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《超適当雑記113》2023年3月17日(金)【朱に交われば赤くなる】

〚1047文字〛
こんにちは。皆様、お久しぶりです。入谷です。
前回更新から8カ月以上経ち、何かもう2023年になってますが、如何お過ごしでしょうか?。僕は何とかやっております。
今回は久しぶりの投稿になりますが、思うところあり、抽象的纏まりのない文章になるかも知れません。宜しければお付き合いください。

さて、朱に交われば赤くなる…。
人は付き合う相手(集団)によって影響を受けやすい(感化されやすい)というですが、小学校の国語でこれを習った時、「赤い絵の具を塗ったら何でも赤くなるじゃん」くらいにしか思っていなかったものです。

しかし学生時代を経て成長し、特に大人になった今、身に沁みて納得できるような場面に遭遇することがあります。

実際には、赤い絵の具を塗られたから赤くなるわけではなく、いろんな考えや価値観を持つ人が入り混じった集団の中にあって、(場所によっては)最終的に苔むして淀んだ汚泥のようになってしまうことがあります。
全ての絵の具を混ぜると何とも言えない色になってしまうアレですね。

自分が本来持っている色は掻き消され、いつのまにか汚泥の一部となり、そこに疑問すら持たないようになってしまうこともあるでしょう。
まして、居心地の良さなど感じてしまった日にはもう収拾がつきません。

だから自分を律しなければならない。
そんな違和感は常にありました。

こうした時の違和感はまさに泥沼に咲く一輪の蓮の花のよう。違和感は時として自身を顧みることの必要性を教えてくれます。

朱に交われば赤くなる、の対義語には、泥中の蓮という言葉があります。ネガティブな環境の中にあっても自身を清く保っている、という意味です。

沼底に沈んだ汚れた魂は違和感によって浮上し、蓮の花の威光となって浄化された時、泥沼を俯瞰するにつけ、自分の居た場所はこんなにも好ましくない場所だったのだと気付かされます。

蓮の花の正体は何だったのか。
それは、これまでの人生の中で自分に良くしてくれた人思いを注いでくれた人の愛と記憶に他ならないのでしょう。最初に生じた違和感はそれらを思い出させてくれた深層心理からのメッセージだったのかもしれません。

常に立ち戻るきっかけを持つことは難しいですが、自分にとって好ましくない人(集団)から決別する勇気をくれたのも、感謝すべき人たちのお陰でもでもありました。

以上は、仕事先での外部のコミュニティでの出来事を纏めた話でございました。

ではでは、ここまで読んでくれてありがとうございます。皆様にとって今日が良き日となりますように。。。

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