444.私たちは、かけがえのない人たちと、一緒に過ごせる時間って、あとどのくらい?
(5)人生を好転させる方法
how to turn your life around⑤
1.親と一緒に過ごせる時間
はじめに~
こんな、諺を知っているよね?
少しだけ、まとめてみたんだよ。
「親孝行したいときには親はなし」
親孝行なんていつでもできるものだよ、ってみんないう。確かに今は元気だからそんなに気にならないかも。でもね、明日のことなんて誰にもわからないんだよ。いざ、親孝行するんだと思う時。そう、時はすでに遅し。もう、親はいない。そして、後悔のみ…。
「いつまでもあると思うな親と金」
たとえ、今が良くても、明日の保証なんて何もないよね。お金だって同じだよ。もし、大震災が起きて住むところがなくなったり、会社が倒産したり、病気となり多額の費用が必要になる可能性だってあるよね。お金が沢山あれば幸せで、安心なんて妄想かも…。
「親の心、子知らず」
親であれば、どんな親だって子どものことを思い続けている。だって、愛情を込めて一生懸命に育て上げ、守り続け、心配し続けている。だけれど、子どもにはわからない。また、「子の心、親知らず」の場合だってあるよね。人の思いってなかなか見えないけれど、やっぱり感じあわないとね。
「子にすることを親にせよ」
自分がしてもらってきたこと、してもらったことを親にしてあげる。やがて歳を取る親たちは、歩いたり、立ち上がることが思うようにならなくなるよね。食事だって、お風呂だって自分では入れなくなる。洋服だって着れない。お返ししてあげないとね。
「親孝行と火の用心は灰にならぬ前」
親孝行と火の用心、なにもなくともこんな心がけが必要だよね。親が元気なうち、生きているうちにできることをしないとね。
「子を持って知る親の恩」
coucouさんもそうだったけれど、自分の子どもが生まれて初めてわかるって本当だね。coucouさんもわからなかった。あ~こんなに大変だったんだな…と。
「親には一日三度笑って見せよ」
笑顔って、大切だよね。親子だと正直すぎるのか、頭に来たり、怒ったり、文句がいいやすいよね。甘えなんだけれど、互いが我儘になるときもある。
でもね、子どもたちの笑顔って何にも代えがたく、笑顔でいてくれればとても嬉しく思うのが親の心なんだね。
「子を持って知る親の恩」
子どもが生まれることで初めて親のありがたみがわかる、という。確かにそうだね。でも、「あの人は子どもがいないからわからないのよね…」なんて酷いことを言う人もいる。それはね、子どもを持たなければ親の気持ちがわからない人のこと。子どもさんがいなくったって、親の恩を忘れていない人もたくさんいるんだよ。
「石に布団は着せられず」
人はこの世を去ればただの灰になる。だから、生きているうちにできる親孝行をする。確かに生きている人に布団をかけてあげるのならいいんだけれど、石に布団をかけても意味はないよね。
「孝は百行の本」
この言葉はむずかしいね。親孝行もできない人は、他の人たちにも善いことなどできない、という意味かもね?孝って、親孝行だけではないってことかな?(間違いだったらごかんべんを)coucouoさんの孝でもある。
「親の掛替えはない」
世界で、地球上で親は一人しかいない。親の代わりなどいない。だからこそ親孝行が大切だという意味だよね。
でも、親というと、恩師、海の親、育ての親、父親代わり、母親代わり、義理の父や母なども親だと思う。
coucouさんには、血のつながらない、もう一人の父がいるんだよ。
(勝手にそう思っている…)
2.私たちは、かけがえのない人たちと、
一緒に過ごせる時間って、あとどのくらい?
さて、「親と一緒に過ごせる残り時間はどのくらいあるの?」
つまり、自分の親と顔を合わせて過ごせる時間があとどれくらい残っているか、ということさ。
coucouさん自身はどうだったかというと、ほとんど毎日、父や母と会い続けていた。もちろん高齢を迎えている父や母だから、介護を含めて、coucouさん兄弟二人で一日に何度も家に顔出し、見守り介護を続けていた。高齢者施設などに入れずにcoucouさん兄弟はできるところまでやり続けようと相談し合っていた。(それぞれが別の場所に住んでいた)
だから父や母の後半のほとんどは毎日会い続けていたわけだから通常の人には考えられない濃縮した親子関係だったといえるかもね。
でも、普通は親と離れて生活している場合は、1年のうち正月やお盆などを合計6日間と考えてみても家に滞在する時間は一日の24時間にはならない。
総務省統計局の社会生活基本調査によると、実家の親と顔を合わせるのは1日平均4時間程度とのこと。
6日間×4時間=24時間。
つまり、1年間で親と過ごす時間は24時間、1日分。
もちろん実家の近くに住んでいる場合は別だけど、大人になって、仕事に追われるようになると、つい親と過ごす時間を後回しになってしまう。
こう考えると、現実はほとんど親と過ごす時間などないに等しいかもしれないよね。
つまり、自分の子供との時間も減りるけれど、さらに自分の親と接する時間は、あとわずか。
あとになって後悔しないように、会えるときには会って、会えないときには声だけでも聞かせてあげたいよね。
きっと、私たちがわが子に対して抱いている愛情と同じくらい、親も私たちのことを思ってくれているはずだと思うんだ。
3.1年62日21時間
さて、「1年と62日21時間」はなんの時間だと思う?
前回までは「自分と親時間」「親と子ども時間」だったけれど、まだ忘れてはいけない大切な時間があるよね。
443.親子の生涯時間ってね、「母親、約7年6か月」「父親3年4か月」という数字が公表された。信じられない~参照↓
現実は、親子間は何でも後回しになってしまうけど、この時間は忘れてしまうと破綻してしまうものがあるんだ。
「1年と62日21時間」と聞くとさらに衝撃が走る。
それはね、夫婦時間。
つまり、夫婦が一緒に過ごせる時間、「一緒の時間」なんだ。
特にこの数字は「男性時間」。この時間を短いと感じるか、長いと感じるか?人によっては違うとは思うけれど、大切な人との時間と考えたらどう思うのかな?
一般的には男性と妻の時間のほとんどが「子どもの会話が中心」になるという。30歳から40歳になると子どもたちは幼稚園、小学校の問題となるからなんだ。これって、すぐさま経済(お金)に結び付くものなので当然なことかもしれないけどね。
それだけ男性が家族に対してどれだけの愛情度をもっているかどうかの踏み絵のような気がする。つまり、この時間は夫婦が向き合う男性の実質時間となるんだ。
では、女性時間はどうなの?
また、24歳の息子と52歳の母親の場合。
わずか『209日15時間』だという
さて、私たちは誰でもいずれ、離れ離れとなってしまう運命がある。
みなさんはどのように考えて、大切な人たちとお別れするの?
ここで面白いツールを発見しましたのでご紹介します。
私たちに残された時間は?(↓『いっしょの時間』を押してみて下さい)
次の『いっしょの時間』という診断ツールを使って調べることができます。
両親や子ども、祖父母や兄弟との『いっしょの時間』を診断することができます。自分や相手の年齢や職業から、相手の友人を何人知っているかなど、約10の質問に答えるだけで、オッケー。
ほんの3分ほどで結果が表示されます。
coucouさんの場合、長男とは一年に一回会うかどうか、まったく少ない親子時間かもしれない。また、地方から仕事で東京に出てきて仕事をしている人などは盆暮れに帰ることができればまだましな方だけど、現在のような567が3年近く続いている人たちはさらに親子時間がなくなっていることがわかる。
また、親子喧嘩をしている人、断絶な親子関係、あまりにも遠方でなかなか会うことができない人たちは、さらに、さらに会う時間は無くなってしまっている。
よく、親を旅行に連れていきたい、食事に連れていきたいなどと言っても現実は、こんな簡単なことでさえ実現がむずかしいよね。
だから、やっぱり、思っているだけでなく、「今」しかないよね。
これらの「いつしょの時間」の算出方法はね、
診断ツールによる時間の算出を、信じられない人もいるかもしれないけれど、この診断は、年齢や性別、生活環境や2人で過ごす頻度や時間を調査した、政府による複数のデータなどを参考にして算出されているものだそうだ。
4.私たちに残された時間って...
そんな気になる調査結果が、セイコーホールディングスが2019年6月6日に発表した「セイコー時間白書2019」の中で紹介されていた。
それによると、両親と別居している35~39歳の人が、母親と直接会って話すことができる時間は、驚いたことに「26.1日(626時間)」しか残っていないという数字がはじき出されていた。
これは、「大切な人と過ごせる生涯『残り時間』」というテーマだった。
父親・母親・旧友と直接会って話す機会(会って話す頻度、1回あたりの時間)を質問。その結果から、人生の中で後どれくらい一緒に会って話す時間が残っているかを、5歳ごとの年齢テーブル別にまとめたものだという。
まずは、母親から。
先ほども紹介したけれど、別居している35~39歳の人に残された時間は「26.1日(626時間)」。もう1か月を切っているんだ。さらに驚いたのが、15~19歳ですら、別居している場合は69.4日しか残っていないということ。
続いて、父親の場合。
こちらは、母親よりも「残り時間」が少なくなっていることがわかる。
父親とは、おおよそ、母親の半分ほどの時間になっているのがわかるよね。35~39歳(別居)場合、残っているのは11.5日(276時間)。
すでに2週間を切っている。
最後に、旧友との時間。
こちらは、以下のような結果だった。
友達時間、どちらにしても、残り時間は「さらに、意外と少ない!」と驚いてしまう。恋人同士などはさらに短い。では、残された時間を大切に過ごすためには、どうすればいいのかな。
それについて、「大人の時間はなぜ短いのか」(集英社新書)千葉大学の一川誠教授は、この「時間白書」でのインタビューで、「いつものルーティンとは違う、なにか特別なイベントを一緒に体験するといいですね」として、次のように助言していた。
「家族旅行というのは昔からある家族イベントのひとつですが、旅行に行くことで、同じ体験ができ、明確な記憶につながります。特別な経験はより明確に思い出すことができ、豊かな時間を過ごしたという満足感につながります」
そう、親と離れて暮らしている人は、参考にするといいかもしれないね。
5.親孝行したい時分には親はなし
このわずかな「家族時間」、家族だけでなく友人や愛する人、かけがえのない人たちとの時間がわかったら、どう考えて、どう行動しよう?残り時間はわずかしかないんだよね。
では、残りの人生で両親に親孝行できるタイミング・機会は何回あるのかな?
つまり、親子に残された時間は
親の余命年数×1日
となるそうだ。
親の寿命が10年だったら10日しか、もう親と接することはできないという計算だった。
一生のうちで親子が一緒に過ごせるのは女性で13年余り、男性で9年余りだそうだ。なんと寂しい、なんと悲しき親子関係なんだろうね。
つまり、成人したら親子で過ごす時間は、ほんの僅かになる。
平均値とは言ってもこれらは、平均値のようなものだから、各家庭の過ごし方で大きく変わってくると思うけれどね。
別居していたり、遠方に離れていたり、する場合などは、親が亡くなる前に会える時間はほんのわずかなものだろうね。
この機会に、夫婦時間、友人時間、家族時間、親時間、親と過ごせる時間を計算してみるといいかもしれない。
大切なことは残された時間に危機感を感じることじゃあなくて、その時間をどのようにするか。それを考えることだと思う気がするのさ。
そしてね、時間の多い少ないではなくて、残りの時間をどう過ごすか。どのようにしたいか。時間は無限ではなく、有限の時間を価値あるものに変えるためには必要なことのような気がするんだよ。
子→親は残りの時間を価値あるものに
親→子は子供が小さいうちにできるだけ一緒に過ごす。
これができる範囲かもしれないよ。
coucouさんはね、もう、息子と3年もあっていない…。
coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~
coucouさんはね、誰からも嫌われたくない、好かれたいって生きてきたんだ。でもね、結果は嫌われていることに気づいたんだ。
長い間気にならず、気にしていなかったけれど、ある友人から「あの人はcoucouさんの悪口をいっていた」「この人は随分とcoucouさんのことを酷くののしっていた」
え~
そう、coucouさんにとっては青天の霹靂~
だって、一生懸命に接してきた相手だったからね。
それにその人たちはcoucouさんの前ではそんなに嫌な顔を見せたりせず、いつも笑顔だったからね。
ならば、なんで直接coucouさんに言わないのだろう?
言わせないcoucouさんの雰囲気に問題があるの…。
coucouさんは会社経験を知らない。
組織の中の人間関係などわからない。
組織の中の人間関係ってそんな酷いの?
友人からの話を聞くたびに落ち込んでしまう。
そう、人間不信となる。
だけど、あんまり酷いので、coucouさんは諦めた。
「嫌われる勇気」ではなくて、
「嫌われているという自覚」と「嫌う勇気」が必要となった。
だって、coucouさんはね、ただ懸命に仕事をしているだけで悪口を言われるのなら、「もう、好きにしろ~」と思うようにした。
そして、誰からも好かれなくていいって、覚悟を持つようになったんだ。
だけれども、よく周りを見渡していると、どこの組織も、どこの会社でも直接相手には言わないで、裏で悪口大会をしていることがわかるようになった。
嫌だね~そんな組織~
でもね、「好きにしろ~」っていう呪文のおかげでいつも捨て去る、放り投げる、放っておくことができるようになった。
相変わらず、陰口の者たちは、coucouさんの前で笑顔を振りまいている…。
あばよ~
これも、心の中の呪文なんだ~
さて、coucouさんの大好きな、大好きな「ノートに神さま」
64番目(順不同)のかみさまのご紹介~
いつも応援、ありがとう~
あやとりりいの、りりいさ~ん~
あやとりりいさんは企業戦士。
企業の法務の仕事に携わっている。
コンプライアンス(compliance)ってね、「法令遵守」を意味しているのだけれど、ただ「法令を守れば良い」という法令遵守だけでなく、倫理観、公序良俗などの社会的な規範に従い、公正・公平に業務をおこなうことを意味している。
(567や社会情勢の激化に伴い、この業務は注目を浴びている時代だと思う。それはね、あまりにも現代社会が酷すぎるからなんだね)
コンプライアンスはね、企業活動を行う上で働きさんたち全員が知っておくべき内容の1つ。このコンプライアンス違反を犯してしまうことによって、企業の信用が落ちてしまい、最終的には倒産に追い込まれる可能性がある。
たぶん、あやとりりいさんの仕事ってそのような仕事だと思う。
そして、最も大切なことは人間関係や信頼、仕事関係も取引まで及ぶ。
そう、coucouさんみたいに、好かれたいだの、愛されたいだのと言う甘い世界ではないよね。
私たちは、生活や仕事を通じて学んでいるんだもの。
別に座禅を組んだり、滝の修行などよりも、この社会の中の仕事と言う修行の方がはるかに大変だと思う。(修行者たちよ、この酷い社会で学べ~)
人を変えるには、自分は変わらないこと。
長く続いていれば、嫌味が尊敬に変わり、生きやすくなる。
あやとりりいさんの言葉より
そう、相手を変える必要もないけれど、自分も変える必要がない。そのまんま、素のまんまでいい。あやとりりいさんの素敵な言葉たちです~
全部、読んでほしい~
素晴らしい、素敵なコンプライアンスの戦士(かみさま)だからね~
あやとりりい🌸気持ちの伝え方の言葉より
記事1つ1つに伝えたい相手がいます🌻 気持ちは、言っても言わなくても誤解されて伝えるのが難しい🙄それでも届いて欲しいなぁ♬ 私は法務博士号を取得し、コンプライアンスを中心にお仕事をしています。 創作を通じて懐かしい友人や新しい人と会えたら嬉しいです🎀
愚痴とか不平不満ではなく、「自分と向き合ってみよう」、そう思ってきてくれる人がいた時には、何よりも優先して話さなければならなかったのだ。
私は、噂の中にいない。
私や私の大事な人は、誹謗中傷される必要がない。
私は、自分が自分の人生を歩んでいけるように変わりたい。
人を変えるには、自分は変わらないこと。
長く続いていれば、嫌味が尊敬に変わり、生きやすくなる。
私にとっての働くことは、組織を通じて次の世代に困難に向き合うノウハウを技術という形に変えて、贈ることである。
全部があるから自分なんだよ。
それは誰かがコントロールし得るバランスではないから、お互い尊重していけないだろうか。
私も大事な人の今あるものを一緒に大事にしていきたい。
ただ私はお互いの優しさという熱を大事にできる相手と居たいだけ。人を思う優しさは、有限でかけがえのないものだから。
言うべきことをいい、やるべきことをやったのだから、時の流れと共に悲しかった出来事を流して、囚われるべきものは「今」だけでありたい。
………………………
私が吹っ飛ばしたいものは、どうにも変えられない過去。
ライチャス・ブラザース - アンチェインド・メロディ
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