見出し画像

新年度、初めまして

お疲れ様です。新年度が始まる時期になりましたかね。

今日はこのnoteをなかなか書く気になれなくて。かと言って、今は渋々書いているわけでもなく、そろそろ書こうと思って、朝から起きていたのに、この夕方から書き始めています。(途中、夜ご飯などを挟んで夜になってしまいました)

私、ここ最近体調が悪い時が多かったのですが、今日はそこまでしんどくはなかったのでほっとしました。このまま回復に向かうといいな。

体調が悪いのは、生理前だからかな、生理中だからかな、と言い聞かせていたのですが、とっくに生理が終わっていても、体調が悪いままだったので、ああこれは別の要因なんだな、と思いました。

原因不明で体調が悪くなっているんだ、と。でも、そう言いながらも一つ心当たりはあります。

もう4月を迎えましたが、4月だからです。4月というと、どうでしょう。花粉がまだ続きますかね。特に生活は変わることはないという人もいると思います。それでも、4月は新しく年度が替わるということもあって、新しい人との出会いがあったりするのではないでしょうか。

分かりやすくたとえを出すと、学校ならば新学年、新学期が始まります。それまでとは全く別のクラスになります。大学ならば、受講する講義も代わり、それまでとは違う先生から指導を受けたり、一緒に受ける学生の顔ぶれが変わったりします。

何かと変化の多いのが、この時期だと思います。


私はいつからか、学校が始まる前は、体調が悪くなるようになりました。また、その頃に、死にたいと思ってしまう気持ちも強くなります。友達もいて、何も心配するようなことはないのに、身体がこれまでの習慣だからとでもいうように、体調が悪くなるのです。

確かに、勉強は好きだったとしても、学校に行きたくないという気持ちはありました。本当に、普段は熱を出さないのに、なぜか新学期の、始業式の日に熱を出したりして、母親に学校に行くのを止められたこともあります。

始業式だけに限らず、何かの行事に参加したくなくてたまらなかったとき、今では我慢せずにずる休みをすればよいと思うのですが、その時はそのことを毎日考えては憂鬱になり、流行ってもない病気にかかって学校をしばらく休まざるをえなくなったことがありました。結局その行事には参加しなくて済みました。

風邪を自由自在に扱えるなら最強じゃないか、と思われそうですが、この場合に具合を悪くしたときって、とてつもなくしんどいんですよね。先程に言った病気になったときは、辛すぎて、ぼーっとする頭で、私はもう駄目なんじゃないか、などと考えていました。


そういうわけで、今回体調が悪かったりしたのも、新学期が近づいているから、身体がそれに反応したのかもしれません。

本当に、心と身体は繋がっているんだな、と思います。心が調子悪ければ、身体に影響がいく。逆も同様です。

私は、4月から半年休学します。だから、学校に行くことはありません。それでも、学校のことを考えている自分がいたのは事実です。学校に通っている友人と話をしているとき、学校のことを意識している自分がいます。今は、そのような友人とは関わらないようにすればいいという話ですが、本当にその通りだと思いました。しばらくは、会うのは彼氏くらいにしてゆっくりしようかな、と思いました。


でも、たまに思うんですよね。私は、何をそんなに恐れているんだろう、って。何を怖がっているのかな。自分が傷つくこと? 自分が傷つくことって何だろう。

そうやってよくよく考えてみると、案外すぐには出てこなかったりするものなんですよね。それもそのはず、予想外のことが起きたり、そういった言葉を言われたときに、傷つくんですよね。予め、何時何分に誰々にどこどこでこんなことを言われるというのが予測できていたら、傷つきはするかもしれないけれど、ダメージは少なく済みそうだから。

とはいえ、人間関係で、傷つかないっていうのは避けられないことなんですよね。あるいは、捉え方の問題で、自分がそれに関してどう思うか、どう捉えるかにもよりますけどね。単なる出来事として受け止めて、ならこういう行動をしようと次に動くのか、それとも、その言葉や行動の意味を考えてしまって、動けずにいるのか、色々あると思います。

私の場合は、考えてしまいます。小さい頃から、すぐに影響を受けるよね、と家族に言われてきた通り、本を読み終えたら、しばらく余韻に浸ってしまう自分がいるので、これは、生まれつきの性格のようなもので、今後も簡単には変化することはないのかな、とは思います。逆に、じっくり物事を考えることができるのが私の強みだと思いたいです。


今日は、辻村深月さんによる『傲慢と善良』という本を読み終えました。

辻村深月さんとは、中学で出会ってから(もちろん本人とではなく、本との出会いです)、今も読ませてもらっている作家さんです。全ての本に目を通せているわけではありませんが、なんだかんだ、今でも読んでいる作家さんだな、と思いました。

たまたま、中学の時に初めて手に取った彼女の作品が、まさかのデビュー作で、衝撃を受けました。デビュー作だったというのは後で知ったのですが、そのことでも、また違う衝撃を受けました。デビュー作で、この作品を書いたのか、と。


それで、私が今日読んだ本書はですね、恋愛または結婚小説といえるものでして、もちろん彼女が書くものなのでミステリ要素も含まれています。私のイメージですが、ミステリ小説が多いので。

それで、これを読んで、恋愛だけに限らず、人と付き合うということ、人間って何だろうなあって考えさせられました。

私は、人間と関わって傷つくことを恐れているのかもしれません。相手の考えていることが分からないから。でも、自分で自分の気持ちや意見を表明することは苦手だったりして、相手に、私の頭の中のことが全て伝わればいいのにな、なんて思うこともあります。とはいえ、今この世の中に生きている限りはそんなことは叶いませんね。

これまでの人生を振り返ってみて、後悔していたり反省していることって、ちゃんと人と向き合えばよかった、話せばよかったというものが多いんですよね。

私の気持ちを全部伝えたいと思っても、伝えることの労力を考えたらまあいいかって思ってしまったりして、話せずにいたことが多かったです。

でも、ちゃんと相手と向き合って話をすればよかったってすごく思います。

これは、友達でも、家族でも、恋人、または学校に関しても誰に対してもそうです。話をすれば、相手のことをもっと知れたかもしれないし、色々な誤解だって解けたかもしれない。

分かりますよ、話をするって面倒なんですよね。余計に体力を消費してしまったりして。話さなくても生活はできて、自分が我慢すればいいやってなってしまうことも分かります。でも、その我慢や、疑問はあとになっても残るし、消えることはないです。全てのことを、まあいいかで済ませればいいけれど、その場では済ませたつもりでも、後になって、「どうして」と考えている自分がいるわけです。

そんなの今考えたって遅いし分からないのに、馬鹿だなあと自分で思います。疑問に思ったりしたことがあれば、すぐにその場で聞くなりして解消した方がいいです。私はそう思います。たとえ関係が切れているとしても、私はたまにそのことを思い出しては考えていたりします。私がなかなか過去とお別れしたり、きれいさっぱりと整理したりすることができないのは、ここにも原因があると思います。もやもやが消えずにずっと残ったままなんです。


人間ならば、人と向き合って会話をしよう、そう思いました。それで傷ついたとしても、大袈裟な話、言葉の矢が突き刺さって死ぬことはありません。不意に言われた言葉で傷つくことはあるかもしれないけれど、自分から聞いたことは、傷つきはしてもそのうち自分の中に溶け込んで痛みは消えるような気がします。大事なのは、話せたかどうかだと思います。

私が恐れているのは、人と関わったり会話をすることだということになるけれど、1ミリも傷つくことなくすむ人生なんてないし、平穏すぎるのもまたそれで人生に対して私はつまらないと思ってしまうような気がします。

私は、うまく生きなくてはと力んで周りを警戒してしまうようなところがあったけれど、何も別にうまく生きることができなくてもいいんだよな、となんとなくそう思った今日でした。

今回はここまで。読んで下さりありがとうございました。では、また。

サポート、応援してくださったら、とても嬉しいです。ありがとう。