そいつらが私を呼び出して偉そうに説教してきたものですから、カッとなって刺しちゃいました」

 A夫妻はTの犯罪を警察に告発し

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にがうりの人 #82
(ほつれゆく心)

にがうりの人 #82 (ほつれゆく心)

 私は読み終えて愕然とした。やはり全ては津田沼の策略だったのだ。
 彼は君のお父さんが死ぬ直前、巧妙な手口で君たち家族の財産を手にしていた。証拠が残らないよう、また法的に問題が無いようにだ。そしてお父さんはそんな津田沼に嵌められて無実の罪を背負い、自らの命を絶った。
 何故なのかこれを読み終えた君になら分かるだろう。

 一刻も早く君に伝えなければならない。
 私はそう思い事務所を設立した後も君を

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