人との間に線を引く。バウンダリーの崩壊と構築へ(前編)
こんにちは。
久しぶりの記事になります。
人と線を引くというのは、
境界線、バウンダリーの構築という意味です。
人との間にある直線というイメージよりは、自分と外界の領域というイメージがあります。
自分の周りの円のような、自分だけのテリトリーのような、そんな感覚ですが、改めて見える化してみるというワークも実際にあるようです。
それを日常生活と結びつけて書いていきます。
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かなり前から、夫が私の顔色を伺っている。。
ケンカではなく普通の些細なやりとりの中でも、私はそれを感じる。。
普通の会話でも、ファニーな感じがなくなると、「怒らないでほしい」とか、「おこってる?」
と言ってくる。
その度に私はほんとに怒ってなどいないので、そこまで怯えないでほしいなと感じるのと同時に、
付き合い当初の夫と、今の夫のバウンダリーの変化について考えてみた。
バウンダリーとは、自分と他者との線引き(境界線)のような感覚のこと。(人によりイメージが異なるかと思いますが、自分だけの領域のような感覚です)
個人的に、1番分かりやすかったバウンダリーのワークがあるので、簡単にご紹介させていただきます。(シチュエーションとして、講師1人と受講者複数名でした。子どもでも出来ます)
これは子どもとの関係でも大切だが、夫との関係でも同じように大切で、ここが家族との関係性のキーポイントのように感じる。
例えば、子どもと親(自分)とのバウンダリーを考えてみると、親にとって子どもとは”自分とは別の他者であり尊い存在である”ことと繋がってくる。
子どもが幼児であってもそれは同じで、親の保護を必要とする存在であることとは別次元で、上記太字は存在している。
役割や立場は違っても(上下関係があっても)、存在価値はみな等しいという当たり前のことを、日常生活で意識することは難しい。。
ここを意識することができれば、保護=価値観の強制や、保護=しつけという親の感情の押し付け、にはならないように感じる。
つまり、親(自分)と子どもとの間に、ちゃんと線引き(境界線)を引き、接することができる。
親(自分)が子どもに対して、バウンダリーの構築ができてる上で接していると、子どもも他者(親やその他の人間)に対して、バウンダリーの構築ができている状態で接することが可能となる。
子どもが外界で、親・先生・友達・職場の人・街ゆく人・パートナー・我が子と接する際に、”相手のバウンダリーを(超えたり)崩壊しないこと”、”子ども自身が他者からのバウンダリーの侵害を受けにくい(=ストレス耐性だと私は感じている)こと”に、繋がるように思う。
境界線を超えて、自分の中にずけずけと侵入されると、人は反発したり逃げようとする。そして反発ができない環境下であれば、やがて「無(シャットダウン)」となる。この辺はポリヴェーガル理論とも重なる。
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夫の話に戻らせてもらう。
付き合い当初から今日までの間、夫婦間において様々な壁にぶち当たって来た際、私の夫への関わり方は、まさにバウンダリーの侵害をしてきてしまった。夫は本来健全なバウンダリーを持っていたのに、少しずつ私に境界線を超えて侵害されてきしまったのだ。
その結果、
常に私の顔色を伺う、怒られてないのに怒られているように感じる、これまで職場や外の環境で人と線引きを引いて自分を守れていたのに、以前より打たれ弱くなってきている傾向があるように感じる。
バウンダリーは元々もっていた健全な人間であっても、他者から侵害されることによって崩れてしまうものなんだと悲しく実感した。。
バウンダリーの構築がなぜ大切なのかと言うと、外界から自分のコアを守るためでもあり、また他者のバウンダリーを侵害(攻撃)しないためでもある。
他者と線を引いて接すると聞くと、相手に共感しないってこと?ドライな利己主義なんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、そうではない。
(気になる方は、バウンダリーについてや、共感・同情についてググってみてください🙇♀️)
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子どもや他者のためではなく、まずは自分のため。自分を守り、受け入れ、愛し、尊重できるようになるためにも、自分のバウンダリーの構築について、改めて考えてみたいなと思い記事にしました。
私のバウンダリーの構築と、侵害してしまった夫のバウンダリー修復に繋がるような行動については、また後編で書いていきたいです。
本日も貴重なお時間を頂戴しました。🙇♀️
ここまで読んでくださりありがとうございます。
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🌸余談🌸
以前カウンセリングに通っていた頃、初めて「境界線」という本を紹介されて読みました。
それまではなんとなく、自分が境界線パーソナリティだなと思っていたものの、実際に境界線を引く方法やその背景については知り得ませんでした。私なんてどうせ…というネガティブ一色で、どうにかなるものだとは考えられなかったです。。
本を読み境界線について知り、気付きはありました。その時はすごく嬉しかったですが、それからも境界線を感じるようになること、引けるようになることには繋がりませんでした。
やはり知識として知っているのと、実際に自分に落とし込めているのとでは違います。
その後、トラウマセラピーと出会い、専門的な心理的側面というよりも、ソーマティックな側面からセラピーやセミナーを受けていきました。
少しずつ、少しずつですが、日常生活から”苦しさ”が減っていき、気が付いたら自分も学びたいと動いていました。学問上の心理学についても、(お金がないのでオンラインで独学ですが)学び直しています。
そして今、やっと境界線というものを自分の身体感覚のレベルで捉え始めたような気がします。もちろん認知からのインプットも重要でした。
院も含めいろんなものを調べた中で、自分が学びたいものを提供してくれる方を見つけました。
これから私は自分のバウンダリーの構築と、夫のバウンダリーの構築(修復)に向けて、日々実践しながら進んでいきたいと思います。
セラピーの実践も、まずは夫で練習させていただこうと思います。。
些細なところで、自分で自分を苦しめている、自分の首をしめるような思考・行動に昔から悩んできましたが、
それって私の中で、批判してくる要素🕵🏻と、それに不安がっている要素👷🏻♀️の2人で繰り広げられているもの。。
今はもう1人要素👩🔬が増えて、2人を客観的にみてるのかもしれないなと感じます。
(パーツ心理学、内的家族のIFSについても、今後学んでいきたいです)
決して他者から、「あなた、なんでそんなに自分を苦しめてるの?もっと優しく自由にしなよ」と言われて、解放できるものではありません。
自分で、自分の中で起きている出来事だと認識できるようになった、そう感じられるだけで、どれだけの"問題"や"苦悩"が私の中で起きているもので、私の(一人芝居と言ったら、苦悩してた私に申し訳ないですが…)課題とは、こういう事だったのかなと思いました。
悩んだり迷ったら、「今を生きる」ことに意識を持っていければなと思います。😅
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