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【短編】『原因の原因』(短編)

原因の原因


 諸君は何か都合の悪いことが起こるとその原因を突き止めようとしないだろうか。その事象が起こる前の過去を遡り、すでに起きた別の出来事あるいはその時の状態の確認作業を行なった上で、再び現在に戻って結果と照らし合わせるのだ。そしてその原因が結果を招いている可能性が高い場合は、その原因こそが結果を招いた原因だと判断し自分を納得させるのだ。仮にこの一連の行動を推測という名前で呼んでみよう。推測というのはあくまで、ある事実や情報が直接には確認されていない場合に、それを仮定して予測や判断を行うことを指すが、我々が普段行う原因究明の習慣には、おおよそこれが原因だろう、もしかしたらこれが原因かもしれない、これが原因に違いない。などと原因が可能性に留まる場合から、反対に推測の域を超えて決定づけられることもある。そしてその決定の背景にはそもそも根拠すらない場合もあるのだ。そのため我々の原因究明という行動を一概に推測と呼ぶことは極めて難しいだろう。

 原因究明はしばしばその人の思考を狭くすることがある。原因とは何か不都合なことが起き、それを引き起こしたものに対して使われる言葉であって、不都合なことをなくしていくという理念のもと存在する。つまりは、原因さえなくなれば不都合なことは起きなくなるのだ。とすれば、発見された原因は処罰の対象として、その後なるべく排除されていく運命にあると言っても良い。これこそが人の思考を狭くする要因なのだ。原因を見つけてそれを避けていくことは、普段の生活において一見効果的かつ建設的であるように思えるが、実はそこには見えない落とし穴があるのだ。先ほども述べたように原因究明のために、人は推測という手法をよくとるのだが、その手法を正しく使いこなせるほど人間は器用ではないのだ。推測の先に見つけた答えを一度正しいと仮定してあるいは正しいと自己洗脳して生活を続ける以外、前に進むことができない性質にあるのだ。それは物事を白黒つけない限り自分の信念が定まらず、アイデンティティーロスを起こしてしまう恐れがあるからだ。原因究明も然り、推測の上で一つの原因を突き止めては、その原因に固執してしまうのがほとんどで、究極的に正しい答えを出すことは不可能なのである。しかし人間は、あるいは現代人は原因を突き止められないと不安を覚える傾向にあるがために、実際には真相がもっと別のところにあるにも関わらず、目の前に見える選択肢の中からしか原因を究明せず、偏った考えを持ってしまうことが多々ある。例えば、腹痛を起こした人は、その数日前まで遡り自分が食べたものを全て思い出そうとするだろう。その中に、お腹を壊しやすいとされる生物(なまもの)が該当していれば、瞬時にそれが原因と判断するのだ。もし仮に、何度もお腹を壊しては、直前に生物を食べていたとしよう。何度か腹痛が他人からのウイルスの感染によるものだったとしても当人はその後、原因とされる生物を避けるようになるのは必然的である。本当にお腹を壊した原因が生物であるかどうかは身体検査を受けない限りわからないことで、推測の域に留まっている間は絶対とは言えないはずにも関わらず生物だと断定してしまうのである。こうして原因究明という行動によって当人は生物とは縁のない生活を歩み始めるのだ。

 しかし、なぜ我々は日常的に原因を究明しようとするのだろうか。もちろん腹痛を何度も起こさないためであろうが、本当にそれだけだろうか。原因究明は他に何を与えてくれるのか。それは安心である。実は我々にとって原因が正しいか正しくないかは重要であって重要でないのだ。ただ単に何か不都合なことが起きたことに対する自分の感情の矛先を欲しているだけの場合もあるのだ。腹痛が起こって苦しんでいる間、次はもう起こらないようにしたいという感情がある一方、苦しさの原因を突き止めることで納得感を得たいという感情に苛まれるのだ。しかし、それで苦しみが癒えることもあれば癒えないこともあるのである。腹痛という一定期間の出来事などではなく、不幸によって長期的な傷を負った場合はいくら原因を突き止めてもその傷は癒えないことは明白である。このように、日常的に行われる原因究明は、人の心の安定を補助する薬の一つでもあるのだ。そしてその薬は効き目がある時もあれば、全くもって効果のない時もあるからこそ、原因究明に執着することは人間にとって危険行為でもあるのだ。

 原因究明による人間の思考への作用は日常にとどまらず、あらゆることが当てはまるだろう。国同士の紛争や、人種差別問題、陰謀論への執着など、様々である。人間は一度偏った考えを持ってしまえば、そこから脱することは非常に難しい。原因を断定していくことで、新たな経験や出会いから遠ざかっていく一方に違いないのだ。因果関係を考えることは人間にとって画期的である反面、人工的で偏狭的なのだ。ミステリー小説を読めば痛いほどその教訓を教えてくれるだろう。大抵の場合、主人公が特定した犯人は間違っているのだから。


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