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にがうりの人 #73 (狂気の空の下)

 何十年かぶりの鎌倉の町並みはさほど変わっていなかった。育ったこの土地を訪れてから私は全てを終わりにしようと決めていたのだ。
 いつからかこの街に暖かいイメージはない。この日も気温は低く、朝の天気予報ではキャスターがこの冬一番の寒さと威張るように言っていた。駅前は平日とその寒さのせいもあってか人気はまばらである。
 空はむやみに高く、青い。
 ロータリーを抜け、商店街へ入ると幾分か人が増える。両脇に小粋な店が立ち並び懐かしい香りを漂わせ購買心を煽っていた。
 観光客の間をすり抜けてしばらく行くと鶴岡八幡宮は見えてくる。広大な敷地に腰を据え、八百年あまりの時を刻み深々とした木々の中に威風堂々と佇んでいるその姿は、そこに来訪する人々を目踏みする訳でもなくただただ遠くを眺めているようだった。
 父が作家として成功する以前から私達家族はここへ正月になると初詣に訪れていた。神の御前で貧乏も裕福も無い。ここへ来ればそれを肌で感じる事が出来た。静かな境内の澄んだ空気を吸いながら私はそうやって過去を振り返るという自分に課していた掟を自ら初めて破った。

          ✴︎

 今、私の人生は私のものでは無くなってしまった。それは肉体を切り刻まれ投棄されるのと同様、全て私の意識から離れていく事である。少なくとも私はそう解釈し、この何年間か自らの精神を切り刻んでいた。だからこそ他人に金というもはや私にとって意味をなさない価値という概念と引き換えにした私の過去を無いものとして考えている。
 しかし育った街を訪れた事によってそれらが私の内々に再び溢れ、そして溢れ出てしまった。そしてそれでもいいと思う自分もいた。やるべき事はやったのだ。ただの器でしかない私を誰が咎めるというのだ。もう覚悟は出来ている。
 参拝し、意味もなく儀礼的に手を合わせる。高台の社から振り返ると海が見えた。空の色とこんなにも似ていたのかと気づかされ、はっとする。太陽が暖かい。風がそれを邪魔するように冷たく吹き、木々が枝をまるで手のひらのように天高く伸ばし揺れる。
 私はギュッと目を瞑り、頭を振った。まだだ。感傷的になるのは早い。私には最後にやるべき事があるのだ。

          ✴︎

 再び駅前まで戻ると今度は反対側に位置する住宅街へと向かった。進むにつれ一軒一軒の敷地が大きくなり、雰囲気も瀟酒になっていく。作家や文化人が多く暮らしているこの土地に私の父も憧憬の気持ちを抱いていたのだろうか。

「お前の部屋もあるからな」

 家を建てると決まった時、父は私を喜ばそうとそう言ったがその表情は私よりも輝いて子供のようにはしゃいでいた事を覚えている。それまでは六畳と四畳半のボロアパートで過ごしていた両親にとってはこの上ない幸せだったに違いない。

続く

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