西洋哲学の復権-その危うさについて
#マルクス・ガブリエル のインタビューを読んだに過ぎないところからの疑問なので、「所詮その程度」と思ってもらって構わないんですけど、20世紀中盤の「政治の季節」(パリでは #五月革命 が該当する)に誕生した #ポストモダン 思想への反動なんだろうと感じました
今朝見かけたこの記事を読み、そうした思いがより強くなっています
彼がとんでもなく頭のいい人なのは間違いないとしても、結局 #カント や #ヘーゲル がベースなんだよなぁとか、#ナチスドイツ に積極的に関与した#ハイデガー に無邪気に言及していたりしているのも、 #西洋哲学 の持つヨーロッパの優位性を疑わない政治的な本質については、知ってか知らずか関心がないようで、そこには子どもっぽい印象しか感じませんでした
最近では、ハイデガーの愛人でもあった #ハンナ・アーレント に対しても 『 #エルサレムのアイヒマン 』で描かれた人物像に対する疑義が出てきていますし、 #シオニズム 運動に対する過度にも感じざるを得ない思い入れに対しても容赦のない指摘がなされたりしてきていますから、大陸系のヨーロッパで無邪気に西洋哲学の復権を語られている雰囲気には、ウクライナ以降、特に #イスラエル による #ガザ 侵攻以降に無茶苦茶な言説が平気で飛び交うような政治的な動向と軌を一にするようにも思えます
そういった意味でマルクス・ガブリエルについては、ドイツは未だにやはりヤバいと感じさせた一人でもありました
日本人なら、 ヘーゲル哲学に連なる子どもたちの一人に過ぎない #マルクス に依拠しながらお高い洋服をいつも愛用してオシャレしている #斉藤公平 さんともリンクする流れなのでしょう
#國分功一郎 さんは彼らとは異なってそれほど鉄面皮な人柄とも感じられず、その意味でややナイーブな印象がありますが、 #スピノザ をきちんと踏まえていたりするあたりにポストモダン哲学の正しい継承者としての一面を持ち合わせている印象があります
そのように呼ばれるのを毛嫌いしていた創始者の人たちとは異なり、ポストモダン哲学を標榜したのはその後に出てきた #リオタール だけでこれはセンスのない人だなと感じた矢先に、 #分析哲学 という大陸系とは全く異なる思想を発展させてきたアングロ・サクソンの人らしい簡潔な合理性を重んじながらも、人を茶化すのが大好きな特性を持つアラン・ソーカルによって、フランスの知識人の伝統でもあった「華やかな」修辞に彩られた論理構成の中にあったうっかりミスを完膚なきまでに叩きのめされて再起不能に陥ってしまいます
日本人でポストモダンを追いかけていた人たちは、 #ソーカル事件 に強く影響されてポストモダンとは縁切りをし、 #ポモ とバカにするような蔑称で呼ぶようになっていきました
僕に言わせれば、あれは #モンティ・パイソン みたいなものなのだから、笑って済ませておくのがよかろうとすべきとしか思えませんでしたが、日本人らしく生真面目な人が多かったんでしょうね…
リオタールみたいな三流ではなく、 #パレスチナ 生まれで『 #オリエンタリズム 』をものしたエドワード・サイードが早死したことは本当に惜しまれます
彼よりも年長のドイツ人である #ハーバーマス が無駄に長生きして、とんでもない反動的な言葉を撒き散らしているのを見るにつけため息が出てしまうとともに、ドイツってあかんねとここでも確認させられます
デリダやドゥルーズが共感を寄せていた先達でもある、複雑怪奇な人間だった #サルトル の #フローベール 論である『 #家の馬鹿息子 』は読む価値がありそうに思いますが、なにしろ長過ぎる…
冒頭にリンクした記事によれば、 #哲学批判 を徹底的に追求した #ニーチェ がアホみたいな理由で批判の俎上に上がっていて、所詮ニュース記事の中でのものだと相当割り引いて受け止めはしましたが、それでもこれを理由にするのはないだろうとせざるを得ませんでした
キリスト教にも良い面があったなんてど素人でも言えることですからね
大学の教養課程で所属していた読者サークルでは、いきなり #ミシェル・フーコー の分厚い本が課題となっていて、交わされている議論に付いていくだけでも四苦八苦の体たらくでしたが、『 #道徳の系譜 』は比較的わかりやすかった印象があります
その前に #プラトン を読み合わせていたりしたからかもしれません
ニーチェは確かにキリスト教を厳しく批判していますが、それは #ギリシア哲学 に端を発する西洋哲学の構成において無理矢理キリスト教を継木するようなアクロバットにより、教会の権力が強まっていった歴史的な動向を見据えた、人々を支配するものとしての #哲学 の政治性に対する真っ向からの批判に他ならぬものだと当時から漠然とではあれ感じていました
そこには高い説得力もありました
故に、こうした哲学の復権は昨今のヨーロッパの政治情勢と重なるようにしか思えないのです
新潮社の分厚いフーコーの著作は、理学部で動物の生態の研究を志していた自分にはなかなか手強く、中でも『 #言葉と物 』は十分に理解できていたかとなると否と言わざるを得なかったです
改訂版が出される前の田村俶氏の訳はとにかく難しかった…
その後時間を置いて読み直してみましたが、フーコーが用いる華麗なる修辞に当てる日本語訳が意味の通じないものになっていることに気づき、二十歳やそこらの動物好きがわかるはずもなかったと結論することにしました
先日、X-Twitterでフーコーは難しかったと書くと、とあるアカウントさんからあの程度で難しいなんてと思いっきりマウントを取られましたが、その直後に文系なので理系は苦手なのだとのポストがあり、でもこれくらいなら読んでますよと提示されたのが #ドーキンス の『 #利己的な遺伝子 』だったので笑わせてもらいました
だって、これはもはや文系理系関係なく一般教養に属する古典なのですからね
あまりにも自慢げなので、いやいや今現在ならこの程度は押さえておかねばお話にもなりませんよと申し上げさせていただきましたが…
#ニック・レーン 著の『 #生命 、エネルギー、進化 』なら、読書家を名乗るならば文系理系関係なく読めて当たり前なので
あとは #福岡伸一 さんなども読み合わせているとのことでしたが、彼の著作物は基本的に一般教養書に属するもので、それもまたとても素人くさい話ですしね
#渡部昇一 氏を師と仰いでいるらしく、つまらんマウントを取ってくる訳だなと更に呆れることになりましたが
ちなみに言えば、自分は決してよい読者ではありませんでしたが、『 #狂気の歴史 』、『 #監獄の誕生 』、『 #性の歴史 』といったあたりならば、
それなりに付いていくことはできていました
2020年に改訂版が刊行されてよりこなれた訳文になっているそうですから、手を出してみるのもよいと思います