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352.嘘や思い込みってね、とっても、とっても怖いものなんだよ!

(5)人生に奇跡を呼ぶ方法


1.嘘の本質


私たちは誰もが嘘をつきますね。
嘘をつかない人間などこの世にはいません。

coucouさんは、様々な嘘をつき続けて来た名人、達人だ。
そのため、とても酷い目にも合った。良い思いもあったけれど、痛いことが大半だったかもね。
 
商売であれば売り上げを上げるために嘘をつく。
その嘘が大半であれば、それは騙しの詐欺となるけど、
商売人たちは、
便利ですよ、
お役に立ちますよ、
お得ですよ。
こんなにも素晴らしいですよ、
とその商品をより目立たせる、
購入させるための嘘ならば詐欺にはならないようだ。

もし、それが詐欺となれば、世の中の広告のすべては嘘だし、テレビのコマーシャルのほとんどは嘘の固まりとなる。
 
でもね、嘘がなければ世の中が成り立たたなし、
何よりも人は生きて行けないかも。

例えば、女性に向かって、
「あなたは不細工だ!」「その服が似合わない…」「あんたのことは嫌いだ…」などとその人の嫌がることを言えば、この社会から顰蹙を買い、すぐさま追い出されてしまうよね。

いくら正直に素直に、とは言っても正直すぎれば、
相手を傷つけてしまう場合もあるよね。

また、自分自身に嘘をつく人も多い。

嫌いな相手なのに「私はこの人が好きだ!」と自分に嘘をつく。
お金が欲しいために我慢する。
女性にふられたら、「本当はお前なんてどうでもいい、他にも女はいるのだから」と自分に言い聞かせ嘘をつく。

そして自分を防衛する。
 
でも、嘘で人が救われる場合もあるんだよ。

coucouさんの場合は、子どもの頃にその嘘によって自分の心のバランスを保ち、嘘の夢、嘘の希望であったとしても生きようと願うことができた。

チャップリンの映画「ライムライト」での目の見えない少女にチャップリンは嘘をついた。とても苦しい嘘だったけれど、彼には喜びがあった。
 
ユダヤ人捕虜収容所を舞台にした映画「ライフ イズ ビューティフル」では、ここはみんなで楽しいケームをする場所だと。子どもたちの為に命がけで嘘をつく主人公がいた。
 
私の大好きなO・ヘンリーの短編小説「最後の一葉」なども本物そっくりに葉を描いた。すべての葉が落ちたときに、死んでしまうという少年の為に嘘の絵を描いた。
 
ビクトル・フランクルの小説「夜と霧」などもユダヤ人強制収容所の過酷な生活の中で彼は自分に嘘をついた。この世を去った、愛する妻が生きているかのように日々語り掛ける。これって、すべて「素晴らしい嘘」かもしれない。
 
coucouさんも、
その嘘を通して希望を持って生きて来た一人。
 
人間は嘘がなければ生きていけない場合もあるんだよ。

©NPО japan copyright association Hiroaki

2.やましさという嘘

でもね、嘘をつくと必ず反動が起る。

その反動って、他人を騙せても自分には嘘をつき通せないからなんだ。
隠すことも同じだね。

例えば、内緒である人と会う。
内緒だから、人には知られたくはない。
そこで「その人とは会っていない、又はある場所で友達と会っていた」という嘘をつくことによって、心の中には歪みが生じるもの。
 
その歪みとは内緒のことだから、
〈人に知られると困る〉ので知られたらどうだろう?
ばれたらどうしょう?
という不安を生じるために考え方や行動に影響が出てしまうことだ。

その不安は恐怖心にまで発展し、心のバランスを失う恐れが出る。
このように嘘は必ず「反動」としてはね返る。
 
でもね、人はその反動を承知で嘘をついてしまうのだけど、
その原因は何なのだろう?

coucouさんは、それを4つに分類して見た。

(1)相手のことを想うことから嘘をつく
(2)その場から逃げるために嘘をつく
(3)嘘をつくつもりはないが、結果嘘になる
(4)悪意のある嘘


など。(1)の「相手のことを想うことから嘘をつく」というのは、他人を陥れたり騙したりする嘘ではないけれど、結果知られたら相手を傷つける場合もあるため、本当に相手のことを想うなら簡単に知られてしまうような嘘は問題があると思う。
ただ、嘘をつく人はすべて悪者なのかといえば、そう簡単に結論付けるものではないよね。不思議な事だけど、嘘をつく人の共通点は『良い人で、優しい人で、思いやりがあり、正直に生きている人』たちが多いといわれているんだよ。(相手のことを考えすぎたり、優しすぎるために結果、嘘になる)
 
でも、結果は罪悪感で苦しんでしまうのだから、やはり問題だよね。

嘘の根本的原因は『本当の自分を知られてしまうことが怖い』と、自分を守ろうとする働きがあるんだ。その中には「善き嘘」と「悪しき嘘」とあり、本当の罪悪感は「悪しき嘘」の中にあるんだよ。
 
自分の心の中に、
『やましさを感じる嘘』が、
悪しき嘘だと区別する必要があるかもしれませんね。

©NPО japan copyright association Hiroaki

3.人を狂わす嘘


嘘や思い込みというものは、とても怖いもの。

特に「悪しき嘘」はよほどの覚悟(自信)がなければ、自らの精神状態に歪が起り、自分のコントロールを失い、悩み苦しみ、夜も眠れなくなり、おかしくなる恐れがあるものだ。

例えば、「いつも嘘をつく人」がいる。
それは、「自分を大きく見せようとする人」「同情してもらいたい人」達。

一般的には〈サイコパス(精神障害者)〉(後半に説明アリ)という人たちがその部類に当てはまるかもしれないけど、私たちの回りにはこのようなサイコパスに当てはまる人たちがたくさんいることを知る必要もありますね。

サイコパスの人たちは、いつも嘘をつく、常に嘘をつく、必要ない事でも嘘をつく、嘘をつくことによって自分を大きく見せる、または小さく見せるという性質があると言われている。

また、その嘘を自らの思いこみによって信じさせ、嘘を無理やり真実と思い込むことによって強迫観念まで生まれてしまう。
「私はかわいそうなのだ…」
「私は凄いのだ…」
ということを嘘によって、
他人を支配(コントロール)したいという考えが強い人たちだ。


次に、後先を考えない、その場限りの嘘もある。
人は誰でも嘘をつくけれど、この場合はその嘘を嘘だと思わずに、罪意識もなく堂々嘘をついてしまう人たちだ。
これは、嘘をついても罪悪感のない人たちですね。
 
サイコパスは嘘をつき続け、その嘘が嘘でなくなり、本人は真実と思い込むことによって精神異常をきたしてしまう。これは、本人に自覚もないけれど、最終的には、心の中に答えがなくとも、原因がわからなくとも、心のバランスを失っていることは事実だ。

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4.嘘のひずみ


嘘をつく心理には、自分を守らねばならないという「自己防衛(自己愛、自己保存、自己中心)から起る欲求だといわれ、自己愛が強く、嘘で自分を守ろうとする自己防衛システムが働くのだともいう。

これは子どもの頃の環境や生活、
親の愛情などからも影響を受けてしまう。

子どもが悪戯をして怒られそうになったときに嘘をいう、急に「お腹が痛くなった…」「頭が痛い…」「調子が悪い…」と芝居(嘘)をいいますね。

このように嘘を続けていくと、
それが嘘でなくなり、
気づかなくなり、
本当にお腹や頭が痛くなったり、
調子が悪くなったりする。

これが恐ろしい部分かもしれない。

嘘をつく人の共通点は自分を守らねばならないという
「自己防衛(自己愛、自己保存、自己中心)によって、
他者への思いやりができなくなり、
被害者意識が強くなり、
周囲の人たちを傷つけたり、
きつい言葉、怒鳴り声、怒りなどの言動が多くなり、
結果、パワハラ、モラハラとなる恐れがある。

(こんな人たちは意外と自分勝手な、嘘つきかもね…)

彼らは常に自分が一番でなければ自分を許せない。
だから他人に対して攻撃的となり、他人を支配(コントロール)しょうとするんだね。

被害者意識の強い人の、嘘つきの自己防衛者といえるかもね。
 
嘘のひずみって、真実と向き合うことに恐れを抱くようになる。
自分は正しく、人は間違いだと思い込むようになる。
誰にも自分の気持ちはわからない、わかってもらえないという被害者意識を持ち、その反動が人を傷付けてしまっているのかもしれないとcoucouさんは思う。
 
嘘は寂しさの反動から起る心理かもしれないね。

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5.嘘と良心「心口各異 言念無実」

お釈迦様は、この嘘つきの人々に対して「心口各異、言念無実(しんく かく い ごんねんむじつ)」と『大無量寿経』に次のように説かれている。
 
「心と口は、おのおの異なり、言っていることと、念っていることに、まことが無い」という意味のようだ。
 
お釈迦様は、すべての人々は、心の中で思っていることと、言葉で話していることが違う。だから、思っていることも、口でいう言葉にも真がない。嘘ばかりだと教えています、という。

確かに、お釈迦様のいう通り、私たち人は、あまりにも平気で嘘ばかり言うので、酷いということすら麻痺してしまい、嘘という自覚すら失っている、という意味なんだね。

それだけ酷い嘘がまかり通る世の中で幸せになれるわけがない。
幸せになるためには仏教を学ぶ以外にない、というけど?
お釈迦様は、仏教は、真実の自分の姿を映し出す鏡のようなものだという。


人はみな、
「私は嘘などつかない…」
「嘘などついたことがない…」
「あの人は嘘ばかりで信用できないけど、私は正直者…」
という人が多いけど、人間には『善がなる心(良心)』というものを誰もが備えており、たとえどんな嘘でも自分自身のなかにある『良心』は簡単に見破ることができる。

本当はね、人って誰も嘘はつけないものなのさ。

お釈迦様は、まさに「心は鏡」、「反射鏡」の役割を果たしており、その嘘は必ず鏡を通してはね返る、という心の法則を説いている。
 
それが「心口各異 言念無実」なんだね。

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 coucouさんです。みなさん、ごきげんよう!

子どもの頃、coucouさんが小学生かな。
「嘘つき~」という言葉が流行っていた。

coucouさんはね、体育の時間はいつも見学組。

見学組って病気で運動できない子たちがクラスには必ず何人かいる。
本当は、元気ならばみんなと一緒に走りたいし遊びたい。
でも、できないから、ただみんなを眺めているつまらない授業だ。

coucouさんは腎臓病だったから、見た目や表面は元気な子と同じだけど、身体が不自由な子とか、心臓病の子などは顔が青白かったり、唇が紫色なので、誰が見ても病気だとすぐにわかる。

でも、coucouさんの場合は、見た目もみんなとまるで変わらないため、ずるをしている、わざと休んでいる、嘘をついていると思われがちだった。

ある日、友だちと悪戯しあっていたら先生に見つかり怒られた。
そして、バケツに水を入れて両手に持たされて授業中に廊下で立たされるんだ。

廊下を通る先生や他のクラスの生徒たちはみんなで笑う。

あまりにも重たいバケツのため手が痛くなり床に降ろしたところを先生に発見され、さらにバツとして校庭を走らされた…。

そして、窓からチェックしていた先生がクラスのこの前で、「あいつは嘘つきだなあ、ほら走れるじゃあないか!」といった一言で、その日からcoucouさんは嘘つきとなった…。

集団の力、いじめとは激しいものだ。

一人では何も言えない者たちも一緒になって楽しそうな顔をして「嘘つき~」「嘘つき~」と号令をかける。

毎日がその言葉が挨拶用語となった…。

でも、そんなことを父や母に言ったら心配かけてしまう…。
子どもだって両親に心配などかけようなんて思う子なんていない。

あるとき、プールの授業があり、その先生にプール内を歩きさせられた。
もちろん、水泳パンツなどないが、下着のまま歩かされた…。
もう、学校なんて行きたくないと思いつつも、行かなければ親が心配してしまう。だから、それでも学校に向かう。

だけど、学校では「嘘つき~」という合唱なのか合言葉。

今思えば不思議だけれど、あれから40年以上過ぎても子どもたちの残酷さは変わらない。

だって、先生という指導者が差別したり区別したりしているのだものね。

あるとき。coucouさんを見かねた友だちが、親に話してしまった…。

もう、これでcoucouさんは学校には行けない…。

告げ口したと思われる。

でも、結果、coucouさんの父の激しい怒りでその先生に謝らせた。

でも、それでもcoucouさんの父はその先生を許さずに校長先生に直接談判し、授業中にクラスでcoucouさんに対して謝らせた。

それから、「嘘つき~」という合言葉が学校から消えた…。


coucouさんはね、早く病気を克服して、父のように強くなろうと思った…。



みんな~
見てくれて、本当に~
ありがとう~

感謝しています~


また、あした~
今日も、明日も良い1日でありますように~



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