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349.人は人によって学び、人によって幸せになれるんだね。どうしてって、人はみんな神さまだからさ。

 

(2)人生に奇跡を呼ぶ方法


みんなは、奇跡って信じる?

coucouさんはね、神さまも、奇跡なんてものを、
一切信用はしていなかった。

それも、長い、長い間ね!

それに、奇跡って見えないものだし、
それって、自分の思い込みから来る妄想に近いものだと思っていたんだ。

でもね、とても長い人生を振り返ると、
その奇跡を感じるようになったんだよ!
そしてね、今も、この瞬間にも奇跡は起きているのさ!

だってね、このcoucouさんのnote記事を開いて見てくれるだけで奇跡だし、読んでくれるだけでも奇跡、ましてやスキやコメントをくれるなんて大、大奇跡だと思うんだ。

でも、しばらく、coucouさんの壮絶で、
とても楽しい奇跡のお話をするね!

おバカな男の奇跡な人生をね。

©NPО japan copyright association Hiroaki

1.  嫌な事の中にも奇跡があるんだね!


嫌なことって、誰でも嫌だね。

なるべくなら、その嫌なことからは離れたい、
近づきたくないというのが本心。

でも、嫌なことって、どんなことをいうのかな?


それって、
自分にとって都合の悪いこと、
自分が嫌いなこと、
自分がしたくないこと、
自分がされたくないこと、
と嫌なことはさまざまだよね。

ただの、我儘で嫌な場合や、喰わず嫌いなども同じ。

また、生活や仕事の中でも、トラブルや嫌なことは誰もが経験するし、
同じ思いをする。
 
でもね、その嫌なことを意識して、注意してみると、その嫌なことの中には奇跡のメッセージが隠されていることに気づく。
 
例えば、病気など最たる理由の一つだと思う。

今まで病知らずで、健康な人が検査をしたら病気が発見された。
検査をしなければいつも通りの快適な生活、楽しい生活だったものが、一瞬に奈落の谷に落とされてしまったように、落ち込んでしまうよね。
 
ましてや、その病が治らない病気だったり、
余命宣告など受ける、
大手術をしなければならない、
などといわれたら、人生が真っ暗とは、このようなときに感じる。

このように人間の運命など、他愛のないもので一瞬に変わってしまうんだ。

でも、そんな最悪も一瞬で変わる。

どうしてって?

運命って、与えられているものではなくて、
自らがその運命を作り上げているからなのさ。


だけど、目の前に起る嫌なことって、単なる運命で片付けられるものかな?
その嫌なことって、何かしらの奇跡を与えられている兆候だと考えたらどうなの?

「病のある者は幸いなり」という言葉があるけれど、
病のある人と病のない人とでは、人生観や運命がまるで変ってしまう。

「嫌なことのある者は幸いなり」と嫌なことを一括りにして考えて見ると、その嫌なことがない人生と、嫌なことのある人生もその人の人生観や運命がまるで変ってしまうのがわかる。
 
このような捉え方をすると、
人との出会いほど、
私たちの考え方や生き方、
人生観を運命までも変えてしまう場合があるよね。

もし、あのとき、
あの人と出会っていなければ、
今の自分がない訳なのだから。
 
大切なことは、嫌なことも、良きこともすべて奇跡なんだ、と捉えることができるようになると、身の回りの、身近な奇跡を感じることができるようになるんだよ。

©NPО japan copyright association Hiroaki

2.私の奇跡


あなたは奇跡を信じますか?

それとも奇跡などありえない、と考えていますか?

奇跡ってね、奇跡がある、奇跡だと感じている人だけに与えられるもの。
奇跡がない、と思う人には奇跡はないんだよ。


 
YES(奇跡)って、受け入れる、肯定する、
正直で素直な心に戻れる唯一の方法。
 
私たちは、大人に近づくと、ある日突然に物事に対してNОになり、YESを忘れてしまう。
つまり、何かしらを否定することによって、
自分自身を保とうと本能的に考えてしまうんだ。

coucouさんがこれだけ言い切れるのは、
coucouさん自身が、NОの固まりの人生を送ってきたから、
こうしてはっきりと言い切れるのさ。

coucouさんの人生は、ある人との出会いと、ある言葉たちとの出会いによって、まるで人生観が変わってしまったんだ。

だからといって、その方法が正しいというものではないけどね。

coucouさんにとって、正しかっただけの問題。


今のcoucouさんは、そのような過程を踏んで、ようやくYESとなった訳だから、皆さんに比べて膨大な年数を費やしたことになる。

それだけ、こころの病からの脱出に時間がかかった。

 
人は自らをNО(否定)してしまうと、
次のような心理状態となる。

「私は駄目なんだ…」
「…寂しい」
「悲しい…」
「…孤独だ」
「…鬱病かもしれない…」
「苦しい…、先が見えない…」
「生きて行く目標がない…」
「病気かもしれない…」
「…夜が眠れない…」
「つまらない…」
「…生活が苦しい」
「歳を取った時を考えると怖い…」
「夜になると魘される…」
「死ぬことが怖い…」
「一人で死んでいくなど耐えられない…」
「これからの世の中は駄目になる…」
「日本経済は崩壊する…」
「世界が破滅する…」
「大地震、大災害、大不況が来る…」
「地球が崩壊する…」、その他、と永遠に続く。
 
このようなNО(自己否定的考え方)の人には奇跡がわからない。
その奇跡を感じることも出来なくなる。

だって、自らをNО(否定)しているのだから、
奇跡などNОだよね。


さらに、相手に幸せや希望を与えるどころか、
NОを与え続け、相手に不安を与えたり、心配を与えたり、相手を傷つける場合もある。
まさに、相手に不幸を与えているわけなのだから、
これでは奇跡など生涯見えないよね。

©NPО japan copyright association Hiroaki

60年以上、coucouさんは奇跡というものを信じないで、そう思って生きてきた、NОとして生きてきた、coucouさんがいうのだから誤りはないと思う。
 
あるとき、coucouさんはね、「NO」、このような言葉を一切使うことをやめる事にした。
それは、使いすぎて疲れ切ったからかもしれないけどね。

そして、「寂しさ」に対して、それを嫌うのではなく、
その寂しさを受け入れることにしたんだ。

「悲しさ」も「孤独感」も、「死ぬこと」も、すべて意味のあるcoucouさんに対する注意、メッセージ、奇跡だと考えるようにした。

するとね、物事のすべてが下から見えるようになり、小さな奇跡を発見できるようになったんだ。
 
今までは、自分を否定(NО)し、相手を否定(NО)し続け、「人の足を引っ張る」「人を助けない」「人を救うことなく」人に不幸(悲しみ)を与え続けてきたけれど、今まで否定(NО)してきたもののすべてを受け入れる、肯定(YES)することによって、「人を助ける」「人を救える」ことの意味がわかるようになった。

自分の不幸は、相手をも不幸にしてしまう、ってことがわかるようになった。また、coucouさんが幸せになることで相手を幸せにできることもわかるようになったんだ。
 
これって、みんなにしてみれば当たり前のことなんだけれど、
その当たり前のことができないcoucouさんにとっての奇跡の一つ。



coucouさんは、会社を潰し、多くの人たちに迷惑をかけて、
家族、兄弟、友人たちを犠牲にして、すべての信用を失い、
取り返しのつかない人生のはずなのに、

どうして生きていられるの?
どうして仕事を続けられているの?
どうして生活ができているの?
どうして次々と課題を与えてくれるの?
どうして私を信じてくれるの?
どうして、coucouさんごときを必要と考えてくれるの?
 
これって、奇跡だと思う、でも奇跡だと思うのはcoucouさんだけなのかも?

©NPО japan copyright association Hiroaki

これはcoucouさんの40歳の頃のお話。
coucouさんは一世風靡し、一躍有名になったけれど、やがてその終わりを迎えた。

(※部分、部分、coucouさんの過去のnote記事と重複する部分は割愛しました。気になる方、興味のある方はバックナンバーをお読みくださいね!)


coucouさんの会社は潰れた…。

coucouさんは働きさんたちを全員解散させて、会社に籠城することにした。

普通は弁護士さんを間に入れて清算するのだけれど、
弁護士さんなど頼むお金などない。
自分で蒔いた種ならば、自分で刈り取らなければならないからね。

籠城したのは、勝手に物を持って行かせないためだ。

coucouさんは迷惑をかけた人たちを全部呼び寄せ、6か月間だけcoucouさんの会社にいさせてほしいと頼み込んだ。
逃げも隠れもしないし、coucouさんの居場所は明確なのだからみな安心してくれるはずだと思った。

自分の葬式は自分だけでしたい…。
誰も間には入れたくない…。
だから、死ぬことも覚悟ができた。
迷惑かけた人たちが死ねといえば死んでもいいし、
生き恥をさらせと言えばさらす。

だから、解決はないけれど、せめて6か月間、この場所から離れずいさせてほしいと願った。(お葬式なのだから、すべての人にお詫びの挨拶する時間が欲しかった…)

みなさん、全員納得した。

coucouさんは迷惑をかけた全員の言いなりとなり、最後の責任だけ果たせるものではないけれど果たそうとした。

迷惑をかけた人たちの前にすべてのものを差し出した。
通帳、実印、会社員、自宅の権利書、会社の権利書、その他資産のすべてを差し出した。

あとは、みんなに任せる。

すべてを、どんなことでもできることは受け入れることにした。

それでも最初の頃は怒鳴る者、罵声を浴びせる者、弁護士、行政書士、再建屋と呼ばれる者、委任状をちらつかせる〇〇者たち。
最終的に約30人くらい。
これが弁護士さんに頼めれば窓口は1本なのだけれど、
coucouさん自身が窓口になる以外ない。(お金はない…)

coucouさんは、会社をつぶす前日の夜に、親友からの言葉で我に返った…。
その言葉は、彼は泣きながら、

「お前は、俺みたいになるな!逃げるな!逃げれば一生びくびくして生きることになる。そして、あくまでもいつものお前で、冷静に淡々と事務的に処理するんだ。お前ならできるはずだ!そして、死ぬんじゃあない…」と。

coucouさんは涙が止まらなかった…。

そうなんだ、誰も信じてくれない罪深き一人ぼっちだ、と信じていたけれど、世の中にまだcoucouさんを信じてくれる友達がいたんだ。

そう、冷静に、淡々と、事務的に処理する。

私でも、できる…。

coucouさんはその奇跡の一言で生きよう、と決心した。

(※YES short storyバックナンバー60.「あなたの愛する子どもが余命を宣告されたら、どうするでしょう?」バックナンバー110.「わがままは愛の裏返し、わがままは子どもの特権、わがままは親孝行の証」の主人公(親友)の言葉より)

©NPО japan copyright association Hiroaki

coucouさんは、話し合いがまとまらないため、30人近い人たちに代表者を決めてもらうことにした。
数日かかったが、代表が決まり、coucouさんはすべてを差し出した。
あとはみんなで好きにすればいい。
冷静に、事務的に淡々と書類等を書き終えた。

一同は、みな安堵の顔をしていた。

だけど、その後が醜い…。

まるでお金の亡者のように揉め始める。
そのために代表者は降りて何度も窓口は変わる。

誰に変わっても、好きにすればいい。
喧嘩になるのも、争うのも自由。
取り分、配分などそれぞれが決めればいい。

coucouさんはね、みんなに任せたんだからね。

最終的に、まとまらないので、みんなは、3人の弁護士を雇った。

(coucouさんがみんなに迷惑をかけた張本人なのだけれど、その人たちはまるで、お金の魑魅魍魎化していた…)


coucouさんは6か月の時間をもらい、自社の建物に引きこもり籠城生活が続いた。電気と水道と電話代だけは、ありがたいことに、みなさんが支払った。

3.奇跡なんて、あり得ない…

ここから、coucouさんに不思議な出来事が起こり始めた。

友だちや取引先の迷惑をかけた業者が、食べ物を差し入れに来る…。

coucouさんには考えられない…。

お米10キロ、缶詰やインスタントラーメン、パンやお菓子、飲み物、洋服が届く。年末に年越しそばとお餅が届いた…。

coucouさんに現金を50万円も持ってきた友人がいた。
前金だという、落ち着いたら仕事を頼む、という。

迷惑かけた業者が、約4,000万円、要らない代わり条件がある、必ず復活して欲しいと。(coucouさんは何も約束ができない、約束したら嘘になるから…)

また、ある業者は6,000万円という大金に対して、「今まで、儲けさせてくれたから、そのお礼に破棄する」という。

こんなことって、あり得ない…。

あり得るわけがない…。

毎日が何かしら起こる…。

coucouさんは罪人なのに…。


その後、迷惑をかけた人たちと弁護士さんグループはお金の問題で決裂した。そして、その弁護士さんを訴えるという前代未聞となった。
(お金って、恐ろしい…)

もう、これはcoucouさんの問題ではない。

coucouさんの家、車(BМW)から会社の車、コピー機から在庫の商品、備品(資産)、自宅から弟の住む家までも、社有地、資産のすべてを差し出したのだから。

最初の数か月は会社で眠ることができなかった。
それは膨大な人たちとの面会、面談が続いていたからね。

怒鳴る者、誠意を見せろ!死ね、と怒りが続いた…。
でも、しばらくすると嵐は止んだ。
3か月を超えたら誰も来ない、電話もならない静かな生活となった…。

不思議なもので、狂ってしまったのか、人恋しく、寂しくなる…。

もっと、怒ってもらいたくなる、
もっと責めてほしい、と思う。

狂っているよね…。

みんなの分裂後、coucouさんは裁判を24本ぐらい抱えることになった。
ほとんどが銀行関係だ。
もちろん、同日、同時間でない限りすべてに出向く。

coucouさんには弁護士はいない。

どうしてかって、それは債権額が膨大なため、その債権額によって弁護士費用が必要となる。自己破産だって何もなければ約30万円でできる。
その30万円がなければ借り入れもできる。
だけど、その借り入れをするには連帯保証人が必要となる。
また、なまじ資産があるために自己破産費用は、法人と個人で1000万円以上必要となる。(総資産額に対してのパーセント)そんなお金があれば全部みんなに渡す。

馬鹿々々しいことだ。

もう、誰にも迷惑をかけたくない。

裁判も、すべて相手の弁護士さんにお任せした。
すべて受け入れる、好きにしてもらう。
何も否定しないし、すべてを甘んじて受ける。

そう、お任せした。

裁判の最終は、判決後に和解室に出向く、判決結果の今後のことだ。
相手の弁護士団(3名)が勝ち誇ったようにcoucouさんを罵倒する、
「あんたは経営者として失格だ!」と、怒鳴る。

coucouさんはすべてを差し出したのだから、全部お任せだ。
しかし、それだけでは、彼らは納得しない。

そう、全額賄えないだ。
最終的な話し合いなのに話にはならない…。

ここで、また驚いた。

裁判官立ち合いの和解室で、その裁判官が弁護士たちを怒鳴った…。
「ここは、和解室、和解する場所だ、被告に対してあまりにも失礼な言動。彼は犯罪者ではない…。この場を取りやめてもいい!」

なんと凄い言葉だ…。

「彼は、たった一人ですべてを対応している、逃げもしない、責任を取ろうとしている。あなたたちは人としておかしい!」

「人として…」

いつの間にか、立ち合いの裁判官がcoucouさんの弁護士となったんだ。

coucouさんは帰り際、泣いた…。
その裁判官と握手させていただいた。

彼は、別れ際、「死なないでくださいね…」という。
そして、その裁判は何も終わらないまま、終結してしまった…。
信じられないこと、あり得ないことだけど、終わり…。

結果、損はしても、誰も得しなかった…。

これって、何なの?

何だと思う?

これって、全部、奇跡じゃあないの?

奇跡って、こんなに見えるものなの?

coucouさん、再び40歳からの3度目の出発が始まった…。

そう、またゼロからの出発。
ゼロから始めてゼロに戻り、今度はさらにゼロからのはじまりとなった。


©NPО japan copyright association 

 coucouさんです。
みなさん、ごきげんよう!

coucouさんは現在(今)が好き、
この瞬間、瞬間が好き。

過去なんて、今更振り返るつもりなどないけれど、しばらくのテーマが「人生に奇跡を呼ぶ方法」なので、少しばかりcoucouさんの「奇跡」のお話しをお伝えしようと思ったんだ。

当時は、奇跡なんてありえないし、信じていなかったんだけど、これだけ次から次へと見せつけられると、信じざるえなくなってしまったのが本音。

これって、coucouさんだけじゃあない、このnote記事を見ている人たち、すべての人たちに起きている現象で、ただcoucouさんのように気づかないだけなんだと思うんだ。しばらくおつきあいしてくださいね。

この中の債権者の一人、coucouさんに6,000万円を破棄した人がいる。
今も、年に数回会う、会う場所は高級クラブ。

どうやら、彼は賑やかなところでないと話題に困るようだ。

coucouさんはね、あくまでもビジネスでの接客の働きさんたちといると、何か、仕事をしているような気がして、あまり好きではないけれど、彼の奢りなので素直に甘えている。

そして、酔っぱらうと彼は働きさんさんたちの前で、
いつもの自慢話がはじまる。

「この男はなあ、俺の金、6,000万、踏み倒した奴なんだ…」
といつもの口癖がはじまる。

coucouさんは苦笑いする以外ない。

だが、彼は変なんだ!

働きさんたちは冗談なのか?
この話は本当なのか?

戸惑う…。

彼女たちは、coucouさんに質問をする。
「そうなんだよ~」とcoucouさんは軽く答える。

「うっそ~」と、接客の相槌。

最終的に、事実は事実だから、一斉に疑いなく驚くが、
彼も笑うだけ。

「なあ、債権者と債務者が一緒に酒を飲むなんて考えられるか、
これはな、奇跡なんだよ!」

彼の言葉から「奇跡」という言葉が飛び出した…。

そうか、確かに奇跡だ、とcoucouさんも思った。

この奇跡は毎年数回、続く。

coucouさんの七不思議の奇跡のひとつ。


笑い話だけれど、あんまり自慢するので、
お姉さんたちの前で、coucouさんは彼に、
「また、5000万くらい用意してくれ!また、奇跡を起こすから!」
といった…。

彼は真顔で、
「~もう勘弁してくれよ~飲み代は俺が払うからよ~」と謝った。

その場で二人で大笑い、
こんな奇跡もあるんだね。


映画「素晴らしき、哉、人生!」って、嘘じゃあない、事実なんだね。
奇跡って、この世にこうして見えるものなんだ。

この映画は上映は大失敗し、監督のフランク・チャプラと俳優ジェームス・スチァートはその損失を被り大借金を背負った。
彼らは、まるで映画の内容と同じ悲惨な人生を迎えた。

世の中からこの映画は罵声を浴び、そんなに人生は美しくない、甘くない、あり得ないと酷評された。しかし、数十年後、いまだにクリスマスにはこの映画は上映され続け、アメリカのバイブルとなった、奇跡の映画だ。

(※coucouさんのYES short story作品№34.タイトル「私たちは自分で物語をつくり、自分で人生を選べる素晴らしさがあるんだよ!」に解説、要約文があります。お時間のある方はお読みくださいね!)


あれ以来、coucouさんにはいまだに、奇跡が続いている。

こうして、coucouさんは「失敗の達人」「失敗の名人」となって、絶対に失敗しない方法を伝授する自称コンサルとなったのさ。

(現在、様々な若手経営者の方々に、「絶対に失敗しない方法=絶対に成功する方法」の講演を行っている)



その奇跡を、これから話し続けようと思う。


この世の成功って、
What is the success of this world?

人のために何かができること、
What you can do for people,

人のために何かを尽くせること
Doing something for others,

人のために生きること、
Living for people,

周りの人に心配させないこと、
Don't worry people around you,

そして変わることなのですね、きっと。
And it will change, I'm sure.

そしてね、人は人によって学び、
And, people learn by people,

人によって、幸せになれるのだもの。
Some people can be happy.

どうしてって、人はかみさまだからさ。
Because people are Kami-sama.

          coucou message


ここまで読んでくれて、
みんな~ありがとう。
では、また、あしたね~


※coucouさんの電子書籍のご案内「人生に奇跡を呼ぶ方法①「ONE」全4巻好評発売中!note記事には書ききれない物語。下記URLにて検索してください。

人生を楽しく明るく!幸せになるための物語。
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